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ブログ 今日のいもたつ

君の名は 第三部 1954日 大庭秀雄

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第三部は、
悪役としての位置づけの者達も、徐々に収斂されます。
それはイコール真知子と春樹がいよいよ結ばれるということですが、
一筋縄ではいきません。
真知子が病に蝕まれます。

最後まで引っ張ります。ハラハラさせます。

『悪い人なんていない、みんな良い人なのにみんな幸せに何故かなれない』
と真知子が憂います。
それに気づく悪役とそれに賛同する物語を動かす人達、
で事態は好転するのですが。

最後二人は念願がかないますが、その後は想像に任されます。

全編を通しての感想ですが、
二人の未来はどうでも良いのです。
二人が結びつく過程が全てですから。

『美意識を共感する』
それが、この物語です。
淡路千景が途中で言います。
『私にはできないことを二人はやり遂げようとする』
だから自分ごととしていると。
そして、最後の最後に数寄屋橋で忘却の定義を口ずさみます。

彼女が一番、当の二人よりも二人の物語をわかっていたようです。

二人は純愛ですが、美意識の中で生きていました。
どちらもかけが得ない崇高な生き様です。
二人はかなわぬ恋に、
触れることができないことに、
困難と直面し、それと対峙することに、
魂の消費を賭けていたのです。

当然その行為は他の登場人物を巻き込みます。
観客をも巻き込みます。

この物語は、物語と同化する者を、
同化するものが勿論持つ美しさの魂を肯定する物語だったのです。
(その定義に反発するアウトローがいることは置いておいて)

それは今では通じません。
あの時だからです。
日本が戦争から解放されるのに必要な自信を得るための、
日本人が持つ美意識をどこまでも追求する物語を、
次へ次へと引っ張る演出で魅せてくれた物語です。

だから歴史の一ページとして刻まれている物語であり、
その映画化です。
そして、映画化にあたって豪華キャストでつくられたことで、
今尚それを確認したいと思わせる映画として成り立っています。

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

日時: 2013年03月28日 07:35