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ブログ 今日のいもたつ

2014年10月

マルタ 1973西独 ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー

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ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー監督の映画にはしばしば最低の人間が登場します。
けれどその人物と自分自身を一緒ではないと切り離してしまうことを決して許しません。

この映画の主人公マルタの夫ヘムルートは、マルタを支配しなければいられない人物で、
しかもドメスティックバイオレンスをもってマルタが恐怖に慄く様に快感を覚える男で、この男の興奮を求める姿は、悪魔の心の起点は理性が封じ込めているけれど自分の中にもあることを示す姿です。この映画はそれを省みさせられます。

またサイコパスを生む社会への問題提起もあります。映画の上でのドイツでは、まだ女性の社会的地位が低い男尊女卑を感じさせますから、当時の社会が生み出していた風潮へ言及していますし、もっと言えば、この問題は現代の方が根が深いと言わざるを得ません。

ヘムルートの巧妙なマルタへの虐待、マルタはそれに耐えることが妻らしいという認識があり、虐待はヘルムートの愛の裏返しだと受け取ろうとする姿(認知的不協和)は、単に夫婦の個々の性格でこの悲劇が起こったとは片付けられない社会が産んだ問題です。
けれども、やはりヘルムートは異常ですし、でも私の中にもあるデビルな人格だと言わしめる力が映画にあります。

強烈な映画でした。

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

日時:2014年10月31日 07:18

沙羅の門 1964日 久松静児

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本当に自分に愛情を注いでくれるのは誰か?
そして自分が本当に愛情を注いでいるのは誰か?
世界でたった一人で良いからそういう存在があれば生きていけます。

禅寺の和尚は妻帯厳禁のしきたりがあるようで、
この映画の主人公の煩悩ありありの和尚(承海)には、
籍は入れていない、内縁の妻と一人娘(千賀子)がいます。
若い妻を亡くすともっと若い後妻(八千代)をもらいます。
物語は、千賀子が13歳のときに八千代を貰うところから始まり、
千賀子が21歳の女子大生にまですぐに飛びます。
京都を舞台に、承海に尽くす八千代と、男関係に悩む千賀子、
それを案ずる承海と、血は繋がらない千賀子にも親身になる八千代の、
3人を中心に展開します。

煩悩ありありでスケベな承海ですが、八千代に首っ丈です。
そして“金儲け坊主”と仲間の和尚に揶揄されながらも、千賀子の学費を稼ぐために、
一生懸命に檀家回りします。檀家も熱心な承海に感心しますが、
ある日交通事故で承海が亡くなります。

承海はあくまで、独身を通した立派な和尚として禅宗では祀り上げられます。
でも本当は煩悩ありありの人間くさい親父でした。
千賀子はそんな父親を煩わしいと思っていましたが、
亡くなった今はそんな生き様を立派だと想います。

内縁の八千代も戸籍上は娘でない千賀子も、
本葬には列席できません。そして、寺を出て行かなければなりません。

八千代と千賀子は血は繋がってはいませんが、
本当の母娘以上の硬い繋がりをお互いに確信します。
それをもたらしたのは承海の生き方だったことも解ります。
ここで映画は終わります。

原作ももちろん良いのでしょうけれど、脚本も演出も良いです。
リズムあり無駄が無い展開で話が流れます。

健気な八千代は承海にも、前妻の娘の千賀子にも愛を注ぎます。
それを受けながらも千賀子は、思春期から大人になる女の苦悩があります。
八千代が物分りが良いだけに父への抵抗から、若いから、羽目をはずしてしまいます。
そして禅宗に嫁ぐ(籍は入れられない)女の立場の矛盾に怒りを持ちます。
その家庭環境が時に千賀子を退廃的な生き方にしてしまうという話の流れもスムーズですし、
そんな娘を素知らぬふりながら、しっかりと解って心配する父親像もとても良いです。
それら3人の個性はとても人間くさいですが、
家族を何よりも大事にしている人間賛歌の物語です。

ラストは理不尽な立場に立たされた八千代と千賀子が逞しく生きていこうとするのですが、
その心の支えが一番身近な血の繋がらない家族=お互いだったというのも凄く良いです。
きっとこれから二人は時々喧嘩することもあるでしょうけれど、
仲良く、そして人にも優しくできることが想像できます。

