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銀幕倶楽部の落ちこぼれ

泥の河 1981日 小栗康平

「もはや戦後ではない」昭和31年に戦後を引きずる二家族、貧困層に位置するのですが、そこにも境界があります。9歳の信雄(朝原靖貴)と喜一(桜井稔)が出合い、でも別れるのが必然の物語です。

橋の下で食堂を営むのが信雄の父(田村高廣)と母(藤田弓子)で、気風が良い父と気立てが良い母の下、貧しいながらも幸せな信雄です。
ある日、河に宿船が現れます。
そこに喜一がいました。2歳年上の銀子(柴田真生子)と母(加賀まりこ)の3人暮らしです。世間はこの船を“廓舟”と呼びます。喜一の母は身を売って生計を立てています。(喜一の父は腕が良い船頭だったが亡くなり、母はやむなく身を鎮めています、戦後の混乱でやむをえないからです)
信雄の父も喜一の母も戦後を引きずっていますが、その原因のひとつは貧困ですが、たぶんにそこから抜け出せない構造があります。主に教育問題でしょう。

どちらもかなりの貧困ですが、信雄と喜一には断層がある程の差があります。学校にも通えない喜一・銀子のように宿船暮らしは明らかに差別されています。
でもあどけない喜一に礼儀正しい銀子で、信雄の家族は二人を暖かく迎えます。そんな優しさに触れて、宿船の生活から抜け出したくなる喜一です。

祭りの晩です。信雄の母からお小遣いを貰った信雄と喜一は祭りを満喫していたのですが、二人のお金を預かった喜一のズボンのポケットが破れていたことから、金を失くします。
喜一は申し訳なさから、とっておきの遊びを信雄に見せようと、夜の宿船に信雄を誘います。ためらう信雄です。父から「夜は行ってはダメだ」と釘を刺されていたからです。でも心根が優しい信雄は断れません。
行くと喜一は宝物の蟹を取り出して、信雄を喜ばせようとアルコール漬けにして焼く遊びを始めます。その遊びに耐えられない信雄は蟹を助けようと追っていくと、隣の喜一の母の寝床の前に来てしまいます。そこには客を取っている喜一の母がいます。
信雄と喜一は無言で別れます。途中銀子とも合いますが、察した銀子も無言です。
翌朝、宿船が曳かれていきます。それを追う信雄で喜一の名を叫びますが、二人は姿を現しません。

神武景気の恩恵を信雄の家族はある程度受けるでしょうけれど、喜一の家族はそれはないでしょう。喜一も銀子も幸せな暮しになるとは到底想えません。

信雄は、いまや親友とまでになった喜一とは住む世界が違うことをあの晩に痛感しました。ほんのりと抱いていた銀子への恋心も夢にすぎないとも思ったことでしょう。
でもせめて別れは言いたかった。でも喜一も銀子も陸の人達と触れてはならないことを身に染みたのかもしれません。もう顔を合わせてはいけないと。

日本がこれから経済的に豊かになる裏側に確かにあった事実を実にリアルに描いています。そして戦後に取り残された父と母は、貧困に留まらざるを得ない層に足掻くしかない、とりわけ喜一の家族は差別される層から抜け出せない悲哀をも描かれています。
でも信雄はこの別れで確かに成長したことでしょう。良い映画です。

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

日時:2019年03月12日 10:44

暖簾 1958日 川島雄三

親子二代にわたる大阪商人を主役に、軽妙に、でも人の生き様をリアルに描く秀作です。

丁稚から暖簾分けをして貰えるまでのど根性の昆布屋のオヤジ吾平とその息子の孝平の二役を森繁久彌が演じます。
明治の終わりから戦後の復興期まで、吾平が昆布屋の大店の主人の浪花屋利兵衛(中村鴈治郎)に拾われて商売を叩きこまれ一人前の商人に育つのですが、ここまでをほぼ冒頭のクレジット場面で示します。それを題名の「暖簾」を絡めてと、スピーディーな映像なのですが、かなり長い年月を2時間に収めていることを匂わせますし、その後もこのリズムで要所要所のエピソードを登場人物の人ととなりと関係性で、最小限の説明で繋ぐ演出は見事です、もちろん脚本も良いです。

