いもたつLife
【5月大歌舞伎】

三代目尾上辰之助 襲名披露狂言
一、鬼一法眼三略巻(きいちほうげんさんりゃくのまき)
劇中口上で三代目尾上辰之助の襲名披露が行われました。もちろん主役の牛若丸は辰之助で、家来の知恵内は実父の松緑です。
勧進帳では弁慶が義経を打ちますが、この芝居では知恵内は牛若丸を打てません。
菊の花が咲き誇る演目で、おめでたい襲名披露狂言でした。
二、歌舞伎十八番の内 助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)
舞台は吉原の三浦屋で、花道から禿と新造を引き連れた五組の花魁道中という華々しい幕開きですが、その後も、トップ花魁の揚巻の豪華絢爛の花魁道中、妹花魁の白玉と続きます。
そして満を持して助六登場です。
ここからはロードムービーのようです。
助六とその兄に、豪華な顔ぶれが次から次へと絡んでいきます。
一幕二時間ですが、衣装や美術だけでなく、敵討ちの物語あり、笑いありで見せ切ります。
歌舞伎十八番の一演目を堪能できました。
【いもたつLife】
【spac演劇】王女メデイア 宮城聰 演出

前回の最前列中央から6列目中央で二度目の観劇です。全体を追いながらみることができました。
まず注目したのがメデイアの息子殺害シーンです。ここで劇中メデイアは一度だけ言葉を、叫び声を発します。その後はナイフを口に咥えて、息子の衣服を整えてから刺します。
当然逡巡がありますが、その迷いを断ち切ります。口をふさぐのはスピーカーからの支配を、息子を殺めるのも劇全体のテーマである、男から社会からの解放の場面でした。
また、女性の衣装が、被り物での着物、着物、赤のドレスと変わります。最初は遊郭の顔見世、次は仲居、最後のドレスは女性の独立の示唆だと改めて解ります。
これらも女性が男性と対等への道です。
また二度目は音楽の感じ方も異なりました。一度目よりも、荒々しさや時に台詞を遮る騒音のような所に気が付きました。また、仏壇に向かって一度だけ鳴らす「チーン」という音も何度かありました。荒々しさはメデイアの心情の高まり、騒音は男どもの横暴への抵抗、「チーン」は、復讐を決意したメデイアであっても自然と祈りを捧げなければならない現れと捉えました。
そしてラストですが、一度目はとにかく「たきいさん」にくぎ付けでしたが二度目はメデイアのその後を考えさせられます。
為政者と息子を殺したのですから、十字架を背負って生きていくことは間違いありません。しかし抑圧から解放されたのも事実です。ただ、この劇は日露戦争の勝利の頃の設定ですから、欧米列強に肩を並べる機会になった時代です。すると、それらの国から目を付けられるわけで、でもイケイケです。歴史を知っているので後出しジャンケンなりますが、メデイアも苦難の道を進むのでしょう。
そしてこれは2026年のせかい演劇祭全体を通したメッセージです。
今不穏が増し続けている世界です。庶民は何もできないようで、そうではないということを語ってきます。これまでの諍いの歴史を知ることで、またそれにどうやって抗ってきたことを知ること、全く知りもしなった他国の文化を知ることで、今を気づく者が一人でも増えることは意義があります。
そして何より自己責任で生きていくことを覚悟したいと強く言い聞かせました。とんでもない世界になりその犠牲になるとしたら、演劇を観ていても観ていなくても同じだとしても、その覚悟がほんの少しかもしれませんが勇気と生きる糧になるのではないでしょうか。
【いもたつLife】
【spac演劇】Qui som? わたしたちは誰?

作:カミーユ・ドゥクルティ、ブライ・マテウ・トリアス
制作のバロ・デヴェルはカタルーニャの劇団ということで、地政学的にとても危うい地域なのでしょう。劇自体でそれを感じました。また、音楽もカタルーニャに根差したものなのでしょう。歌声も含めて独自の雰囲気もありますが、とても開かれた音楽です。
そして演劇はまさに、ここに住む人たちの生き様でした。仲間が集い、共通の敵に戦うようにも見えますが。我々は強くなるのだという訴えかけです。でもその仲間とは、同じ故郷であることはない、来るものは拒まずという演劇で、それは今の世の中で繰り返される人々がすぐに引きたがる悪しき境界を取り除くメッセージが包含されています。
歴史的に非常に厳しいことから切り抜けてきたその財産を、演劇に託しています。ラストの大団円は力を与えてくれました。
【いもたつLife】
【spac演劇】王女メディア 宮城聰 演出

