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銀幕倶楽部の落ちこぼれ

もうひとりの息子 2012仏 ロレーヌ・レヴィ

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イスラエル人とパレスチナ人の赤ん坊の取り違いがあり、
それが18年後の兵役検査で明らかになります。
そこから二家族の葛藤がはじまります。

映画は、民族間の深い深い軋轢でも、
政治からのトップダウンでもなく、
草の根からの個人が変わることで変えられるという希望を見せます。

その後で“そんな簡単ではない”“社会の一員である以上そんなことは身勝手だ”
ということを示唆します。

イスラエル人として育てられたヨセフは、ある日を境にパレスチナ人として宗教的な扱いを受けます。アイデンティティが崩れます。
逆の立場がヤシンで、彼は仲が良かった兄から突然憎まれる敵という存在になります。

この映画では自分像ということを考えさせられます。
もちろん生きるために必要な他人との関係であったり、
ある組織に属してることが安堵であるわけですが、
それが一人歩きしていることは間違いないし、便利に使われてきた虚なのです。

その虚のために長い年月にかけての深い憎悪があることを示します。

この映画は確かに希望をみせます。
人間誰しも紛争なんかお断りです。だからこういう素晴らしい映画がつくられます。
そしてこの映画の二家族は私達の願いをかなえてくれようとします。

ただこの二家族であったから希望に繋がったとも思えなくありません。
確かに取り違えを最初から受け入れようとした母親同士と、
なかなか受け入れられない父親同士を描いて物語は進みますが、
(子供達はもっと柔軟だった)
時間をかけても、どんなに子供達が主導となっても、
もっと悲劇をもたらすこともあり得ると、
現状を知らないけれど考えてしまいます。

だから問題提起としての映画でもあるととらえました。

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

日時:2014年04月21日 07:44

鑑定士と顔のない依頼人 2013伊 ジュゼッペ・トルナトーレ

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偏屈な年配の男にとって極めて残酷な教訓映画です。
金持ちという部分だけは違いますが、主人公の姿は将来の自分と重なりますから
なおさらです。

主人公は超一流の鑑定士、仕事も一流、
美術品に対してと、その真贋に対して自らの信念を持ち合わせています。
人付き合いはほとんどなしで、付き合いは実は悪さで絵画を蒐集しているの相棒だけ。
その絵画は価値ある美女像ばかりですが、
本人は生身の女性を愛することなく老いた男です。

その主人公の下に、ある時変わった依頼人からの鑑定の仕事が舞いこみます。
依頼人は27歳位の女性です。
何故か彼女は仕事を依頼しても姿をみせません。
そんなきっかけから主人公は彼女に惹かれていきます。
そして、人生の絶頂を迎えるのですが、というお話です。

途中で結末は見えてきますが、その観せ方の方が重要で、
それは効果的な演出、展開です。
主人公の台詞をはじめ、彼の仕事ぶりと彼女に溺れる様子や、
外堀を埋めるような伏線とその回収が上手くできているので、
嫌な映画ですが、良くできた映画です。

キーになる人物が機械修理工で、機械仕掛けをディテールとして、
全体を匂わせるところも良い演出です。
完璧に見える主人公が壊れる様と、壊れて復元されるアンドロイドが出てきたり、
単なる歯車を見せておいて、
ラストにはその歯車に覆われる主人公の姿を引いたカメラを写してみせたり、
真贋に対する台詞と纏わって、彼女を二人登場させたりと、
観客に考える余地を残している映画です。

主人公は迷ったのか惑わされたのか、
何十年と続けていた自分らしく生きる生き方を貫くことの路線変更をしました。
そこから転落が起こるわけですが、
人はいつも自分らしく生きることに不安を持っているものです。
そこを突かれたのです。
だからとてもキツイ映画でした。

一家言ある人物でさえ、やっぱり人の子ですし、
貫くことの困難を感じますし、
主人公の冒頭の鮮やかなまでの仕事ぶりが脆いものだということは、
私達の人生の今の姿なのでしょう。

