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銀幕倶楽部の落ちこぼれ

正義のゆくえ I.C.E特別捜査官

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アメリカの病める部分を移民問題でクローズアップさせます。
そこには、9.11以降の怯えたアメリカの姿もありますが、
やはり偉大な国であること、危険な国であること、新たな血を常に受け入れる懐の深さもり、
でも、そこにハードルも設け弱者に容赦がないことも見せます。
日本にいては、日本人では想像もできないアメリカの姿をしっかりと収めた映画でした。

主人公のマックス(ハリソン・フォード)は、移民税関捜査官です。
そして移民問題がメインで、様々な立場の人間模様の中で、問題を提起します。

マックスの相棒ハミード(クリフ・カーティス)もイランからの移民で、彼の妹の殺害事件をの謎を説くという展開もありますが、単にエピソードの一つで、他の不法移民と絡めて複雑な構成ですが、テンポもまとまりも良い映画です。

国境を越えてメキシコから来て不法労働するミレア(アリシー・ブラガ)は、ロサンゼルスに子供を残したまま強制送還されますが、子供を想い、お金のためにまた国境を越えますが、悲しい結末を迎えます。
ユダヤ人の青年ギャビン(ジム・スタージス)は、グリーンカード取得のためにラビに成りすまします。
その彼女のクレア(アリス・イブ)はオーストラリアから観光ビザで来て女優を目指しています。偶然に知り合った移民判定官のコールの言われるがままに、体を提供しグリーンカードを違法で発行してもらいます。しかし、それが明るみになり、クレアは強制送還、コールは逮捕されます。
コールの妻デニス(アシュレイ・ジャッド)は移民弁護士で、母親に棄てられた幼女を養女として迎えます。また、彼女は、バングラデッシュ出身の移民家族の長女タズリマ(サマー・ビシル)の弁護をしています。ダズリマは、9.11の犯人の気持ちがわかるという発言から、FBIに目をつけられ母親とともに強制退去となります。(妹二人はアメリカ生まれのためにアメリカ国籍がある。父と母とタズリマが不法移民で、母とタズリマが帰国することで、父の不法は黙認という条件が出される)
アメリカンドリームのために移住を希望している韓国人一家の高校生の息子のヨン(ジャスティン・チョン)は、帰化できる前日に悪い仲間に誘われて酒屋を強盗します。殺人事件にまでなりましたが、そこに居合わせたハミードが事件を解決。嫌々従っていたヨンの気持ちを察してハミードは彼を見逃します。

これらのエピソードが並行して描かれ、アメリカの現状をみせます。
ミレアの立場に立って、彼女の息子を救い彼女を探すマックス。仲間からは甘い操作官と揶揄されながら苦悩します。
ハミードの妹の殺害も疑問に思い独自捜査もするのですが、マックスの姿は、病めるアメリカとアメリカの良心の象徴です。

そしてやはり印象的だったのは、タズリマのエピソードです。
9.11を擁護するような発言をすると、その真意を他の学生は汲み取ろうともしませんし、校長から移民操作局とFBIに通報され、家宅捜査になります。
FBIは、ラズリマがテロの危険分子であることと最初から決めつけ、そのための状況証拠を探すことに奔走します。
有能な弁護士のデニスにもどうしようもなく、父と強制送還、彼女は母国語も知らないというのにです。タズリマは叫びます。「この国は言論の自由がある」
映画グアンタナモでも描かれた、アメリカの怯えです。

しかしやはりアメリカは懐が深い。
世界中から移民を受け入れ、それが国の活力になっています。そのための国籍取得、グリーンカード取得に様々な方法を準備しています。
そして、それらを得るハードルも適度に設けています。

多民族化していく先進国の姿は映画を通して色々と垣間見れます。
日本はこれからどうなっていくのか憂いてもしまいました。

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

日時:2015年09月16日 08:01

貸間あり 1959日 川島雄三

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川島喜劇の中でも、えげつなさは一番で、ファンには支持される映画でしょう。
川島映画が好きですから、もちろん楽しめた、二度目の鑑賞でした。