【spac演劇】王女メデイア 宮城聰 演出
観劇したことがなかった「王女メデイア」は「マハーバーラダ」「アンティゴネ」等とは違うギラギラした野心が詰まっています。その宮城さんの若い頃の演出は、今よりストレートに世情への警鐘を感じました。
舞台は日露戦争に勝った頃でしょう。いつの世も同じでしょうけれど、男どもの勘違いを痛烈に描いています。また、弱い立場の女性が虐げられる歴史と、それに抗ってきたたことも歴史で、だから普遍性も謳っています。
劇は浮かれた男たちが女性を相手に好き放題楽しんでいます。そこで行われる劇中劇が「王女メデイア」浮かれて楽しむ演目ではありません。だからラストで女性たちからしっぺ返しを受けます。これは当時の日本や、または調子の乗った他の国に罹る重力です。
翻って、たまたま上手くいっている個人でもあります。それを重ねています。
強権を振る国にしろ、図に乗った個人にしろ、何がその状況がもたらしてくれているのか、人はすぐに調子に乗ります。挙句の果てがあの姿です。
しかし殺された男たちは胎内でもう一度自己肯定を行い、力を蓄えて、まっさらになり、リバースすることがほのめかされます。この演劇の唯一の希望も折りこめられていました。
(日露戦争後1945年まで突っ走った日本が生まれ変わりました。それが成功だったのですが、また危ういです)
他にも素晴らしい点がたくさんあります。その一つが主演のムーバーの実加里さんの動きです。能のようでもあり文楽の人形のようにも見えました。所作の美しさはもちろん、内に秘めた強い力が伝わってきます。
同じく主演スピーカーの阿部さん」も衰え知らずの凄味がありました。声の強さだけでなく、抑揚も含めて魂が揺さぶられます。また、スピーカーの皆さんで重ねる台詞も圧倒的です。観ていて巻き込まれていく感覚になります。
そんな感想とは別に、とても気になったことがあります。それは、たきいさんの立ち位置です。当初私は乞食役とみていました。また、浮かれた男たちを見て興ざめする傍観者でもあると解釈していました。kれど、劇中劇で一度だけ乳母になります。しかしラストは火事場泥棒になり高価な服を自分のものにします。そしてカーテンコール中もずっと抱きしめたままです。幾重もの象徴としての役どころでした。
乞食や傍観者は庶民であり私たちの代表です。乳母はそんな私たちは大きな力で歴史や社会に巻き込まれ傍観してはいられないことを示し、でも強かに生きる糧を手に入れます。しかしカーテンコールにも参加しないでそれを抱きしめ続ける姿は、七人の侍でラスト「勝ったのは農民だ」に重なります。
どんな状況になっても自分を信じ貫くのが大事です。でもそのためには自分を鍛えていなければなりません。
国や社会に全く頼らずに生きてはいけませんが、その気概は棄ててはいけません。
非情な演劇でしたが、素晴らしい演劇で心が揺さぶられました。
【いもたつLife】
【spac演劇】マライの虎―ハリマオ モハマド・ファレド・ジャイナル

今年のSPACの世界演劇祭は辛辣なテーマを笑いのオブラートに包んでいる劇が揃っています。
1943年に制作された日本のプロパガンダ映画「マライの虎」を演劇に置き換えるという設定で、二人の日本人男女とマレー系の男女、中国系の男の5人がお互いを尊重しながら、当時の、支配していた日本、その前の支配者イギリス、植民地にされていた東南アジアや中国の立場で映画を解釈し、演劇に活かそうとします。
戦時を振り返り、映画の場面の一つ一つの登場人物の心情をはかります。
これができるのは戦時ではないからです。経済的な軋轢や領土問題の小競り合いがないとは言いませんが、事が起こっていないからばかり違う立場、人種が対等に議論ができます。
それは非常に多大な労力が背景にあるからだと強く感じました。
劇の最終盤に、東京裁判での日本の叫びがありました。
何故裁判官は戦勝国だけだったのか?
何故原爆投下は罪にならないのか?
日本人としてはこの叫びを発する気持ちはよく解ります。
けれど、植民地化された国の人々はどう受け止めるのか、とっても気がかりになりました。
いくら理不尽な裁判であっても、戦勝国の横暴であっても、日本が戦争を起こしたことが、アジアを支配したことが亡くなり訳ではないからです。
【いもたつLife】
【spac演劇】うなぎの回遊 石神夏希 演出