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

日時:2014年04月20日 08:57

捜査官X 2011香/中 ピーター・チェン

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ミステリー、アクション、法とはという問題提起、血縁、争いの連鎖、
という多くのテーマが盛り込まれている娯楽作品でした。

アクションは、冒頭とラストのクライマックスで、これを目的でも十分に堪能できるでしょう。
ミステリーは前半部分、それが明かされていくと、
法とはという問題提起、血縁、争いの連鎖の問いかけがあります。

主人公リウは凄腕の格闘家、腕と出生を隠しながら平和な村で妻子とともに穏やかに暮しています。
ある日強盗事件と出くわし、仕方なく正当防衛に見せかけて強盗を殺します。
誰もが運よくリウが強盗二人をやっけたと思う所を、
有能な捜査官シュウは、素人のリウが札付きの強盗たちを倒せたことに疑念を抱き、
彼の身辺捜査に乗り出していく。というお話です。

私が注目したのが、「法とはという問題提起」。
人は神ではないから、法を絶対とすることで秩序が守られるというシュウの信念は、
彼の過去の失敗の経験から得たものです。
けれど自らの信念に揺らいでいて、それと葛藤します。

もうひとつは「血縁」。
リウは呪われたような家に生まれ、特殊能力ともいえるほどの身体能力を備えましたが、それは一族の復讐のためでした。
そこから逃れていたのですが、「血」は逃れているリウを放っておきません。

この二つのテーマに対しての答えは出さないで、問題提起だけで終わってしまって、消化不良気味でしたが、清朝滅亡後の田舎の村、冒頭からの優美な風景描写という幻想的な設定と相まって訴えかけてきました。

まあこの映画の骨子は、
一族から抜け出したヒーローが、掴んだ幸せを守るために命を懸ける、
というものですから問題提起だけでも十分なのでしょうし、それらを含めてアクションを楽しむ映画でした。







追伸
4/20は「穀雨」です。二十四節気更新しました。
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二十四節気「穀雨」の直接ページはこちら
穀雨

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

日時:2014年04月19日 07:30

銀の匙 Silver Spoon 2013日 吉田恵輔

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この物語には“別れ”がたくさんあります。
改めて、別れが人を大きくしてくれることを教えてくれます。

舞台は北海道帯広の日本一広大な農業高校(蝦夷農)です。
登場人物は、大自然下の農学校生と先生と父兄、そして馬、牛、豚、鶏の家畜と競走馬です。

主人公の八軒は札幌一の進学校を挫折、父親との確執から全寮制である蝦夷農に進学します。周りは酪農農家の後取り達なので一人浮いた存在です。その彼が仲間や厳しい酪農業の世界を体験して成長します。

私も農業の体験がなく、でも今は干し芋農家をしていますが、やはり驚くことが多かった体験があります。八軒も思いもよらない体験、農業の厳しさ、経済原則を学ぶのですが、農業の中でも酪農の方が普通の農業より大変でしょうから、彼が孤独を乗り越える必死の姿(あまり大変なところは映らなかったので想像して)に賞賛します。

まず彼は、父親との別れがありました。
その後、入学してすぐに出会った子豚との3ヶ月後の別れ(豚の食肉への出荷)がありました。
それ以外にも、離農してしまう親友になった同級生(駒場)との別れ、
彼女になりそうなアキと一緒に育てた馬キング号との別れがありました。
また、離農による生家や育てていた家畜と駒場の別れも描かれています。

ここに登場する人びとはいつも別れを前提に生きている人達です。
別れは辛いもので、なるべく避けていたいのが人情です。

また、この物語は“逃げる”ことの再定義をしています。
一般的に逃げるのは良くないこと、失敗という価値観を持っています。けれどこの物語では、仕切り直しの一環だとします。
これには大きく同意です。
結果的に自分から積極的に選んだとしても逃げることはあまりやりたくありません。
しかし、逃げる方が良いという時、そしてそれが意図して判断されたなら、一般的な逃げるの意味を持ちません。そこに言及しています。

