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ブログ 今日のいもたつ

2012年12月

簾(すだれ)準備

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ほしいも加工前の準備で一番手間隙がかかるのは干し場作りです。
その次が簾の準備です。
平干し芋が仕上がる時間は、晴天ベースで約1週間ですから、
最低7日分の簾が必要です。

それだけの簾と、簾の上に敷く網を準備します。

【芋日記】

日時:2012年12月11日 05:59

菊姫山廃純米生原酒24by新酒

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毎年待ちに待っている、山廃純米生原酒(新酒)です。
山廃純米好きにはたまらない、冬だけの生原酒です。
(そう言いながら通年で飲んでいますが)

24byは、近年にないマイルドさです。
この傾向が24by全体かどうかは、生原酒だけではわかりませんが、
生原酒を飲むかぎり、まとまっているbyの印象があります。

マイルドという表現は、いつもの生原酒と比べてですから、
日本酒の中で、最も甘みも酸味も強く、荒々しさも当然あります。
あくまでもいつもと比べてマイルドです。

鮮烈さが抑えられている分、
複雑な様々な旨味を感じることができます。

この特長が半年後の呑切原酒でどう表現されるか、
早くも半年後が楽しみです。

【酒呑みのひとりごと】

日時:2012年12月10日 07:33

いずみ平ほしいもが仕上がってきました

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玉豊よりもいずみ干し芋の方が品質が一定しているので、
今年も高品質を期待していましたが、
それに応えてくれる出来栄えでした。

黒沢進さんは、ほとんど玉豊ですが、
いずみも最近は少し作るようになり、
玉豊とともに干し場に並んでいました。

進さんの今年の玉豊もかなり良い出来で、
いずみもそれに習うように上出来です。

【芋日記】

日時:2012年12月09日 09:56

畑の残り仕事

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干し芋加工の準備の目処が立ったので、
気になっていた、畑仕事をようやくやれました。

畑は冬の間寝かせるのですが、
その間、収穫しなかったサツマイモを土に馴染ませたいので、
鋤き込んでおきたい畑が残っていたのです。

だいぶ遅れ、畑は寒くなっていましたが、
春までの時間でサツマイモが土に戻るでしょう。

【芋日記】

日時:2012年12月08日 07:45

カミハテ商店 2012日 山本起也

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自殺の名所のお膝元にある商店がカミハテ商店です。

小学校の近くにある文房具屋で、文房具以外に、
コッペパンと牛乳を売ってます。
自殺志願者が最後の食事でこのコッペパンと牛乳を食して、
おもいを遂げるというのが映画全体の背景です。

カミハテ商店の店主は黙々とコッペパンを焼きます。
そして、自殺した者たちの靴を持ち帰るのも日課です。

彼女(店主)がどういう気持ちでコッペパンを焼き、渡し、
消えた人の靴を持ち帰ったかなんて、知る由はありません。
でも、そういう営みの中で彼女は何十年も暮らしていました。

ただ無力なことを彼女とともに感じることはできました。

通りすがりで合った人に対して、
その人がどんな人生を歩んだのか、全く知ることも感じることもできないのに、
正論や常識、正義論や道徳を交わしても死を決意した前提のなにも解らない
そんな者には交わす資格さえないのです。

彼女が粛々とパンを焼く、靴を拾う。
それは営みとして私は生きることを決めているという
観客への投げかけのように感じました。

追伸
本日12/7は「大雪」でした。二十四節気更新しました。
ご興味がある方は、干し芋のタツマのトップページからどうぞ。
干し芋のタツマ
二十四節気「大雪」の直接ページはこちら
大雪

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

日時:2012年12月07日 21:54

ヴァンパイア 2011日 岩井俊二

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気が弱く、でも罪を犯している、そのくせ醜悪なものを拒む、
そんな主人公のヴァンパイアは自分の分身のようです。

主人公は、自殺志願の女性を幇助して、血を抜き、
血を飲むという欲望を満たします。
その欲望は満足することもなく、果てることもない、
虚しさが同居しているものです。
主人公は、血を飲む度に吐いてしまうからです。
けれど、主人公の前に天使が現れました。
彼を包み込む彼に血を与えるという無償の愛を与えるという女性です。
(主人公は彼女の首から血を飲むという、
自殺幇助なしに血を得るという、欲望を満たせてくれる女性です)

けれど、その女性とは引き離されます。
その理由は、この映画がヴァンパイア映画だからです。

血を飲まずにいられない。(生につきまとう欲望)
ヴァンパイアは救われない。
世の中の日の当たらない場所で生きる。
そういうヴァンパイア像を借りた
ごくごく普通人が生きている様を描いた映画です。
少なくても主人公と私は、
生きている根源と、日常の行動の動機は、
変わらないと思わずにいられませんでした。


この映画には他にも象徴的な人が出てきます。
彼に対して無償の愛を持つ天使の母、
日常の彼は、天使から物理的に施されることはありません。

自殺志願の女性達、この女性達は、
主人公をはじめとする弱き普通人とつながりたいけれど、
それが怖い、めんどくさい、
これも主人公や私と同類の人達です。
「死」というジョーカーを使う所が私には出来ませんが。

主人公の中にズカズカと土足で入り踏み荒らす女、
この女は一見何も罪を犯していません。
自分にその自負があるから尚の事厄介です。
そして、社会も女を正当としますし、
けっして暴力としません。