吾平は一生懸命働き、お互い心を寄せていたお松(乙羽信子)とは結ばれることはなかったですが、利兵衛の思惑で利兵衛の姪の千代(山田五十鈴)を嫁にします。この千代がまたまた根性が座っています。
順調に店を大きくしますが、室戸台風で店は台無しになります。
でもなんとか立て直すのですが、今度は戦争が店を粉々に、しかも後継ぎの長男も戦死で、流石の吾平もこれまでかとなった折、全く当てにしていなかった次男の考平(考平も戦争に行ったが帰還、吾平は跡取りにする気は全くなかった)が、ある日昆布を仕入れてきて、様相が一変します。
時代は復興期に入り、吾平と千代と考平の頑張りで店は盛り上がり、百貨店に進出、次ぎは東京へ商圏を広げと勢いが出てきます。そして考平の念願の、生家に本店を開業したその祝いの日、波乱に満ちた吾平が笑って旅立ちます。

スケールが大きく、浮き沈みも激しく、でも負けないのが吾平(内助の功の千代も重要)とそれを受け継いだのが考平です。でも時代は流れ吾平のやり方では通用しなくなった時、親に反発できる考平が“暖簾を継いだ”ことで浪花屋は再建していきます。
吾平は利兵衛から分け与えて貰った暖簾を大事にし、考平も同じくその暖簾を復興させるために身を粉にします。そのためにやり方考え方は違い、親子で揉めることもありますが、暖簾の存続に掛ける男を活き活きと描いています。
死んでいく吾平は、千代、考平、娘の年子(環三千世)、そして生涯の夫婦の友になったお松に看取られて、なんと幸せだったかと思わずにはいられません。

豪快で痛快な長い時間軸の話をしっかりと2時間の締まった映画として出来上がっています。

ど根性の大阪商人の吾平と、新時代の大阪商人の考平を森繁久彌が演じ分け好演です。山田五十鈴、乙羽信子も良い味で、他にも豪華キャストが脇を固めます。(中村鴈治郎、浪花千栄子、山茶花究、中村メイコ、夏目俊二等)(ちょっとだけ出た扇千景さんとても綺麗です)
美術も流石の出来栄えでそれらを含めてとても安定感があります。

やっぱり良い映画でした。

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

日時:2018年12月24日 09:14

禁じられた遊び 1952仏 ルネ・クレマン

戦争孤児になってしまった、まだ年端もいかない少女ポーレット(ブリジット・フォッセー)が田舎で少年ミシェル(ジョルジュ・プージュリイ)に出会ってという話です。

禁じられた遊びとは、ポーレットの死んだ愛犬を、ミシェルがお墓を作り葬ってあげたことから、ポーレットが無邪気な心で、愛犬一人眠るのはかわいそうと言うことから、死んだ虫やら小動物の墓を周りに作り、墓地から盗み出した十字架を建てることです。

ポーレットは裕福な家で育ったお嬢様、ミシェルは貧しい田舎暮らしという対照的な設定です。

パリが陥落した時代背景で、ポーランドはパリから逃げている最中で、ミシェルは田舎の村人です。そのミシェルのドレ家は隣のグーアル家とは犬猿の中で、戦時中でも諍いが絶えません。そのドレ家の親父は威張り屋、息子は牛に蹴られて死にそう。また、ドレ家の娘とグーアル家の息子も脱走兵は恋仲でロミオ&ジュリエットばりです。そして神父はいい加減というおまけ付きで、一応は情勢を気にしていますがそれどころではない様子です。

そんな中、ミシェルはポーレットの願いを適えるためにすべてを掛けます。ミシェルにとってポーレットは憧れの国から来た天使のようです。
ポーレットはそんなミシェルがいて、両親のことで悲しむこともありません。
でもこれは続かない。
二人は引き離され、ポーレットは現実を直視します。

反戦映画でもありますが、なんて大人はいい加減で自分勝手を痛烈に訴えています。いつものことながら犠牲者は弱者です。それを描いています。

リズムがよくて無駄がない脚本、とても悲しい展開ですが、子役二人の姿にそれを感じさせないという演出です。でも最後には現実が待っている。
生きていく上での普遍的なことをも示唆していると感じました。

追伸
12/22は「冬至」です。二十四節気更新しました。
ご興味がある方は、干し芋のタツマのトップページからどうぞ。
干し芋のタツマ
二十四節気「冬至」の直接ページはこちら
冬至

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

日時:2018年12月22日 09:49

ボヘミアン・ラプソディー 2018英/米 ブライアン・シンガー

45歳で逝ってしまったフレディ・マーキュリーに焦点を当てたクイーンの誕生から、絶頂に至り、フレディの挫折、そして1985年の「ライブエイド」がクライマックスです。