だから、駒場の離農は逃げるではなく、次へのチャンスを掴む第一歩です。
それを諭された八軒は、逃げてきたと思い込んでいたこと=自己の否定から解き放つために周りに尽くすことを決めます。(それがクライマックスの蝦夷農祭のばんえい競馬のプロイデュース、成功で描かれます)
それを後押ししたのが別れです。
八軒は別れがあることに意識的になることで、いてもたっても居られなくなりました。
入学以来どちらかと言えば失敗の連続、自分の力のなさを味わいます。しかし夏のバイトと豚の出荷(別れ)で、自分でもできることがあることを学びます。
そして、駒場との別れ、キング号との別れを目前にした時に自分という存在ができる精一杯を試しました。


死別をはじめ別れは悲しいことです。
だからなんとかそれを避けようとします。それは問題ありません。
けれど、最後には対峙することを心に期すことが大前提です。

この物語の八軒は成長しました。やっぱり別れは人を大きくします。
私は良く死ぬための死生観を持つためにも別れがあるのだとも思いました。





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【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

日時:2014年04月05日 07:25

永遠の0 2013日 山崎貴

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劇中に、特攻を自爆テロと変わらないことを平然と言ってのける若者が出てきました。流石に演出でしょうけれど、あの大戦が風化していくことは避けられないことの一例です。
だから、この映画(原作)は反戦としてもとても価値がありますが、私は個人的に、主人公が個人の自由がほとんどない状況下、打つ手もわずかしかない、そして死が決められた中で、いかにして目的を遂げようとしたか、に凄みを覚えました。


主人公の宮部久蔵は目的遂行のためにぶれない男です。私にとって鑑のような英雄でした。
それは三つの観点からです。(有名な映画なので、状況説明しないで感じたことを書きます)
一、 目的が利他です。
宮部は家族のために自分の命を如何に使うかを考え抜いていました。
そして大きい目的のための小さな目的を定め、また、それらを遂行するための準備を怠りません。そしてチャンスを待ちます。

宮部は仲間から何を言われようとも自分を貫きます。それは強いからできることですが、目的が自分のためでないからできることです。
そして、何が起こっても成し遂げる体を鍛えていました。それは精神力も鍛えることにもつなげています。
そして機を待ちました。特攻に志願したタイミングは多分、そこしかない機会でしょう。ゼロ戦のエンジンが不調、そして大石という託せる男が来たことです。


二、人は、人に託すことができる。
宮部は生還が目的ではありません。妻と娘を幸せにするのが目的ですから、自分の命を捨てることでそれが達成できるなら、賭けになりますが、可能性が残る方法がそちらにあることを見抜きぶれることなく決断しました。
そしてここも用意周到です。いつどうなるか解らないから、いつでも義を通した生き方をしていたのです。誰かに託すことを狙っていたわけではありません。目的を達成するためのオプションを増やすことを淡淡と行っていたのです。
だからいざと言うときに、信頼できる人間が現れます。(それは死後にも妻の前に現れました)


三 諦めない。
だから二つの相反する状況でも打開策を見つけることができました。
宮部が何故特攻に志願したかが最大の謎でした。
宮部は、部下の特攻に護衛として付きながら、それを成させることに無力な自分に対して生きていてはいけない男だと、自分に十字架を架しました。けれど自分が特攻に志願することは目的を達成できなくなることも重々受け止めていました。
その同時が適うことを考えついたのです。そしてそれは前述したことが実を結んだということです。

真剣に生きるとは宮部のような生き方なのでしょう。もちろん誰もができるわけではありません。
できない大きなひとつは、生きている目的として何を持っているかが問題であるからです。
宮部のように、目的が自分の魂の叫びであるかで、これが第一歩です。


この物語を見て私にはそれが何か?を考えてしまいます。
これに対して腑に落ちていないということは、人生を遠回りしているということであるとも思います。
でもこれはとても難しい問題ですし、だからそうたやすくわからないし、だから苦労するのですが、ヒントはあります。

苦労する道を選んでいくことです。大抵正解はそちらにあります。
利他とはそういうものです。
そして美しく生きようとするのを邪魔しているのは自分自身です。

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

日時:2014年04月04日 07:39

ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅 2013米 アレクサンダー・ペイン

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息子たちに、そして長年連れ添った妻に、何も残すことができないから、
騙されたとわかっていても、賞金の100万ドルを手にすることを夢見てしまう親父と、
それに付き合う息子、巻き込まれる家族達をひっそりと描いた心に染みる映画です。