もう一人、似非ヴァンパイアです。
この映画のヴァンパイアが、
己の欲望を控えめに成就させようとしている、
自分の中だけでしかない儚いものだけど、ルールを持っているのに対して、
似非ヴァンパイアは、何でもありです。
主人公にとっては醜い存在です。
でも似非ヴァンパイアは、社会の目をかいくぐる限り破滅しません。

実際にこの映画ではヴァンパイアだけが破滅しました。


ヴァンパイアと死にゆく女性達・社会から消えて行く者達と、
正当を公私共に自負する女と似非ヴァンパイアは、
あまりにも対象的です。

これらの登場人物が織りなす世界を、俯瞰して観せてくれる、
そこのどこに自己を重ねるか、
それを観て自分の存在を確認する映画でした。
映画の中に自分を置いた時、
改めて身近に佇んでいる天使を想うことができます。

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

日時:2012年12月06日 01:00

ボブ・マーリー/ルーツ・オブ・レジェンド 2012米/英 ケヴィン・マクドナルド

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レゲエの神、ボブ・マーリーのドキュメンタリー映画です。
彼が、出身のジャマイカだけでなく、世界に、
レゲエという芸術で、世界中の想いを説き、道標を与えた像と、
世界を魅了した姿を、余すことなく伝えています。

音楽素人が観ても貴重な記録が満載なのがわかりますし、
彼と歩んだ、彼と生きた最も近い人達の生の証言で、
彼の人生を追うのではなく、
彼を通して、これまでの世界の来た道と今を考えさせるカタチで提示します。

神の申し子の様なボブ・マーリーで、
その存在していた奇跡のような軌跡が十二分に伝わります。
傍らでは、人らしさの苦悩もしっかりと織り込まれています。
だから、やっぱり彼は求められて来た者とも思えて来ます。
それは置いて置いて、
映画は、単なるボブ・マーリー紹介で承認を得るではなく、
彼の生き様で、もう一度個々人の今を観て欲しいというメッセージを、
私は受けました。

それは映画の本懐ではないかもしれません。

でも受け手の一人としては、
それ程にボブ・マーリーを描いた映画というよりも、
彼が何故このように生きた、産まれた、
彼のあのステージは何を、今それをライブではなく、
でも熱くスクリーン越しに魅せるその意図を感じます。

まさに、混迷の中で芯(あくまで個人の大切にするもの)を、
受け手に確認を迫ることが求められた鑑賞でした。

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

日時:2012年12月05日 08:11

干し場の棚作り

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蒸かしてスライスした乾く前の干し芋の簾(すだれ)を
並べる棚作りは、杭を打ちその上にレールを乗せます。

簾を目一杯干し場に敷き詰めるために、
等間隔で、まっすぐに、しかも強度があるレールを6本敷きます。

そのために、簡単な測量をしながら杭を打ちます。
しっかりと作ることで、
毎日の作業がやりやすくなります。

【芋日記】

日時:2012年12月04日 07:43

防草ネット張り

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干し場は稲藁を全体に敷き詰めますが、
通り道には防草ネットを張ります。

結構重い簾(すだれ)を持ち歩くので、
稲藁が足元に絡むと危ないからです。

太い針金をコの字にしたピックを打ち込んで、
張りを持たせて、張っていきます。

【芋日記】

日時:2012年12月03日 07:42

ソハの地下水道 2011独/波 アグニエシュカ・ホランド

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1943年ドイツに占領されていた
ポーランド領のルヴフという街での実話がベースの映画です。

下水道工のソハが、ユダヤ人を匿います。
ソハはコソ泥で、
ユダヤ人を匿うのもカネをせしめる事ができるという動機からです。

ルヴフでもドイツ軍によるホロコースト真っ最中という時代ですから、
匿うソハも、隠れるユダヤ人も命がけです。
特にソハは簡単に見捨てる事を選べる立場です。
だから、匿う価値がある限り付き合うと決めていたはずでした。
それが次第にソハ自身も意外で説明できない行動となって行きます。

この映画では、ドイツ軍の残虐な描写は必要最低限という印象ですが、
あの目を伏せてはいけない事実の上の映画という位置付けははっきりとさせます。
その中で人が、ごく普通の中年男がどう生きたかそれをじっくりと観せます。

人が奮い立つ、理屈ではなく、
ソハも徐々に変化します。

選んだ選択の一つ一つは、いつも、自分にリスクがあることでしたが、
『これ位ならできる」という積み重ねでした。
だから自分の中で大きな賭けではないと納得したものです。
(大きくなくても命がけなのは言うまでもありません)

ある時ソハの女房がソハの秘密を知った時の、
ソハとのギャップは相当なものでした。
彼女は何度もソハをなじります。
(命を守るために正そうとする行為です)
そして、ソハを捨てようともします。
でも結局できません。
二人共出来ないとやれないが半々だったのでしょう。

ソハをみていると、やりきったことの結果が崇高だった、
のです。
最初から狙ったわけではありません。
だから普通の人が奮い立った結果です。

人は、生きると言う本能の中に、
一瞬でも良いから心を通じ合わせている他人と、
今、を生きたいのでしょう。

結局は女房もソハを支えます。
地下にいる会ったこともないユダヤ人達のために。


映画のラストに、あの中でユダヤ人を救った人達6000人を、
イスラエルが感謝したことが示されます。
ほとんどがソハのような普通の人でしょう。

不安な世界の現代に、希望を灯す、映画です。

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

日時:2012年12月02日 10:12
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