主人公の五郎(フランキー堺)は「幕末太陽傳」の佐平次と同じ心も体も病んだスーパーマンです。人情に厚く、有り余った才能があり努力もし、筋を通す男ですが、世の中を斜に見て、醒めています。そして器用貧乏だと自分を決めつけ、そして死を意識しています。

展開と構成も「幕末太陽傳」と似ていますが、味付けがかなり違うので、「幕末太陽傳」のような好評価ではありません。簡単に言えば、思いっきり下品なのです。
でもそれは川島ファンなら受け入れてしまい、そこがこの映画の良さとも受け取ってしまいます。

あり得ない程個性的な面々がアパートの住人で、
ひっきりなしに事件が起こり、終始ドタバタが続きます。
そして、そんな住人にやたらと頼られて慕われているのが五郎です。

唯一まともな存在が、五郎と相思相愛のユミ子(淡路千景)ですが、二人は素直でないのです。こう書くとありきたりのすれ違いのようですが、自分が嫌いな五郎は、ユミ子を愛してはいても、愛される資格はないと決めています。
だからユミ子からも世の中からも逃げ出そうとします。(ここも幕末太陽傳と重なります)

一般常識がない、モラルもない、ハチャメチャな住人達ですが、その中が五郎には居心地がよい場所で、彼は十分に社会貢献できる男でありながら、普通の人達の中では居心地が悪かったのかもしれません。

表面的には喜劇ですが、川島監督の厭世的な気分が底流にあるから、味わいもある映画になっています。

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

日時:2015年08月19日 09:02

神々のたそがれ 2013露 アレクセイ・ゲルマン

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地球より800年文明が遅れている惑星の話です。
かなりグロイ映像がモノクロで延々と3時間続きます。
映画は匂いがねくて良かったと感じるほど、
モノクロで良かったと思える程の、かなりの映像です。

最初は中世はこんな価値観と人を蔑む世界を表現していると思いながらみていましたが、
これは近未来の世界の姿のようにもみえてきます。

精神的に言及する台詞から、
行為そのものは、中世かもしれないが、その行為を生む思考やその原因は、
今の世界情勢に通じるものがあるからです。

それにしても対峙するのに大変な映画でした。
もう一度観る時は挑戦する気分で観賞します。

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

日時:2015年08月13日 08:57

あん 2015 日/仏/独 河瀬直美

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社会からはみ出してしまった男の千太郎(永瀬正敏)が、
社会から存在を消されてしまった老女の徳江(樹木希林)から、
生きることを受け継ぐ映画です。

若い頃、酒の勢いで罪をつくった千太郎は、その弁償と、服役中に喪った母、母に何も与えることが出来なかった自己嫌悪から、ただオーナーの意向に添うだけの、どこにでもあるどら焼き屋の店長として、人形のような日常を繰り返していました。
そこに現れたのが徳江です。
徳江は餡作りの名人で、徳江の餡が評判になり、どら焼き屋は繁盛します。
けれどそれも束の間、徳江がハンセン病患者だったことから、世間からどら焼き屋は厭われてしまいます。
生き甲斐になったどら焼き屋から身を引く徳江です。

千太郎に生きる喜びを教えてくれた徳江を救うことも、またも大事な人を救うことが出来なかった千太郎です。

店の常連客だった中学生のワカナ(内田伽羅)の後押しがあり、徳江の施設を訪れると、徳江の元気な姿に励まされ、もう一度頑張る決心をする千太郎ですが、上手くいきません。
そこでもう一度ワカナと徳江を訪れますが、徳江は亡き人でした。
でも徳江の最後の言葉は千太郎に生きる意義を求めさせるに足るものでした・・・。

社会からはみ出た千太郎の悲しみを一番汲み取ったのが、社会に存在を許されない徳江でした。
この物語は、人の存在を問う映画です。
社会があり、他者があり、そこではじめて自分の存在が現れるのが人です。
けれど、その前に自らの生をどこまで自分が自分に問うか?
そこがあって初めて、人とのつながりの中の自己を見ることができる、
それを説いてくれた映画でした。