生態がまだ解明できていない“うなぎ”。川から何千kmも離れたマリアナ海領までいって産卵する生命の強さ、またこれ以上ない美味、そしてだから経済の、儲かる道具としてずるい輩に利用されてしまう運命、そのうなぎが縦軸になっています。
そして横軸は演者それぞれの生きてきた歴史です。
コロナの後遺症で記憶を保てなくなった女性、ブラジルから移民をしてきて必死に生きる女性、その女性を励ますようにブラジルのケーキを焼く女性が登場します。
また縦軸のうなぎを調査する科学者や、養鰻業者の男、そのうなぎを釣る市井の親子も劇を進める推進者です。
そして劇中劇として舞台に立っている女優は私はここで生きているといいます。
それは同じ場所に同じように暮らしていながら別の個々人です。
うなぎはどこで産まれてどこに行くのか?それを探っていることをそのまま、私たちは何者なのか?どうして生まれてきたのか、何をするためなのか?そして死ぬとどこに行くのか、死とは何か?を掘り下げる王道の劇でした。
でも面白い、テーマは重たいですが、時にシリアスですが(ブラジル女性がこれまでのことを吐露するシーン等)、リズミカルに場面が変わるので引きずりません。それはそれが世の中だからです。みんな一人の人にかまってなんかいられません。でも貴い存在であることを否定なんかしない構成になっています。
私にも大切な家族がいます。いつまでも可愛がっていたい子供や孫、猫もいます。そして家内にはどんな感謝の言葉でも足りません。
でもいつか別れがきます。だからこそ生きていたいと思わせる劇でした。
最後の皆で食べるケーキはその象徴でした。
追伸
5/5は「立夏」です。二十四節気更新しました。
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干し芋のタツマ
二十四節気「立夏」の直接ページはこちら
立夏
【いもたつLife】
【spac演劇】マジック・メイド

コンセプト・創作・ドラマトゥルギー・出演:アイサ・ホクソン、ヴェヌーリ・ペレラ
ほんの数十年前、いや今でも、日本を含めて女性蔑視の社会はあります。この劇ではそれを、声を高くして正論をかざして訴えたりしません、行間を読むことを促すように諭します。直接の描写は演者二人のたまの台詞だけです。
最初から二人は淡々と掃除をします。魔女のように箒にまたがって。その姿も、メイドとしてご主人様に、または虐げられている女性が、金と権力で服従させられているような姿も、見ていて女性がこれまで受けてきた蔑視の長い時間を想像させるのに十分です。
でも笑わせます。だからそれが一段と厳しく受け止めてしまいます。
二人はなぜ掃除をしているのか?それは汚れ(穢れ)を払うためです。
観客を巻き込んでの会話は劇中あるのですが、最後の最後に観客に箒を持たせて二人の代わりの掃除をさせる演出が良かったです。良かったというより傍観者でいることにノーを突き付けられました。
まるで為政者に尻拭いをさせるブラックユーモアでした。
笑いを含めて気づかせる、実はこれが実感を持っていない人(私を含めて)に問題意識を与える一番の方法なのでしょう。
【いもたつLife】
【2026年4月 大歌舞伎】

一、廓三番叟(くるわさんばそう)
今回の目玉は2演目なのは間違いないのですが、そこへの入りとしてこの舞踊は華やかで良いです。裏表先代萩がシリアスなだけにです。
二、裏表先代萩(うらおもてせんだいはぎ)
武家の世界の攻防と庶民の世界の攻防の対比が交互になります。
策略も違えば欲得も違います。そんな2種類の面白さに加えて、妖術も交えます。また、裁きの場面もあり最後は捕り物になります。
歌舞伎の面白さが様々に詰まった見応えある通し狂言でした。
【いもたつLife】
グランシップ静岡能~雛の宴~(宝生流)

人間国宝の大倉源次郎さんの解説から始まりました。
ミニ知識の後、観客全員を惹きこんでの謡の優しい稽古です。「高砂」を皆で習い、その流れで最初の公演は「舞囃子 高砂」です。この解説とても上手で楽しく能を親しみやすくしてくれました。
そして「高砂」の次は「狂言 節分」、休憩を挟んで「能 西王母」でした。
“能サポ”というスマートフォンの字幕アプリに助けられて、どの公演も筋が解りながら堪能できました。
加賀のひな人形と雛道具の貴重な展示もあり、このグランシップ静岡能が人気があることも頷けます。
能が身近になりました。
【いもたつLife】
【2026年2月 大歌舞伎】

一、一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)
武士らしい生き様を描いた骨のある演目です。ラストをじっくりと見せてくれるのも良いです。
これまであまり馬を気にしたことがなかったのですが、良い味付けでした。
二、雨乞狐(あまごいぎつね)
鼓に合わせて変化しながらの舞踊です。楽しいばかりではなく、厳粛な雰囲気でした。
三、梅ごよみ(うめごよみ)
向島三囲堤上の場より深川仲町裏河岸の場まで
粋な深川芸者二人の意地の張り合いが見ものです。それをまた上手く、コミカルに、それぞれのキャラクターそのもので演じてくれます。
男気がある気風の良さは二人とも共通ですが、人間観がほんの少し違っていて、その違いが面白いのです。
きっと江戸深川ではこんな日常だったことがうかがえますし、その世界に浸らせてくれました。
追伸
2/19は「雨水」です。二十四節気更新しました。
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