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ブログ 今日のいもたつ

沙羅の門 1964日 久松静児

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本当に自分に愛情を注いでくれるのは誰か?
そして自分が本当に愛情を注いでいるのは誰か?
世界でたった一人で良いからそういう存在があれば生きていけます。

禅寺の和尚は妻帯厳禁のしきたりがあるようで、
この映画の主人公の煩悩ありありの和尚(承海)には、
籍は入れていない、内縁の妻と一人娘(千賀子)がいます。
若い妻を亡くすともっと若い後妻(八千代)をもらいます。
物語は、千賀子が13歳のときに八千代を貰うところから始まり、
千賀子が21歳の女子大生にまですぐに飛びます。
京都を舞台に、承海に尽くす八千代と、男関係に悩む千賀子、
それを案ずる承海と、血は繋がらない千賀子にも親身になる八千代の、
3人を中心に展開します。

煩悩ありありでスケベな承海ですが、八千代に首っ丈です。
そして“金儲け坊主”と仲間の和尚に揶揄されながらも、千賀子の学費を稼ぐために、
一生懸命に檀家回りします。檀家も熱心な承海に感心しますが、
ある日交通事故で承海が亡くなります。

承海はあくまで、独身を通した立派な和尚として禅宗では祀り上げられます。
でも本当は煩悩ありありの人間くさい親父でした。
千賀子はそんな父親を煩わしいと思っていましたが、
亡くなった今はそんな生き様を立派だと想います。

内縁の八千代も戸籍上は娘でない千賀子も、
本葬には列席できません。そして、寺を出て行かなければなりません。

八千代と千賀子は血は繋がってはいませんが、
本当の母娘以上の硬い繋がりをお互いに確信します。
それをもたらしたのは承海の生き方だったことも解ります。
ここで映画は終わります。

原作ももちろん良いのでしょうけれど、脚本も演出も良いです。
リズムあり無駄が無い展開で話が流れます。

健気な八千代は承海にも、前妻の娘の千賀子にも愛を注ぎます。
それを受けながらも千賀子は、思春期から大人になる女の苦悩があります。
八千代が物分りが良いだけに父への抵抗から、若いから、羽目をはずしてしまいます。
そして禅宗に嫁ぐ(籍は入れられない)女の立場の矛盾に怒りを持ちます。
その家庭環境が時に千賀子を退廃的な生き方にしてしまうという話の流れもスムーズですし、
そんな娘を素知らぬふりながら、しっかりと解って心配する父親像もとても良いです。
それら3人の個性はとても人間くさいですが、
家族を何よりも大事にしている人間賛歌の物語です。

ラストは理不尽な立場に立たされた八千代と千賀子が逞しく生きていこうとするのですが、
その心の支えが一番身近な血の繋がらない家族=お互いだったというのも凄く良いです。
きっとこれから二人は時々喧嘩することもあるでしょうけれど、
仲良く、そして人にも優しくできることが想像できます。

なんてったって、二人は二人を無償で想い合えるからです。
人間の幸せはそんな人が身近にいることだと本当に思える映画でした。

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

日時: 2014年10月30日 07:22