エンドクレジットで、実際の映像が流れ、帰宅後にユーチューブでいくつかの映像を観て、この映画本当に真摯に造られたことを実感します。
フレディ演じるラミ・マレックの歌唱力も、リードギターのブライアン・メイ演じるグウィリム・リー、ベースのジョン・ディーコンのジョセフ・マッゼロもドラムのロジャー・テイラーのベン・ハーディも、相当の訓練をしたことが窺えます。

映画中も天才というのはいるものだと感じていましたが、そのエンドクレジットのフレディを観て天才が努力するととんでもないことが起きると震えてしまいました。
彼は死期が近いことから、極めようとして生きたのでしょうけれど、それも仲間がいたからこそ達したのでしょう。

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

日時:2018年11月29日 09:12

スマホを落としただけなのに 2018日 中田秀夫

スマホを落したらえらい事になることは解っているけれど、よりによってとんでもないPCオタクでサイコパスに拾われたので、金銭だけでなく、命まで落としそうになる話です。

スマートフォンはその個人の分身だという台詞がありますが、確かにそうです。それとSNSのつながり問題にも言及していますが、まあ、今ではかなりSNSの広がらなさは世間では認知されているでしょう。

そんなネット社会のオタクがサイコパスを持ち合わせていたという犯人設定が面白いです。その犯人に主人公カップル麻美(北川景子)と富田(田中圭)が狙われます。
犯人は黒髪の美女を狙う連続猟奇殺人魔で、犯人と二人のパートと、警察側が犯人を負うパートで話は進みます。
その警察側にもPCオタクでしかも犯人同様の境遇だった加賀谷(千葉雄大)がいるということで対決になります。
そして、麻美にも秘密がありと、かなり捻った内容です。

犯人と加賀谷はどちらも母親から幼児虐待を受けていた過去があり、それが犯人を猟奇殺人に駆り立てます。それで加賀谷は犯人像を掴みます。
それにしてもとても似通った環境、この場合は劣悪な「あんたなんか産まなければよかった」という子供が母親から絶対に言われたくない絶望の生育の仕方だった犯人と加賀谷が、全く違う育ち方をしたことにとても驚きます。
“三つ子の魂百までも”ですから犯人を悪魔にした原因はもちろん母親にあります。けれど加賀谷は悪魔にはならなかった。
加賀谷には母親以外に彼を愛する人が、しかも強烈にそれを加賀谷に届けようとする人がいたのか、彼自身が乗り越えようと必死だったのか、多分その両方なのでしょう。
この二者の違いがとても興味深かったです。

また、麻美の過去も壮絶なのですが、麻美はそれを乗り越えようと足掻いていて、足掻くだけでなく、それを現実に手にできる(富田の愛で)物語でもありました。

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

日時:2018年11月08日 09:31

万引き家族 2018日 是枝裕和

市井の人達が抱える、表にでない問題を提起しています。

擬似6人家族は幸せな生活を送りますが、社会はそれの継続をさせません。
ルールを破っている者に対しては牙を剥きます。
私たちは教育を受けてきました。その中には、社会のルールは正しくしかも絶対であることが含まれています。

擬似6人家族は貧困です。下の娘役のりん(佐々木みゆ)が拾われるところから物語が始まり、おばあさん役の初江(樹木希林)の年金だけが頼りになる展開にもっていきます。
りんは母から虐待されていたことから家族は一員にします。
父役の治(リリー・フランキー)は日雇い労働者、仕事中に足を怪我しますが、労災がおりません。
母役の信代(安藤サクラ)はパート仕事していましたが、解雇されます。遠まわしの理由はりんを保護していたことで、社会はそれを保護とはいわず誘拐と言います。
上の息子役の祥太(城桧吏)も数年前に治と信代に拾われた男の子で、治によりすっかり万引きを教育されていて、一家の稼ぎの片棒を担っています。
初江の孫の亜紀(松岡茉優)は複雑です。信代の妹役でしょうか。初江とは血が繋がっていない本物の孫です。初江の亡き夫の後妻の孫なのです。ちなみに風俗店でアルバイトしています。

家族は揃って倫理観に欠けています。
足らないものは万引きで調達です。信代も初江もやりますが、治と祥太の連携プレイは見事です。そこにりんも少しずつ加わります。また初江は定期的に夫の家(亜紀の両親)のところへ行き、お線香を上げる名目でお小遣いをせしめます。というように、皆、チンケな罪を犯すことに抵抗なしです。
ここが重要で、メッセージです。
彼等は幸せを、最低限の生活をするための手段を取っているのです。

確かに、治は一生懸命に働こうとしません。多分、それをしても裕福にはなれなかったのでしょう。
確かに、今の格差社会のどこに位置しているかは、極論すれば、その人の努力よりも、運のような気がします。