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

日時:2015年08月12日 08:35

アメイジング・グレイス 2006英 マイケル・アプテッド

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大英帝国で奴隷解放に尽力した、勇敢な政治家ウィリアム・ウィルバーフォース(ヨアン・グリフィズ)の半生です。
20年近く掛けて、その身をボロボロにしてまでも法案を勝ち取る様が描かれます。

周りは敵ばかり。
政治を司る彼等と、彼等を支える貴族ほど奴隷貿易の恩恵を受けています。
倫理に訴えても行き詰まります。
そもそも、幼い頃から「奴隷は奴隷」として身近にいたとしたら、奴隷がいるのが当たり前で、その恩恵に預かっていたのなら、ウィルバーが言っていることは、大英帝国を動かす彼等政治家たちにとって、目障りであり、国益に反すと根強い反対になります。
それを覆そうとするのだから容易ではありません。

少数ながら同士を集め、戦略を練り、勇気を持って事に当たりますが、挫折になります。
それが事実だったでしょうし、描き方もスリリングですが、劇中の台詞と相まって真実でしょう。

やつれるウィルバーを支える妻バーバラ(ロモーラ・ガナイ)の内助の功、大事を成すのに不可欠です。

物語は、現在、過去、現在進行で進みます。戦略的で精力的に動くウィルバー、でも苦悩してしまう姿、バーバラの支えと、それらをメリハリを効かせて、上手く語りかけてきます。

感動作とはいえ、自国の非を赤裸々にする映画です。
作り手の気概も感じました。

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

日時:2015年08月11日 07:42

雪の轍 2014土/仏/独 ヌリ・ビルゲ・ネイジャン

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カッパドキアの景観の中で繰り広げられる、凄まじいまでの会話劇で、
人の本質を掘り下げます。

観光地でホテルを経営する資産家のアイドゥン(ハルク・ビルギナー)には、
若く美しい妻ニハル(メリッサ・スーゼン)がいます。
家には出戻りの妹ネジラ(デメット・アクバック)と従業員達がいます。

ある日アイドゥンが乗ったクルマが投石にあい、窓が割れます。
犯人の少年は、店子イスマイル(ネジャット・イシレル)の息子です。イスマイルは服役帰りで職がなく、生活は弟のハムディ(セルハット・クルッチ)頼りで、家賃を滞納していました。それを容赦しないのがアイドゥンと従業員で、強制退去を迫っていてその恨みから起きた事件でした。

ここでこの映画は不穏を暗示させますが、その予想以上に人の嫌らしさに言及していきます。

アイドゥンは悠々自適ですが、地元の新聞のコラムを担っています。好評のようですが、ネジラからは、批判されます。“上辺だけだ”と。
もちろんそれに反論するアイドゥンで、ネジラに言われて傷つけられた以上にネジラを傷つけないといられません。

ニハルは何故アイドゥンと結婚したのかわからない程で、年の差は親子以上、そして美しい、しかも頭脳明晰です。彼の資産が主目的ではないでしょうけれど、後押しにはなっているはずで、でも一見すると、地元の名士であり、立派な経営者でありしかも慈悲深い、元俳優のアイドゥンに惹かれたのでしょう。
でも夫婦仲は冷え切り、ニハルの今の生き甲斐は慈善事業で、寄付をすること、仲間と一緒に寄付を集めて、どう有効に使うかです。

そのニハルの慈善事業好きが鼻に付くのアイドゥンです。もちろんニハルの多額の寄付は彼の資産が出所ですが、それは別に気にしていません。彼も多額の寄付は毎年やっている様子で、それに金には全く困っていませんし、もうだいぶいい年だからです。
気に入らないのは、ニハルに群がる輩達が詐欺師に見えることと、ニハルが自分の思い通りにならないことです。

自由を赦されるように見えて精神的に縛られていることをニハルは重荷でしかたないから、アイドゥンと上手くいくはずはありません。
そんなアイドゥンをネジラも暇しく感じています、だからアイドゥンと口論になるし、また、ネジラとニハルもそれぞれストレスからか、この二人も激しい口論になります。