父親は80歳を超えているウディ、モンタナから1500km離れているネブラスカのリンカーンまで当たってもいない100万ドルを、どうしても取りに行こうとします。
長男のロス、次男のデイビッド、妻のケイトに止められても聞きません。
仕方なくデイビッドが仕事を休んでウディに付き合います。
旅の途中には、ウディとケイトの故郷があり、親戚や古い友人がいます。
立ち寄ると100万ドルが当たったことをウディがしゃべったために、
ちょっとした街の英雄に、そして、カネに群がる親戚や友人がでます。
(カネに群がらない友人もいます)
しかし、賞金は偽物というカラクリがばれて馬鹿にされてしまうウディ、
でも彼はどうしてもリンカーン行きをあきらめません。
最後の最後まで付き合うデイビッド、結局(あたりまえですが)賞金は架空、
ウディは現実に戻ります。
でもデイビッドが素敵な現実を演出してくれました。

ウディがやることは、迷惑をかけるばかり、
若い頃からのようで、おまけにその頃から大酒のみ、ケイトには叱られてばかりの毎日だったことが目に見えます。
お人よしで人に騙されたことも何度もありそうです。
デイビッドは父親の故郷で、自分の知らない父を知ります。
ひとりの男として生きていた父を想像します。
今は半分呆けた老人ですが、彼の人生を想像するのです。
そこには大きなドラマなんでありません。けれど、こんな機会があることがとても貴重に観ていて思います。

そして何故そこまでして、騙されていることがわかっていて、100万ドルを夢見るのかをデイビッドがウディに尋ねると、「何かを残したいから」言います。
「お金なんか必要ではない」それに答えるデイビッド。

ウディは息子たちに(おそらく妻にも)、必要なものを与えたいのではないのです。
ウディは「残すもの」が“欲しい”のです。

半分厄介者にされていますが、親はいつまでも親です。
子供が幸せになることが心からの願いです。

ウディは100万ドルがそれを適えると信じていたのです。
違う形で与えることができました。
ウディはデイビッドに、この旅の想い出を遺すことができたのです。

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

日時:2014年04月02日 07:35

危険な関係 2012日 ホ・ジノ

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悪貨は良貨を駆逐できませんでした。

1931年上海の上流階級が舞台です。
男に服すことを決して拒む女性実業家のジユは、
彼女を捨てた富豪が若い処女を婚約者に選んだことが許せません。
彼女はこれまでの生き方通り、自分が他よりも優れていることを証明するために、
富豪の恋を台無しにすることを決めます。
そのパートナーは、女を落とすことをゲームのごとく楽しむプレーボーイのイーファンです。彼にそれを依頼しますが、イーファンにはそんなことはお茶の子さいさいです。
片手間でできることから、もっと魂を揺さぶることをしたいと言います。
それにジユも乗っかります。そのターゲットになったのが、貞淑な未亡人のフェンユーです。
若くして夫を亡くした彼女は、生涯亡き夫を慕って生き抜くことを心に硬く決めていました。その態度がイーファンの闘争本能に火を付けたのです。
ジユもまた、その目的にまっしぐらのイーファンを見ていたいし、
貞淑な女が堕ちる様を見ること、それに携わることは、彼女の屈折した魂にとって何よりの餌なのです。

イーファンとジユはゲームを楽しみます。
イーファンは若い娘を落としながら、フェンユーに巧妙に近づきます。
ジユは、イーファンが若き娘を落とすことが願望で、また、彼がフェンユーに手子摺ることも想定内で、イーファンが彼女らを弄ぶことを自らの喜びにします。
しかも若き娘と相思相愛の男までも愛人としてしまう、徹底した世に対する支配を成し遂げて自らの優越を誇示します。