なんてったって、二人は二人を無償で想い合えるからです。
人間の幸せはそんな人が身近にいることだと本当に思える映画でした。

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

日時:2014年10月30日 07:22

プロミスト・ランド 2012米 ガズ・ヴァン・サント

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巨大な国の力で支配されていると感じてしまう映画です。

スティーヴはシェールガス開発会社グローバル社の有能社員で、同僚のスーと共に、アメリカの片田舎に行き土地の採掘権を獲得に行きます。(他の地方でも安く買い叩いた実績があるということが有能の理由です)
農業で生計を立てている人々は、決して豊かではありません(そういう設定です)。そこに、採掘権を売れば左団扇で暮らせることをちらつかせるのです。
次々に契約する農家達。契約をもっとスムーズに進めるためにスティーヴは、町長を賄賂で抱きこみ、集会を開き一気に契約を進めようとしましたが、集会には、シェールガスの採掘の水圧破砕の技術は、農地を死なせてしまうことを知る科学者が参加していて、住民はスティーヴに懐疑的になり、結局は3週間後に住民投票を行うことになります。
そんな中、環境保護活動家のダスティンが現れ、ますます住民は採掘に難色を示していきます。窮地に立たされたスティーヴも必死に抵抗します。

投票の前日、実はダスティンが語っていたことが嘘だったことが発覚、スティーヴは勝ちを確信しますが、それらは全てグローバル社の画策だったことも判明します。
スティーヴがとった最後の行為は・・・。

スティーヴは、彼自身田舎の農家出身者です。幼い頃、彼の村はキャタピラー社のお陰でなんとか食いつないでいました。農業では食えなかったということです。
そのキャタピラー社が村から撤退すると、村は立ち行かなくなったことを経験しています。だから、貧しい農家に採掘権と引き換えに金を渡すことは“絶対の正義と確信”していました。


映画の中で印象的だったのは、スティーヴが反対派の農家達を相手に、「どうせ今の農業も政府からの補助金があるから成り立っている。それがなくなればあんた達は路頭に迷う」(正確ではありません)
彼は農家の一人から殴られます。彼らにはタブーだからです。
ここに根深い問題があります。
大いなる支配で生かされる田舎町、都市や都会のための歯車が田舎である、と感じるばかりです。
彼らはそれを望んでいた訳ではありませんが、飼いならされる構造があったところに生まれた人々です。

おとなしく農業をやっていれば、大いなる力は牙を剥きません。それが時代の流れで、代々続いた土地だけれども今度はシェールガスの採掘をさせれば牙は剥かないよ、に変化しただけなのです。

ラストにも印象的なシーンがありました。
投票が行われる会場では、少女が25セントのレモネードを売っていました。スティーヴは一杯買い1ドルを渡し「釣りはいらない」と言います。
すると少女は「カンバンにも25セント書いてあるでしょ(だから75セントは返す)」(正確ではありません)
スティーヴは25セントだけを払いました。

私達は正当な対価をやりとりするというシンプルなことが、見えなくなっているのです。


世の中の構造を見つめて、誇りを持った生き方を促す映画でした。

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

日時:2014年10月29日 07:30

アンナプルナ南壁 7400mの男たち 2012西 パブロ・イラブル

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アンナプルナとは、ヒマラヤ山脈に属する山群の総称で、第1峰は世界第10位の8.091m、南壁の東稜ルートは、最も登頂が難しいといわれていて、10人中4人が命を落とすそうです。
2008年スペインの登山家のイナキが、7400mの第4キャンプで高山病に罹ります。同行していた仲間からの知らせを受けて(またはそれをネット等で自ら見つけて)、世界中から彼を助けるために12名の登山家がベースキャンプに駆けつけます。
その時の様子を、12名の登山家が語るドキュメンタリーです。

当時の映像や写真は限られたものしかなく、映像の大半は、インタビューを受けている登山家達の日常を映しながらの彼らの声です。

イナキの元にたどり着くことだけでも命掛けの行為ですが、彼らは、知らせを聞くと躊躇なく救出のための動きをとります。その心境をはじめ、命掛けで山に登ることの彼らの心内が語られます。(かなりの危険だけでなく、膨大な時間と費用も、自ら背負います)

彼らの言葉は“友人だから助ける”というシンプルなもの。そして、“助けなければ一生後悔する”とも言います。
イナキと、とても親しい者もいれば、山やキャンプで挨拶する位の関係の者もいます。
映画内でも語られますが、彼らは山という国の住民であり友人であり兄弟みたいなものということです。
即席で集まった仲間ですが、目的はひとつで心もひとつです。
また、自らのことを「英雄ではない」と口々に語ります。

彼らに共通するのは、真剣に生きているということです。
命を落としても決して不思議ではない山に行くためということもありますが、いつも体を鍛えています。家族に心配をかけていることも十分に解っています。(家族は自分達の気持ちは解っていないという話もありましたが)
でも山に登ることを決めているからこそ、あんなに真剣に生きれるということが伝わってきます。
後悔しない生き方をしているのです。

