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いもたつLife

【SPAC演劇】天使バビロンに来る 中島諒人演出

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喜劇ですが、世のために尽くすという心根が、自分さえよければ良いになってしまう人の性を謳う辛辣さがあります。ただし、そこから抜け出せる提示もしています。

舞台は古代バビロン、王は国のために尽くしています。外国には軍隊を派遣して領土を広げます。対国内は富国強兵のために、乞食さえも公務員にして働くことを促します。

国王は、頑なに乞食を貫き通す、たった一人乞食として残ったアッシを改心させようと自ら乞食になります。
そこに、天使がクルービという美しい女性を連れてバビロンを訪れます。クルービは「最も貧しい男」の元に天が差し向けたのでした。
乞食勝負をする王とアッシ、負けた王をクルービは愛するのですが、王はクルービをアッシに渡してしまいます。
アッシはその後宮殿の役人の首吊り男となります。

その頃、バビロンでは市民革命が起こり、宮殿ではどう収めようかと議論が進みます。
国民的に人気を博すようになっていたクルービを王妃にすることで、革命を鎮火させようとする王、首相、教会長でしたが、クルービはあくまでも最も貧しい乞食を探す、王妃にはならないと言い張ります。
そこで教会長は、その乞食は王だったことをクルービに話ます。驚いたクルービは王の下に行こうとしますが、「最も貧しい」のは王ではないとして首を振ります。
そうすると革命を収めることはできません。バビロンは・・・。


王は国民のために、領土を広げ富国強兵を進めます。
その両輪として、政治で支えたのが首相で、思想で支えたのが教会長です。
3人を含め国の首脳は、国を豊かにすることに尽くしていました。けれど、いつのまにか国民の視点とは段々ずれていってしまいます。これはよくあることです。

問題はそれに当人は気がつかないことです。
自らの地位を守るために権力を使い始めてしまいます。

アッシは王の方針、乞食をやめて公務員になることを拒みました。
なくなく首吊り男にはなりましたが、自由を奪われることには用心深くしていました。
だから、バビロンが崩壊することを察すると、国を飛び出していきます。

バビロンは、天の怒りを受けて崩壊するのですが、王、首相、教会長は崩壊ギリギリまで、その座に、権力にしがみつきます。国にしがみつくのです。もう難破船なのに。
国民も同じです。国にしがみつくのです。

飛び出したアッシとは対照的です。
砂嵐の中を懸命に歩むアッシ、その後を着いていくクルービの姿でこの演劇は終わります。
二人は野たれ死ぬかもしれません。でもバビロンにしがみつく選択肢はありませんでした。

アッシは乞食をやりながらもしたたかでした。
機転がきく商売人のようです。首吊り男の時も、王の圧制をかわしていました。
自分自身を失わない存在がアッシです。
だから最後クルービはアッシについていくのです。

自分自身を失わない、その前にバビロンの人々はどこまで自分の存在を知っていたのでしょうか?
自分を見つめるのは基本ですが、とても困難なことです。

【いもたつLife】

日時:2015年05月01日 08:35

「メフィスト 出世物語」クラウス・マン著

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1936年にクラウス・マンが亡命先で書いた、反ナチスの小説です。
主人公のヘンドリック・ヘーフゲンが、明らかにグスタス・グリュルントゲンスであることから、戦後西ドイツでの出版を巡って裁判にもなっている小説です。

ヘンドリックが政治的な思想とは裏腹に、ナチスの最高幹部に取り入って出世するのですが、演劇(芸術)にかける情熱も描かれますが、当時の社会情勢で揺れ動く人々の心の機微が生々しく感じられます。

小説では、ナチスが台頭していく時代から、巨大になったという時間軸です。
歴史を知っているからもう第二次大戦は免れないとして、当時のドイツを想像するのですが、発表されたこの本は著者の警鐘だったことがわかります。
ただ、あまりにも実在の人物と重なってしまったということですが、それもクラウス・マンが祖国をそれだけ憂いていることを感じます。

