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ブログ 今日のいもたつ

銀幕倶楽部の落ちこぼれ

幕末太陽傳 1957日 川島雄三


何度観ても、その精緻さに感心、歓心します。

時は幕末の品川の遊郭、街では尊王攘夷派と幕府が一触即発の中、町人がしんなり強く生きる、武士の理屈は机上だと言い放つ、この普遍の構図を、佐平次(フランキー堺)が大活躍することによって、痛烈に痛快に川島雄三は言い放っているのですが、それを傑作喜劇として作り上げています。

そのテーマに沿って「居残り佐平次」を中心に、「品川心中」「五人廻し」「お見立て」「三枚起請」これらを入れ込んでいるのですが、よくも見事に破綻なく物語として纏めています。落語好きだからもありますが、「文七元結」や「付き馬」のテイストも入り嬉しいばかりです。

そしてリズムが良い、佐平次のキャタクターが良くて、その動きがスピーディーでまた良いです。

そして随所に川島雄三にある暗部が切なく想える映画で、そこも彼の作品好きにはたまりません。

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

日時:2019年11月10日 12:17

ジョーカー 2019米 ドット・フィリップス

怖ろしいのは、ジョーカーが主張した「正義は主観」に賛同している人々が、政府や汚職まみれ、自己保身の金持ちたちに対して、「正義は主観」のもとに鉄槌を下すことに陶酔することです。

アーサー(ホアキン・フェニックス)がジョーカーになったのは、アーサーの心の底に深い闇があったことが必要条件で、アーサーがうっかり犯してしまった(彼を小ばかにし、罰を受けることがない暴力を奮った貧困ではない3人の白人を殺害した)罪が、アーサーを自分と重ねる街の底辺の人々の支持を受けたことが十分条件です。

アーサーには虐待された幼少時代があり、これもキーで、精神的に追い込まれると“笑って(笑っていない高笑い)やり過ごす”教育を母親から受けていました。母の自己都合故にです、これもきっかけでした。最愛の母は抱いていた母とは違う像だった。
また信じて疑わなかった二人からの裏切りもきっかけでした。
一人は父だと母から信じ込まされていた父(トーマス・ウェイン)から、ただただハグされたいだけの父からディスカウントされたこと。
もう一人は憧れていた人気キャスター=ロバート・デ・ニーロも俗人であったことを知ったことです。

コメディアンを目指していたアーサーは、笑わせることはできず、逆に世の中に邪見に扱われ笑われる存在にだんだんとなっていきます。
その姿は、社会から疎外されていると感じる想いが強い人ほど共感の対象になり、その人々の鬱憤をジョーカーが晴らすことで、絶大な支持となります。

ここで可笑しなことがわかります。
観客は善良で弱く、母に健気に接するアーサーを知っています。生き方が不器用だから周りの人に疎まれている、けれど、アーサーは良き人だということも知っています。
世の中の不条理で彼がジョーカーに近づいていくのを見ています。
でも街の人々は、アーサーがジョーカーになる過程を知る術がないのに、弱きアーサーがジョーカーになったことを支持していることです。
誰もが心のどこかに持つ“悪意”がそれを発散することが、己の主観とはいえ正義、として描かれていることを街の人が支持しているのは、映画内のゴッサムシティで起こっていることではない、描かれているのではないことを示唆しています。
怖ろしいことです。

しかし10年余りの月日が経つと、ゴッサムシティの人々は、バットマンを待ち焦がれるようになります。それが私の救いとして鑑賞できた映画でした。

追伸
11/8は「立冬」です。二十四節気更新しました。
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立冬

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

日時:2019年11月08日 09:36

たかが世界の終わり 2016加/仏 グザヴィエ・ドラン

多分自分勝手に12年間生きてきたのが主人公のルイ(ギャスパー・ウリエル)、でも彼は社会的には成功し、家族を想う気持ちも強かった、けれどこれも多分だけれど、田舎では受け入れられない立場だったのでしょう。
そのルイが自らの死を告げるために帰郷します。
待つ母マルティーヌ(ナタリー・バイ)と別れた頃はまだ幼かった妹のシュザンヌ(レア・セドゥ)は大歓迎です。
兄のアントワーヌ(ヴァンサン・カッセル)は不機嫌、初めて顔を合わせるアントワーヌの妻のカトリーヌ(マリオン・コティヤール)は、なにかと感情的になりぶつかり合う、アントワーヌとマルティーヌ・シュザンヌの間をとりなします。