結局イナフは助かりませんでした。
彼らは無念でならなかったでしょう。でもそれでも手を尽くしきったことに間違いはありません。

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

日時:2014年10月28日 07:28

越後つついし親不知 1964日 今井正

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親不知がある越後の部落の、時は昭和12年から13年の物語です。

主な登場人物は3名。主人公おしん(佐久間良子)は、幼い頃に両親を亡くし、
方々で働き苦労の末、働き者の留吉(小沢昭一)の女房になりました。
留吉と権助(三國連太郎)は伏見の造り酒屋に出稼ぎに行っていたのですが、権助の母が危篤で権助が村に一時帰郷します。
その時に権助はおしんを犯します。運悪くおしんは妊娠、彼女は悩みに悩みます。
春になり留吉が帰り、おしんの懐妊を喜びますが、権助の子とわかり、気が狂ってしまったかのようにおしんを殺害します。
正気に戻り人知れずおしんを葬った後、出征祝いの隊列の権助を親不知から突き落とそうとして、二人で海に落ちます。

救われない話です。
そして、なすすべもない立場のおしんの境遇に悲しくなります。

堕胎しようとするができない。
犯されたことを村人に言ってもたぶん取り合ってくれなかったでしょう。(推測ですが、合意だと判断されると感じました)
かといって留吉にも言えない。しかも留吉は大喜びです。

おしんは少女時代から苦労の連続でした。苦労を重ねてやっと留吉との縁があり、
やっと人並みの暮らし(貧しいですが)を手にしたばかりでこの顛末です。
何のための人生だったのか?と考えずにはいられません。

残念ながら生まれてきた境遇を覆すことができるなんて稀です。

今人は豊かになり万能であるような錯覚を覚える位、何でも自分の思い通りになる世の中ですが、こんなものは自分の力では全くありません。
幸運にも、たまたまそういう世の中に生まれてきただけだと再認識しました。


今井監督の演出はこの映画でも上手いです。
冒頭の権助がおしんを犯す伏線の東野英二郎との会話、ここで権助の動機付けと共に、物語の背景を説明します。
また、おしんと留吉が婚礼の日、豪華な輿入れとすれ違うようにして、二人の質素な輿入れがあります。
それ以外にも、留吉が誤っておしんを殺害してしまい、遺体を運ぶ時にすれ違う子供達。
これら主人公達の気持ちをシーンで代弁させたり、何気ない日常と、起きてしまった異常の対比で効果を高めています。

脇役もそうそうたるメンバーで、贅沢な映画でもありました。

そして、造り酒屋での仕込みの映像や、雪国での冬から春の農作業の映像や、荒れる日本海の風景等々、印象に残る貴重なシーンも多くありました。

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

日時:2014年10月27日 07:21

合間に準備

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たかおさんの所に寄ったら、
干し芋加工の準備をしていました。
収穫はだいたい終了、でもいくらかはあるようですが、
合間をみて準備を進めています。

干し芋作りは、この準備も結構な手間です。

【芋日記】

日時:2014年10月26日 07:41

白菜も全然違います

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農園前の自家製野菜畑で、2種類の白菜を育てています。
普通の白菜とサラダ白菜です。

サラダ白菜は極早生種で、普通の白菜よりも一ヶ月近く早く収穫できそうです。
けれど、病害虫にはとても弱いです。
多分甘いので、虫が寄ってくるようです。

そして、普通の白菜は産毛のような、少し尖った毛があるのですが、
サラダ白菜にはありません。
これも虫が来易い原因かもしれません。

【芋日記】

日時:2014年10月25日 06:23

今年は苦戦しています

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有機農業は本当に難しいです。
昨年ある程度上手くいく手ごたえがあったのですが、
今年は、また苦戦、どうもまだまだ工夫がいるようです。

軒並み収穫が良くないのですが、
この畑のいずみは、形状が良さそうなので、
少しでも育つように、一番最後に収穫することにしました。






追伸
10/23は「霜降」でした。二十四節気更新しました。
ご興味がある方は、干し芋のタツマのトップページからどうぞ。
干し芋のタツマ
二十四節気「霜降」の直接ページはこちら
霜降

【芋日記】

日時:2014年10月24日 07:30

丁度良い大きさの紅マサリ

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紅マサリは、大抵どの畑でも形良く、大きく育ちます。
しかし、大きく育ってしまいすぎが良くあり、
それだと干し芋の原料芋としては不向きです。

そこで、干し芋にして丁度良い大きさに育てるようにするのですが、
この農家はそのあたりの按配がとても上手です。

【芋日記】

日時:2014年10月23日 07:38

収穫を頼まれました

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親しい農家から、収穫も干し芋加工も頼まれました。
干し芋作りが出来なくなってしまったとのことです。

干し芋に限らず、日本農業の高齢化は進む一方です。

【芋日記】

日時:2014年10月22日 07:30
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