【いもたつLife】

日時:2015年04月29日 08:22

立川談春独演会 『百年目の会』(水戸)

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まだまだ上手くなっていくことを感じる、談春師匠の独演会でした。

ウォーミングアップのような枕から入り、
最初のネタは「替り目」、夫婦のやりとりにより重点が置かれていて、
夫の内弁慶ぶりとシャイに妻を想う心が見事い演じられていました。

そのまま高座で、今回の“30周年記念『百年目』の会”開催の主旨を絡めながら、話を始めます。プログラムでは「談春半生記」となっていましたが、
笑いもそこそこに、師匠の人生観を感じる内容で、
この落語会全体も、談春のこれまでと、これからを、言葉の間で感じる落語会でした。

仲入り後は、大ネタの『百年目』です。
これも師匠独自の解釈を入れての熱演です。
最後の挨拶で、「自分でここまで頑張ってきたと思う時もあるけれど、そんなことはない、自分は育ててもらったんだ。と、50歳前になって実感している」
とおっしゃっていましたが、その想いが込められている『百年目』でした。
素晴らしかったですし、師匠の今後に益々期待したくなりました。

2時間40分の落語会でしたが、あっという間でした。

【いもたつLife】

日時:2015年04月12日 08:31

【SPAC演劇】ハムレット 宮城聰 演出

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ハムレットは誠実だったのでしょう。それ故に悩んだ。

宮城聰さん演出の「ハムレット」は、ラストに大胆な解釈を入れています。
自国を異国の王に託すくだりで、敗戦国日本を重ねます。
今の日本も悩んでいます。その原因は、あの時から始まっているのは確かです。

ハムレットも、父の亡霊により復讐を命じられてから悩みました。
国を憂いながら悩んだのでしょう。
私は単にどうやって復讐をするべきか、でハムレットが人生の時間を費やしたのではなく、
国を治めるという大事と、復讐することにより自分がなすべきことができなくなる狭間で悩んだのだと思います。

現国王クローディアスのダメな政治は、父を無き者にしたのと同じ位の罪だとしたハムレット。
また、母のガートルートに対しても、安易な再婚の決断を許せないとしました。
狂人のふりをしてまで、愛するオフィーリアを寄せ付けず、自ら成すべき事をやりぬくハムレットは、どうみても、真剣に生きる人物です。
そして武石守正さん演じるハムレットは、愛情深く、聡明で、力強いハムレットです。

そんなハムレットでしたが、クローディアスの画策とはいえ、全てを失う結果となってしまいます。
無念極まりない最後です。
その中で、国のことを想い、異国の王に国を託す決断をします。

それが、宮城演出では、敗戦直後の日本になるのですが、
日本の決断は正解だったのでしょうか?
答えは「どちらでもない」です。
ハムレットが悲劇で人生の幕を閉じたように、悲劇として終わっても終わらなくても、
生きる苦しみは常に誰にでも訪れます。
確かに戦後日本は繁栄しましたが、それが続かないことは今誰もが感じています。

人生の喜も悲も、生きてきたある部分を切り取っての結論であって
どちらかなんて、決めるものではありません。
それよりも実感として残るのは、自分に対して誠実だったか、
ダメダメな自分にしては良くやった方か、そんな感触だと思います。
武石さんのハムレットはとても立派ですが、それでも もがいていました。
私のような凡人はもがいて当たり前です。
もがき苦しみ、悩み、でも一歩進む。それで良いではないか。と思える観劇でした。

【いもたつLife】

日時:2015年03月14日 08:34

古典ムーヴ・春爛漫【S-5】

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柳屋三三師匠、柳屋花緑師匠、立川志らく師匠、の贅沢な落語会でした。