これも多分ですが、あまり仲良くない家族でそれは経済的な理由もあるでしょうし、田舎の詮索もあるでしょう。そしてアントワーヌにとってはルイは家族を捨てた弟です。
弟ルイの自分勝手に反発してしまいます。たとえルイの死期が近いことを勘付いてもです。

マルティーヌとシュザンヌにとってルイは英雄です。その二人に中々真実を告げられないルイです。

愛おしい時も嫌悪の時も許す時もクローズアップで、観ていて息苦しくなり、汗臭くもなります。
ルイを迎える家族はすぐに感情が空回りする物語です。

人と人がわかり合うというのは奇跡なのではないかと思えてきます。
真摯なルイだから、同じようにしっかりとした態度で迎えようと家族はするのですが、どうしてもそれができません。そして、アントワーヌの処理しきれない感情がきっかけで、アントワーヌとマルティーヌ・シュザンヌはぶつかってしまいます。

目的は死を告げて別れをすることだったルイですが、もしかしたら告げることができないこと、家族の今を知る事、それはここも多分ですが、何も12年前と変わっていなくて、自分も変わっていないことを感じ、目的は果たせなくても、けじめは着いたのかもしれません。
そして家に戻り今一番大切なパートナー(伴侶)にけじめを着けたことを告げるでしょう。その伴侶に死にゆく姿を見せるのがルイの本当にやりたいことだったのではないでしょうか。
死への準備と対峙を考えさせる深い内容でした。

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

日時:2019年08月26日 09:15

ア・ゴースト・ストーリー 2017米 デヴィッド・ロウリー

仲睦まじい夫婦が死に別れてしまいます。夫のCは妻Mのことが気がかりで成仏できません。オバQのような幽霊になりましたがMを見つめるだけです。
CはMの動向もですが、Mが家のどこかに残したはずの手紙に気をとられているのです。
さてCはどうなるか、またMは何を書き記したのか。

映画は長回しが多く、まったりとゆっくりと進みます。
その塩梅はオバQのCそのもので、ひたすらその時を、手紙の内容を知ることができるのを待っています。

映画を観ていて、自分もあのように成仏できず(しない)、幽霊になってしまうかもしれないと、この世に気が残ってしまうかもと考えずにいられませんでした。

何があっても待つしかできないオバQCはそれに浸りきっているようです。
死で別れた人のことを色々と生き残った人は考えますが、この物語は逆です。生きている人々のことを見つめます。切ない物語でした。

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

日時:2019年08月02日 09:16

長いお別れ 2019日 中野量多

とても良い映画でした。
認知症の昇平(山崎努)が70歳で認知症になり、亡くなるまでの7年間(2007年から2013年)までの家族の物語です。
妻の曜子(松原智恵子)は献身的に介護します。まさに良妻賢母で、昇平を愛しているのですが、それがますます強まる、そして愛を超えて人として崇高になっていく様です。
次女の扶美(蒼井優)と長女の麻里(竹内結子)もますますお父さんを愛するようになります。そして同じく二人とも成長します。
こう書くとあり得ない家族、理想が描かれているようですが、そうではなく、等身大の物語です。

扶美は器用貧乏です。物語では二回失恋します。
気立てが良くて家庭的なのですが、何故かです。でも曜子だけでは補えない昇平の介護で見失った自分を取り戻します。

麻里は夫の新(北村有起哉)と一人息子の崇(杉田雷麟・蒲田優惟人)とアメリカ暮らしです。新はエリートですが、家族の愛し方が解らないそんな人物で、それもあり崇は反抗期に入ると登校拒否に。生真面目な麻里は自己を責めます。実家とのPC通信で、もうだいぶ認知症が進んでしまった昇平にすがります。「私達もお父さんとお母さんのようになりたかった」
そんな麻里が少し逞しくなり、新も崇もちょっとだけ変ります。