信代は虐待された過去があり、りんを観ると、その親元には返せないのです。

初江が亡くなります。その時、既に治も信代も無職です。葬式代もなければ、年金不正受給という明日からの糧は手離したくありません。

でも幸せは続きません。この家族の存在が表沙汰になります。そうなれば犯罪一族、治と信代は誘拐犯、死体遺棄です。

物語はこの家族の清算で世の中を語ります。
虐待されたりんはその母の元に戻されます。それを受け入れられない信代は、我侭の烙印です。
祥太はパチンコ屋の駐車場のクルマにいた事も解ります。信代は「拾った」と証言しますが、当然それも認められません。
でも信代は発します。「(初江も祥太もりんも)棄てた奴がいたから拾った」
これも戯言というのが通り相場です。

りんは親元へ、祥太は施設へ、また親を探すこともできる展開になります。社会的には目出度しですが、ラストは擬似親子、治と祥太の切ない別れと、りんが一人ぼっちで遊ぶシーン(その前のシーンは母の虐待を匂わせます)です。

社会的な解決は何の解決にもなっていないことを示唆します。
現在の社会の問題の根深さを物語っています。

治は取り調べで「自分が祥太に教えることができるのは万引きだけだった」
信代は刑務所での治の面会で「祥太とりんを育てるのは私達ではダメ、できない」
でも、社会のルールに沿って子供を戻してもそれが適うとは到底思えないで映画は終わりました。

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

日時:2018年10月03日 10:35

腑抜けども、悲しみの愛を見せろ 2007日 吉田大八

4人の登場人物が抱く家族像の違いとそれぞれのキャラクターを繋ぎ合わせて出来上がった、辛辣なブラックコメディで、処女作ながら吉田大八監督を絶賛できる内容です。

舞台は携帯電話が繋がらない田舎村、宍道(永瀬正敏)と嫁の待子(永作博美)と宍道の義妹の清深(佐津川愛美)の元へ里帰りした宍道の義妹で清深の実姉の澄伽(佐藤江梨子)が引き起こすひと騒動です。
4人共々とても濃い人物。ステレオタイプの田舎の家族はこうであるを築こうと足掻くのが家長の宍道、天涯孤独であったけれど結婚斡旋所で紹介されたことで家族を持てた待子には、家族はそれはそれは宝物で、宍道に虐待されてもその天然のキャラも手伝い幸せ一杯。女優を夢見る澄伽は、徹底的に自分は悪くないを貫く性悪女、もちろん努力とは無縁、宍道にカネをせびります、容姿端麗だからそれを武器に出来るから始末が悪い。そんな歪な家族を虎視坦々と漫画にする清深は影の主人公。

帰郷してもねちねちと清深を甚振る澄伽は4年前に、清深にホラー漫画の題材にされて村の笑い者にされたから(その漫画は入賞)。その澄伽が田舎でやることは女優の夢に縋ることです。また何故か澄伽に追い込まれるのは宍道で、それは彼女のハニートラップに掛かっていて身動きが取れないからです。

ということでユーモアが散りばめながらシリアスな展開に、宍道が追い込まれて自殺です。ここから話は急展開。
逆転に出る清深、それでも負けない澄伽、あくまで家族を持ったことが幸せで仕方ない待子です。

家族から「腑抜け」が消失しても強かな女達はあくまでも自分を貫きます。彼女達は自分が抱く家族を自分に合わせるのです。
面白かったです。

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

日時:2018年09月02日 08:43

サンダカン八番娼館 望郷 1974日 熊井啓

女性史研究家の三谷圭子(栗原小巻)は天草で“からゆきさん”のことを調べます。そこで出合ったのが明治末期から昭和初期まで実際に“からゆきさん”として身を売られた“おサキさん”(田中絹代、若い頃は高橋洋子)です。
最貧層として暮しているおサキさんの元で一緒の生活をすることで、語りたくない過去を聞きだす圭子です。その過去は壮絶なものでした。

外貨獲得のために奨励された“からゆきさん”ですが大日本帝国が国力を付けてくると、国の恥とされ、貧しいが故に騙されるかのごとく外地に出され、地獄のような日々を耐えていた彼女らは国にまで裏切られます。
おサキさんには一人息子がいますが、その過去により息子にも良くは思われていません。

そんなおサキさんですが、圭子に少しずつ心を開きます。圭子も仕事とはいえ、おサキさんを欺いているようで、でもこの事実を誰かが記録しなければという気持ちで取材を続けます。