イーファンは今までのプレーボーイでは通用しない、落ちない頑ななフェンユーに手こずりながらも、一歩ずつ彼女の心に入り込みます。プレーボーイの面目躍如です。
そして終に彼女は、偉大な亡き夫の呪縛から離れて、今の自己の気持ち(イーファンを愛する自分自身を許す)を彼女の内面に受け入れることができる=彼女がイーファンを迎い入れることができるようになります。
満を持して(実はイーファンがジユに急き立てられて)イーファンはフェンユーを別れという奈落の底に落とします。

ジユもイーファンも目的達成です、
他人を貶めることで自己の感情を満たすという、これまでのやり方通り、今回も満足を得ることができたはずでした。
でも今回は二人とも違和感が残ります。

イーファンがフェンユーの一途な愛を拒めなくなるのです。
ゲームである以上、フェンユーを愛することはご法度、あくまでもフェンユーを奈落の底に陥らせることがルールです。
でもあまりにも一途なフェンユーとの触れ合いで、ミイラ取りがミイラになってしまったイーファンです。
それを見抜き許さないのが、ジユです。
強引に既存の路線、完膚なきままにイーファンがフェンユーを貶めるシナリオをお膳立てして見事に成し遂げたのですが、イーファンはそれを渋々受け入れたのですが、彼の魂は叫びを上げました。
その結果は・・・。

イーファンは自業自得の最期を迎えます。
イーファンから三行半を宣言され、生きる気力も失った傷心のフェンユーですが、
イーファンの最期に立ち会うことで、再生します。
逆に、イーファンをも支配することを遂行した結果イーファンを失ったジユは泣き崩れます。


三人三様のラストでした。
イーファンは、あまりにも自分を愛してくれるようになったフェンユーの愛を裏切ることが出来ませんでした。(これまでの性で一度はフェンユーを地獄に落としますが)
ジユにとってイーファンは、彼女と互角に立つ唯一の男でした。もちろん愛していたし、戦時の上海で生き抜くためにお互いに切磋琢磨できることを認めた存在でした。
けれど、イーファンがフェンユーを自分よりも愛してしまったことは、彼女にとって許しがたい事実でした。
だから、自分たちは平静でいて、落とす相手が堕ちることを絶対のルールとして、その執行をイーファンにも強要しましたが、その結果は、彼を失うという悲劇でした。
彼女は初めて失う体験、自分の思い通りには、やっぱりいかない体験を(多分10年ぶり位)二十歳で体験した依頼体験しました。(この二十歳の挫折が現在のジユをつくりました)

イーファンは非業の最期を、ジユは自らの行為を否定しなければいけないことに直面することになります。

圧倒的に優位な悪の二人がほとんど思いのままになるはずだったことが、
フェンユーの一途な心がそれを瓦解させました。
後一歩で悪貨がまたこの世に闊歩する寸前だったのに、です。


フェンユーは清き心が過ぎているほどの純な女性でした。
亡き夫を慕う気持ち、亡き夫が偉大だったから余計に、夫に対して操を捧げる決意をしていましたし、それが彼女自身の生涯の幸せだと、自分に言い聞かせていました。
そこから解き放させたのがイーファンです。
だから、亡き夫同様にイーファンにも愛を捧げることを自己の幸せとしたのがフェンユーですし、それが心の底から湧き上がる行為です。
この気持ちがイーファンを動かし(ゲームをできなくさせ)、その波及がジユの勇み足(結果イーファンを失う行為)に繋がりました。


ラスト、フェンユーは亡き夫の意志を継ぎ、教師として生き生きと祖国に尽くすシーンです。
夫からの呪縛から救ってくれたイーファンのお陰です。彼女は心の自由を手にしました。もちろんイーファンを愛したこと、愛されたこともこれからの彼女の心の支えです。


物語は、悪の二人、ジユとイーファン主導で進んでいて、二人の思惑通り進み、二人とも果実を得たかに見えましたが、果実を得たのは結局はフェンユーでした。
どうしてこうなったのか?
三人のうち、フェンユーだけが素直だったからです。
だから一番傷つきました。一番悩みました、揺れました。
でも自律できました。
ジユとイーファンは、今の状況から抜け出したいけれど、出来ませんでした。
何故なら、素直ではなかったからです。心の叫びを打ち消すことに一生懸命でした。