そういった登場人物の機微の変化が丁寧に描かれていて心地よいのです。
そして無駄がない脚本です。

人生の儚さがテーマですが、儚いから美しいし、人ができることは限られているから尊いと投げかけられます。
心が洗われます。

追伸
7/7は「小暑」です。二十四節気更新しました。
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干し芋のタツマ
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小暑

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

日時:2019年07月07日 12:01

郵便配達は二度ベルを鳴らす 1942伊 ルキノ・ヴィスコンティ

年の離れた嫌らしい夫ブラガーナに辟易していたジョヴァンナは夫とは真反対の、男として魅力がある出合ったジーノに惹かれ、彼と共謀して夫殺しをします。その顛末を徹底した心理劇として描いています。

突然現れたジーノに惹かれるジョヴァンナの心はブラガーナの醜さで匂わせ、その後ジーノにいくらせがまれても、ブラガーナが築いた金の成る木の飲食店を手離そうとしない心は、その夫への憎しみと人間が持つ自己を正当にする気持ちで表されます。
逆なのはジーノで、美人のジョヴァンナをモノにできた喜びがあり、そのジョヴァンナの頼みであり、また自分も経済的に豊かになりたい悪魔の囁きでブラガーナ殺しの片棒を担ぐのですが、彼はその行為の前後で全くの別人のような心持になります。
それもジーノはジョヴァンナと良い仲になった後に放浪の旅に出るシーンを入れること、スペインという人物を登場させることで、上手く表現されます。
そんなジョヴァンナから逃れたいジーノは一度はふと知り合った若いアニータになびきますが、でもやはりジョヴァンナとは離れられない、もう一度やり直しを決意したが、もう坂から転げ落ちるしかなくなります。
自業自得の二人ですが、突き動かされる情と引き返せない心理と幸せを求める心を、観る者にこれでもかと投げかけてきます。

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

日時:2019年06月27日 09:08

逢びき 1945英 デヴィッド・リーン

不倫ものですが、主人公二人は極めてプラトニック。恋に落ちてしまった幸せと不幸せとトキメキと後悔が繊細に描かれています。特にローラ(セリア・ジョンソン)がアレック(トレヴァー・ハワード)に合いたいがために嘘を重ねていくことで自分を追い込み、また愛するほどに罪を深めていく苦悩が、様々な映像でその機微が表現されるのですが、とても自然で真実味があります。
映画は回想形式で、最初のシーンが最後に繰り返され、観客はそのシーンの深さの落差に愕然となり、ラストのローラの夫の台詞でダメを押されます。
駅の喫茶店でローラとアレックが話をしていると、いかにもいそうな気が効かないローラの知合いのオバサンが自分の言いたいことを機関銃のようにしゃべりまくります。ほどなくアレックが乗る列車が着いてしまい別れる二人、その後取り残されたローラは、この駅には停車しない急行を見にいっていたというそのシーンが、最後には二人の永久の別れであることと、ローラは死ぬほどにアレックを愛したことが解るのです。
それを納得させるのが本編です。そんな妻の行為に勘付いていても問いただすでもなく、それを含めたローラを愛し「長い旅に出ていたんだね」と赦す夫で、この夫にも感動です。人が生きていく上では、どうしようもなく遭遇してしまう偶然があることをも訴えてきます。
ごくごく普通に暮らす善良な人が出くわしてしまった出来事であり、でもそれはその人達の度量を量ることにもなります。単なる不倫ものとは一線を画する名画です。

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

日時:2019年06月04日 09:53

13回の新月のある年に 1978西独 ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー

性転換した男(女)エルヴィラの苦悩を描きます。1970年代でこのテーマを扱う、そして主人公の心を掘り下げていて先進的だったことを感じます。

エルヴィラは、男として結婚をし、娘もいますが、今は女です。男の恋人もいますし、女の親友もいます。でも心はとても不安定です。
男を買いたくなったり、元の男の恋人を想ったり、まだ離婚していない妻、そして娘に対しても愛情があります。また妻にも娘にも慕われてもします。

でも心は不安定極まりないのです。
自分は何者か?性転換自体が間違いではないか?
でも男として一生を全うする事は出来なかったことも本心です。

街を彷徨い、これまで触れてきた人達を訪ね、自分を確認しようとしますが、迷い、惑いは募るばかりです。
ということで、約束された最期を迎えます。

エルヴィラの人生がどんなだったかが、エルヴィラが訪ねた人との会話から明らかになっていくのですが、もちろん出自の環境や、生育していく時の時代で翻弄されてきたのは間違いがないのですが、エルヴィラは選択したのか、選択しない選択をしたのか、そんなことを考えてしまうことも多く、それは己を振り返ります。
ただ、エルヴィラはとてもデリケートでもあります。