田中絹代の語りと高橋洋子の姿で、その壮絶な人生が描写されます。痛々しくもあり、でもその事実は確かに日本の歴史です。

圭子は取材を終えるとおサキさんに別れを告げます。寂しいけれど圭子のことを想い量るおサキさんで、圭子の本心を聞いても圭子を責めることもなく、圭子を労わるおサキさんの姿は、どんなに辛い過去があっても人は人を思い遣る心をその人次第で育むことができることを教えてくれます。

人は肩書きではなく、目の前で自分とどんな気持ちで一緒にいるか、それがその人だと言っているようでした。

物語は、圭子がおサキさんを取材している3年前と、現在そのおサキさんが“からゆきさん”として暮していたマレーシアのサンダカン八番娼館の跡地が交錯します。
そしてラストは、その八番娼館にいた女性たちの共同墓地を見つけるところとなります。
お墓参りをする圭子がふと気づきます。
それは、そのお墓は皆日本の方角に背を向けているのです。彼女達の最期の国への抵抗です。とてもショックでした。でも題名は「望郷」なのです。

10代から30代までを演じ分けた高橋洋子さんも名演で、化粧や衣装も素晴らしく後押ししていました。

また個人的に、日本で最高の女優は高峰秀子さんだと常々思っているのですが、この作品の田中絹代さんはおサキさんそのものでした。これを観てしまうと、最高は田中絹代さんとなってしまうほどの名演でした。

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

日時:2018年07月31日 09:13

座頭市 血煙り街道 1967日 三隅研次

第17作はシリーズ中唯一、近衛十四郎(多十郎役)が出演しています。
市(勝新太郎)との殺陣がもちろんクライマックスです。

不知火検校の市と比べると、ずいぶん庶民派になっています。コミカルな按摩が実は凄腕というのは受けますし、弱い者の味方でなければシリーズは続きません。

ふとしたことで子連れになってしまい、この子を父親の元に送り届けることになり、それが代官の悪巧みに巻き込まれます。
多十郎ともつかず離れずで、彼は恩密で、その事件の解決に静かに躍起になっていて、市は偶々事件の悪人をやっつけ、最後の最後に多十郎との対決になります。

市と子供の旅に変化と華を添えるように旅芸人一座が登場、そこには朝丘雪路と中尾ミエ(歌も披露します)が、悪人に利用されている女将には坪内ミキ子が、子供を届ける先には高田美和がと、結構華やかです。

悪人は小沢榮太郎と小池朝雄とこれまた何の説明もなしに悪さを語れますから便利です。
他にも、なべおさみが笑わせシーンに登場と、ファンサービスも満載でした。

仕込み杖を利用した殺陣、見事です。そしてラストの一対一の殺陣、芸術的でした。

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

日時:2018年07月17日 09:16

ハッピーアワー 2015日 濱口竜介

ロベール・ブレッソンのシネマトグラフを既習している、いわゆるプロの役者を使っていない、ドキュメンタリーのような映像です。そして5時間17分の長さも特徴です。

4人の女性が主人公で、彼女たちを追い続けるのですが、明らかに、徐々に彼女たちが変っていきます。最初のぎこちなさから、役そのものになっていきます。彼女たち(を含めて主要人物たち)はまるでその世界の住人のようです。

内容も結構ハードです。
4人の親友は30代後半の女性で、家庭持ちもいればバツイチもいます。そして皆頑張って生きていて、幸せをつかもとしている、まあ、これも普通の人々です。
でも翳りがある。それもどこにでもある事情によります。夫婦間の問題が主ではあるのですが、それがちょっとだけ深刻で、家庭も崩れますし、4人の関係も崩れます。でも徹底的な破壊ではないところが上手い塩梅です。
また風呂敷は広げますが伏線もしっかり回収していますから長さあまりは気になりませんでした。

胡散臭い人物が複数、しかも違うタイプが出てきたり、肝心要で逃げる夫が出てきたり(それが皆男で、男は本当にしょうもないというのも強く感じました)、でも鬱陶しいし情けないのですが憎めない、そんな人物像が彼女たちをかき回します。
そのキャラクター設定と脚本がしっかりしています。
それをプロでない役者でやりきる。やりきるというよりも、その条件化で出来うる最善の手で造り上げていったという感じです。(間違いなく順序どおりの撮影でしょう)

人間関係の危うさと、それにより自分がどうなるか、そしてその陥ったところからどうやって抜け出すのか?
彼女たちは抜け出れたわけではないのですが、確実に強くなっています。
良い映画でした。

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

日時:2018年06月17日 08:53