この家庭は、それぞれを傷つけあうことが常のような家庭です。しかも3人共に弁が立つから始末が悪いのです。

自分の都合が良い正義だけを振りかざすのがアイドゥンで、
彼の都合が良いとは、自分が自分を賞賛できることと、他人を操作・支配できる快感を得ることです。
ニハルを縛っていないように見えて縛ること、
貧困者を救うようでいて嫌っていること、金持ちも嫌いだし、頭が良い奴も悪い奴もアイドゥンは嫌いで、好きなのは自分だけです。(これについてはニハルに断言されてしまい、たじろぎます)

ただそれはこの物語全ての登場人物が同じです。

自己満足の慈善事業で生き甲斐を求めるニハル、動機は偽善で、天使のような私が好きなのです。

ネジラも別れた原因は誰が見ても夫にあるのですが、自分が夫に尽くしきれば夫はそういう人には成らなかった、私にも非があると周囲に振りまきます。どう見てもネジラはその場でそれができる人間ではありません。
ネジラも、私って思慮深くて大きな心持ちの人間だと認めさせたい女です。

イスマイルも同様です。
罪は他人のせいにします。百歩譲ってそれは正当としても、生活の糧を得ようとしないことは悪です。家族にしわ寄せを押し付けて、でも一番威張っているという男。イスマイルも自分本位です。

終盤にニハルは偽善の最たることをやります。
寄付と称して家が買える程の大金をハムディとイスマイルに提示します。
あまりの高額(この金の出所はアイドゥンで、ニハルとの口論で彼女が得たもの)に戸惑うハムディですが、イスマイルはニハルの偽善を叩き潰すべき行動に出ます。
金を火にくべてしまいます。

泣き崩れるニハルですが、彼女はこと自己満足を得たい時には全く幼稚な思考です。
また、イスマイルが受け取らない心も十分に解ります。その金を受け取ったら人でなしを許すことと、自分が人でなしであることを認めることになるからです。
しかし、イスマイルは既に人でなしなのです。家族のことを想えば、そして、自分のプライドを守るためだけに生きてきたことを羞じていれば、違う行為に至ったでしょう。

事程左様に、皆、自己愛が強い輩ばかりです。

ニハルがイスマイルと合っていた頃、アイドゥンは旧友と旧交を温めていました。
そこで、自分はニハルを支配していた、操作ばかりしようとしていたことに気づき反省します。
しかし、ラストで、でもそんな自分は変わることはないことにも気づきます。

どこまでも人は自分勝手です。
辛辣な物語でした。

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【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

日時:2015年08月09日 09:08

ゆずり葉の頃 2014日 中みね子

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終に向って自分の人生を自分自身で決着をつける老女の物語でした。
こんな年の取り方をして、こうやって自分の気持ちを、
自分の人生が豊かだったことを確認して、
アンフィニッシュの心の整理ができたら、なんて素晴らしいことでしょう。

主演の市子は八千草薫ですから、そうそうこんなに穏やかで上品で美しい老女は世間にはいません。
また、彼女の心の整理をつける相手の主要人物の画伯は仲代達矢ですから、この物語は庶民にとってはファンタジーに映りますが、ある程度年齢を重ねている者が鑑賞すると、
憧れの人生になります。

市子が戦後疎開していた軽井沢へ、ちょっした冒険旅行に出かけます。
目的は、当時のほろ甘い思い出をたどるためです。
画伯は彼女の憧れでした。その個展に日参します。
一番観たいのは展示されていない絵です。
個展は入れ替えがあるから展示されるかもしれないということで、日参しますが、
展示される様子はありません。
ところが、どうしても観たいという市子の想いは、軽井沢の暖かい人々の偶然のつながりと重なりで、思いもかけない展開で、彼女の想像を超える体験となって実現します。

このあたりも現実感は無いのですが、でも良いんです。
八千草薫が演じているのですから、観客は彼女を応援したくなるから、その世界にどっぷりと浸かるのです。

そして、彼女の安堵が自分の安堵になる。そんな映画でした。

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

日時:2015年06月08日 06:48

駆ける少年 1985イラン アミール・ナデリ

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主人公のアミルは孤児です。(小学校高学年位)
仲間はいますが、一人で生きて行かねばならない境遇です。
銭を稼ぐのは彼には必然であって、疑問ではありません。
世の中の厳しい掟に晒されますが、それも必然で彼は疑問には感じません。