前半、肉牛の解体の精肉工場で、牛が生き物から肉になる過程を坦々と、そして長い時間映すシーンがあります。印象的で強烈です。
死ぬことはどういうことかということもこの映画のテーマでもありますが、死は死だとも言いたげでもあるし、牛と人は違うとも言いたげです。
ただ、死に直面することを避けがちなのを許さないと、造り手が楔を打ちつけてきたようにも思いました。

この映画と「第三世代」は今まで鑑賞してきたファスビンダー作品とは違い、非常に観念的でした。観客には優しくない映画でしたが、それも狙いでしょう。

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

日時:2019年06月03日 09:12

第三世代 1979西独 ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー

第三世代とは、ドイツ赤軍のテロリストで、三世代目となると、ギラギラさが消えていて、また、共産主義革命の熱気も変化があり、そんなテロリスト集団を醒めた目線で映しています。

結構な人数のテロリシストの面々が登場しますが、前半は丁寧に一人一人の人となりと、集団の中での立ち位置が紹介されますが、なにか皆、強面ではないのです。
テロリストは軍人ではありあませんから、普段の顔もあります。どうということもない市民の顔があり、また恋愛関係もありは良いのですが、何か隙があるように見えて仕方ありませんでした。
けれど、当然ながらドンパチになれば命を奪われるわけで。
造り手の醒めた目線を感じざるを得ませんでした。

(確か)六つの章から構成されているのですが、その題名・主題は哲学的です。そしてそれは“トイレの落書き”からの引用です。
役者の台詞がとても多く哲学的で、また、始終違和感がある音が成り続けています。
醒めた目線もそうですが、その演出はどこか表層的な感じを受け、生きる真剣さを失っていることに対しての警告のように私は感じてしまいました。

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

日時:2019年06月02日 08:44

たちあがる女 2018アイスランド/仏/ウクライナ ベネディクト・エルリングソン

なんと塩梅が良い映画でしょう。

一番印象に残るのは、民俗楽団が主人公ハットラ(ハルドラ・ゲイルハルズドッティル)にいつも寄り添っていること。彼女は過激でタフなテロリストだけれども、正義とは言わないまでも悪魔ではない、なにか自然からの遣いのようにみせています。
だから彼女に肩入れするし、重要な登場人物のおじさんとその犬も、なぜか彼女の身代わりに3度逮捕される外国人バックパッカーも、双子の姉も、ハットラへの協力に厭うことはありません。

ハットラはスーパーウーマンです。たった一人で国家権力に立ち向かいます。
環境破壊の象徴のアルミニウム工場への送電を止めるために、高圧電流の送電線を切ること数回、軍のヘリコプターに、ドローンに追いまくられます。
赤外線カメラにも、警察犬にも逃れます。
最後の大仕事は、なんと高圧電線の鉄塔を倒すという荒行を行います。
そんなランボーぶりのシーンは得てしてしらける要素になりかねないのですが、それを感じさせません。シリアスでスリリングという映画の面白さがあり、そこにおじさんとの交流や双子の姉とのやりとりがあり、それが伏線となりしっかりと回収されます。

全体はほのぼのとしていて、アイスランドの自然の風景と、サスペンスと人情ドラマが絡まりながら進む心地よさの演出は特筆ものです。

またかなり社会風刺が効いてます。それは国家と個の関係で、造り手は一本調子で環境破壊が悪とは言わず、また国家の成り立ち自体も否定はぜず、でも一人の個として、国をどうとらえるべきかの示唆があります。
その国の恩恵を受けることは、その国に従順になることの圧力を受けます。その国に逆らうことは牙を向けられることになります。
でもハットラは生き難い生き方を選んでいます。また、養子縁組という夢を同時に適えようとします。その姿が格好よく、だから、ラストにどんでん返しがあり、痛快でもありますし、深刻にもなります。

良い映画です。

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

日時:2019年04月28日 11:39