三人のおしゃべりから始まり、一気に会場は盛り上がります。

演目は、三三師匠が、タイムリーな長屋の花見。
三三師匠は初めてでしたが、実力がありました。

花緑師匠は、何度も見ていますが、益々バワフルになっていました。
枕も絶好調。
演目は、井戸の茶碗。時間内に本当に上手くまとめました。

この落語会は、2日間にわたり5回開催されたのですが、その大トリが志らく師匠で、大ネタの文七元結。
志らく師匠も何度も見て、大ファンです。もちろん大満足。

実力派師匠三人の充実落語会でした。





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今月のお宝ほしいもは、“ほしキラリ丸ほしいも”です。
ご興味がある方は、干し芋のタツマのトップページからどうぞ。
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【いもたつLife】

日時:2015年03月10日 08:39

今年の蔵見学

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菊姫会総会の後、これも毎年蔵見学していきます。
並行複発酵という日本酒の仕込みは、大変複雑かつ繊細で、
菊姫酒造では、細かいことにまで神経を配っています。
蔵見学もゆうに10回以上ですが、毎年新しい発見があります。

【いもたつLife】

日時:2015年02月19日 08:42

第12回菊姫会総会

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昨日と今日、菊姫会総会が山代温泉で開催です。
毎年参加しています。
昨日は日本酒の勉強、唎き酒、懇親会と盛りだくさん。
今日は総会と蔵見学です。

【いもたつLife】

日時:2015年02月18日 09:34

再見 【SPAC演劇】グスコーブドリの伝記 宮城聰 演出

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「心が洗われる」なんて言葉を安易に使いたくありません。
けれどこの演劇は、その言葉を言いたい心境にさせてくれます。
けれど同時に、崇高な心でいたいなんて想いは、
すぐに日常に紛れてしまうことを深く感じることにもなります。

素晴らしいSPACの演劇「グスコーブドリの伝記」を再見することができ、
観劇が終わるとそんなことを考えました。

初見では、演者、舞台セット、音楽、照明を含めた演劇自体の完成度と、
どんな演出かということに夢中になり、また、グスコーブドリの生き様、すなわち宮沢賢治がどんな心境だったのか、そして宮城聰さんの解釈はどうか、またどうやって具現化するのか、それらを私がどれだけ受け止められるかに心を砕きました。
でも今回は、この演劇から何を受け取ることができるのかと、自分の心の動きを意識することになりました。

自分は残りの命を何に使うのだろうか?
グスコーブドリのように、イーハトーブの人々のために、平然と人知れず尽くす。
誰もができないことをやっても偉ぶることもなく、限られた命に対して嘆くこともなく、
生を全うすることは到底無理です。
なんてたって、このような素晴らしい演劇を観て、人に対しての思いやりの心が目覚めても、すぐに常の自分に戻るからです。

でも、グスコーブドリは大きな世界を対象にそれができる人物だったけれど、もっと小さな世界の中であれば、私でも彼と同じ心境で同じようなことができるかもしれない、または、少しだけならやっているのではないかと、立ち止まって自分を観てみることができました。

最初にこの演劇で強く感じたことは、グスコーブドリはいつも等身大だったことです。
再見して、そうか、等身大な自分でいることができれば、自らの心も安らかだし、今よりも少しはましな生き様になることが、自然にできるかもしれないと痛感しました。

ラストのメッセージでは、人は人へ繋ぐことができるでした。
なりたい自分になれず、結果を残すことも出来ずに人生が終わっても良いのです。
その過程で身近な人が何かを得て、良きことを繋ごうとするからです。

「グスコーブドリの伝記」を観て、やっぱり人は最終的には善な存在だと思います。
だから今の世も本当はもっと生きやすいのかもしれません。問題なのは、今の己を飾ってしまう心なのでしょう。






追伸
2/6に、2月の「毎月お届け干し芋」出荷しました。
今月のお宝ほしいもは、“いずみ薄切りほしいも”です。
ご興味がある方は、干し芋のタツマのトップページからどうぞ。
干し芋のタツマ
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【いもたつLife】

日時:2015年02月07日 08:29

【SPAC演劇】グスコーブドリの伝記 宮城聰 演出

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宮城聰さんの解釈ですが私には目の前に広がる世界は宮沢賢治の世界そのものに見えました。