彼は飛行機に憧れています。
ある時飛行機の雑誌を見つけました。それを購入しますが、字が読めません。
そこで学校に通おうとします。虐げられますが、必死に勉強します。
字を習おうとするのも彼の中から出た必然です。

仲間割れも起きますし、大人に騙されもします。
そんなことにめげるという感覚も彼にはありません。
彼には生きていく前提条件なのです。

私に彼の気概があるでしょうか?そればかりを振り返る時間でした。

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

日時:2015年05月29日 06:18

ホーリーマウンテン 1973墨/米 アレハンドロ・ホドロスキー

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キリスト風の男が仲間を連ねて、ホーリーマウンテンを目指します。
目的は不老不死を手に入れるためです。
という一応物語にはなっていますが、
アレハンドロ・ホドロスキー作品ですから、メインはもちろん描写です。

監督がやりたいこと、盛り込みたいことを、全て入れ尽くしたというのが印象です。
とにかく盛りだくさん。
しかもどのシーンも手間隙惜しまずです。

体中に昆虫(タランチュラのシーンもあり)まみれの撮影や、
猛獣も出てきますし、大量のカメレオンとヒキガエル等々、調達だけでも骨が折れそうですし、
とてもグロテスクですが、凝った、金がかかっているセットや美術、
手抜きなしです。
でも意図はわからない。

登場人物も奇怪な輩ばかり、また全員がほぼ裸です。
そして登場人物の妄想の具現化のシーンも数々です。
人の欲望の嫌らしさを限りなさをこれでもかと見せ付けます。

幸いに劇場でみれたので、
鑑賞というよりも、アレハンドロ・ホドロスキーの世界を体験した気分です。

追伸
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今月のお宝ほしいもは、“薪ふかし紅マサリ平ほしいも”です。
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【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

日時:2015年05月02日 07:46

繕い裁つ人 2014日 三島有紀子

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偉大な先代を持つと大変です。主人公の市江(中谷美紀)がそれを乗り越える物語です。

まず、この市江というキャラクターに共感できたので、頷きながらの鑑賞でした。
相当苦労して身に付けた仕立ての腕前を持っています。
それだけに、仕立て以外の日常で生きていく所作は苦手ということが冒頭で紹介されます。
商い以外さっぱりダメで不器用な私としては、この部分で共感です。

でも市江はこれだけではありません。
伝説の偉大な先代の詩織は彼女の祖母で、詩織は、街の人達が一生涯着続けたい服を仕立てるという人でした。
もちろん独自デザインで自分で仕立てたものです。
そしてその服は、着る者の年とともに仕立て直せるもの、もう持ち主には無くてはならない服です。
代々受け継がれる服もあれば、死装束としたいと望まれる服でもあります。

そんな偉大な祖母詩織の命を継ぎ、詩織の服を持つ街の人のために、仕立て直しを、もちろん詩織と変わらぬ技で受け継いだのが市江です。

詩織に匹敵する腕前まで修行したことだけでも凄いことですが、市江は、意志もしっかり受け継いでいます。
大手百貨店のブランド化の誘いにも、毅然とした態度で断ります。
このあたりの設定も個人的にはお気に入りで、仕事のあり方とお客さんとの付き合い方にも共感です。

そんな市江ですが、詩織を乗り越えたいという気持ちが無いわけではないのは人情です。
もう街の人からも詩織の仕事を、それは、詩織が仕立てた服のメンテナンスと、詩織が設計した服を忠実に再現することだけでなく、市江自身が位置から仕立てた服を創ることを望まれますが、市江はまだまだそんな自分ではないと、自分に言い聞かせます。
まだまだ先代と肩を並べるまででないとします。
でもそこに葛藤があります。

自分自身と向き合う物語で、展開されるエピソードはそこに収斂していきます。

全体的に台詞よりも映像が主で、しかもゆったりとした流れの映画でした。
題材が、服、そして職人の仕事ということから、その流れは物語の雰囲気に合っていると思いました。

地に足をつけて生きていく。
その強さを感じました。

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

日時:2015年03月31日 08:42