人生を振り返ると、素直になれば上手く行っていたと思えることが少なくない数あります。「素直になる」できそうでできない深遠なテーマです。

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

日時:2014年03月16日 08:32

抱きしめたい 真実の物語 2013日 塩田明彦

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子供の頃、さほど頭も良くなく、足が速いわけでもなく、力があるわけでもなく、
だから小学校や中学校でクラスの代表に選ばれることもなく、
そんな平凡な自分を卑下したことがありました。
大人になって、今どんな仕事をしているかというと、
もちろん誰も出来ないような仕事をすることなんてできません。
誰にでもできることを、やっています。
でもそれを続ける健康があることに、ある時気がつきました。

今は普通に毎日仕事をしても、あそこが痛い、ここがつらい、ということない体を授けてくれた両親に、(たまにですが)感謝できます。


この映画の主人公二人とそのご家族の苦労は図りきれません。


私の日常は奇跡なんだと思えてきます。


主人公とその息子さんは、これからも生きていきます。
本当に頑張って欲しいです。

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

日時:2014年03月15日 07:45

カノジョは嘘を愛しすぎてる 2013日 小泉徳宏

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お互い好きなのに、状況、環境で引き離されてしまうという、
よくある恋愛ドラマですが、もう資本主義は成立たないことを、
こういうドラマでも嫌ってほど感じてしまいます。

主人公は曲つくりの天才クリエーターの秋。
ヒロインは、こちらも天才シンガーの原石の理子。
秋は現在大ブレーク中の人気バンドクリプレの元メンバーでしたが、
音楽業界に裏側を知って脱退、ただし、幼馴染がやっているクリプレに曲を提供しています。
ある時恋人のい人気歌手茉莉との関係が嫌になっている時に理子に出会います。
純粋な理子に恋します。理子も只者ではない秋に惹かれます。
けれど、茉莉はじめ、資本主義の権化のプロデューサー高樹や、秋に変わってクリプレのベースの天才ベーシストの心也の画策で理子と寄り添えないというお話です。

悪役(というほど悪役ではありませんが)の3人に道理(茉莉は微妙ですが)があって、どちらかというと、秋の方が我侭というところが味噌です。
その道理というのが、もう機能しなくなってきている資本主義という構図です。

まあ純粋に二人の純愛が成就するかももちろん気にかかりますが、
音楽業界を題材にして、これから価値観が変わっていくことを提示しているようです。

消費者が消費したいものを手に入れる、その方法として便利だということで発達した資本主義でしした。音楽を含め本来はそれ以上でもそれ以下でもなかったはずが、どうやって消費させるかという方向へあまりにも過剰になっています。
まあ経済が拡大するという大前提の上で日本経済は成立たせているから仕方がないのですが。
その価値観が崩れるのは間違いありません。
この映画の主人公二人の抵抗は(純愛と)そこに原因があります。





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【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

日時:2014年02月25日 07:39

ジャッジ! 2013日 永井聡

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バカ正直で不器用な男と、その隣であきれながらも優秀な女が人肌脱いで、
なんとかなる。
ちょっと教訓が入ったラブコメディです。

ダメ男だけど一生懸命だから神が味方してくれたような男が主人公です。
相手役は、クールビューティでギャンブル好きの才女ですが、彼に心が傾きます。
主演二人も結構尖ったキャラクターですが、
その他にも多様なキャラクターを設定して、
架空の広告祭という舞台を作って、その上でたくさんの出来事が起きますが、
伏線を含めて広げた風呂敷がちゃんと回収(畳まれて)されていきますから、
安心して楽しめる映画でした。

良心に素直になろうという教訓は、ちょっとベタですが、
そんなことが頭の片隅にもよぎらないような世界観の人物にとって、
新鮮ですし、実直にそれを実行することで、心が変わるのは普遍的です。

彼女が主人公に惹かれていくのも自然だし、
国際広告祭ということで、多民族が彼を慕うところもよかったです。
ここにもメッセージが込められていたのでしょう。

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

日時:2014年02月22日 07:47
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