グスコーブドリはイーハトーブに一生尽くしました。けれどそれはやれることをやるという等身大で、いつも心安らかでした。
自然は人のことなどおかまいなしです。何の意志もなくバランスをとっているだけです。人は知恵を絞りその恩恵を得ようとしますが、時になすすべなく絶望を強いられます。

グスコーブドリはそんな厳しい自然といつも対峙していました。
その中で、我は何のために、誰のために、何をしたいのか、それを貫きました。

闇に浮かぶ白を基調としたセットと幻想的な音楽で冒頭からイーハトーブの世界に引き込まれます。
グスコーブドリの一生という長い時の流れを、シーンとシーンの間に闇を入れてテンポよく進めます。そして闇から現れた瞬間に、何が起きているかをすぐに感じさせる演出で、私はグスコーブドリの心情に注意を注ぐことができました。

彼の一生は悲劇に見えます。努力に対してあまりにも報われなかったからです。でも本人はそんなことどうでも良かったように見えます。その強さは自分に対しての嘘偽りのなさがもたらしています。
人は自分が何をしたかを自分が一番知っています。だからどれだけ真摯でいたかは解っています。ただ顔を背けているだけです。
そんな、自分に面と向った姿が宮沢賢治だったのでしょう。

幻想的な舞台上ですが、イーハトーブは生きていくのに辛い現実と同じ世界です。その場でグスコーブドリは等身大でできることを、またそれに呼応するように他の演者もできることをひたむきに演じます。
架空の世界からの問いかけですが、だからこそ、自分の現在の生き様を見つめてみようという気になります。

耐え忍ぶ生き方よりも、結果がすぐに出ないことに我慢できない今、自分の感覚以外は受け入れない風潮を強く感じる昨今で、宮沢賢治の世界に浸れることは貴重です。
そしいていつも宮城さんの演劇で思うことは、観客を信じ応援してくれることです。

宮沢賢治はイーハトーブを理想郷としました。理想郷とは安楽でいられるところではなく、自分を研鑽できるところではないかと感じます。でもその奥底には暖かい思いやりがある世界です。そんな宮沢賢治の世界が表現された希望があふれる演劇でした。

【いもたつLife】

日時:2015年01月22日 07:43

【SPAC演劇】変身 小野寺修二 演出

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原作が原作ですから、辛い物語ですし、割り切れない、やりきれない気持ちになります。

ある朝毒虫になってしまったグレゴール、しかし彼は虫の姿の人間です。
家族は当初グレゴールは虫の姿になったグレゴールとして捉えていたのが、
虫として扱うようになります。
そこには、愛や良心や善だけでは生きていけない社会の仕組みが隠れていますし、
人の心も、世の中も無常ではないという非情な真実でもあります。

グレゴールも家族も、いっそのこと、彼が心まで毒虫になってしまった方が良いと思ったでしょう。
また、最後のグレゴールの悲劇を考えると、人の心が鬼であった方が、良いのではとも思えてしまう怖ろしさがあります。

そしてグレゴールを失った家族は、まだ生きていかなければならない、グレゴールを失ったことを後悔しながらも、虫になってしまったのだから仕方がないことを自分達に言い聞かせるでしょう。
遺された人の宿命で、これも真実です。

そんな理不尽な内容を、この演劇では、人が重なり合うような動きで表現していました。
明暗がくっきりとした照明の中で、登場人物を強調する際、何人もの役者が重なりながらの演技になります。
SPACの俳優達はその身体能力を活かし、整然・毅然とした動きで観客に迫ります。

その動きを見ていると、虫になってしまったグレゴールよりも、グレゴールとどう向き合うかを迫られた家族の苦悩の方がはるかに揺れるものなのだろうと思えてきました。
もちろん、絶望となったのはグレゴールですが、家族であるグレゴールを厄介者としてしまう心の葛藤が描かれていた舞台だと感じました。

【いもたつLife】

日時:2014年12月14日 08:29
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