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ブログ 今日のいもたつ

道 1954伊 フェデリコ・フェリーニ

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映画をたくさん観るようになったのは、
ここ5年くらいです。
そのきっかけのひとつが、
毎週木曜日に静岡市の視聴覚センターの映画会です。
残念ながら今年の3月で終了。

昼と夜の部の2回開催でしたが、
昼の部だけは再開かもということですが、
昼はまず無理。
多くの名画を大きなスクリーンでみせてくれました。
ありがとうございます。

そのラストを飾るのが「道」でした。
2度目の鑑賞です。

フェデリコ・フェリーニ初期の傑作ですね。
彼の作品はこの後だんだん「達観的」になっていきます。
だからこの作品を押さえるのは、フェデリコ・フェリーニの
この後の作品に触れるために大事で必要な位置づけの作品でもあります。

真反対な人間性の男と女。
男は小悪党、でも我々です。
自己都合で生きています。
女は良心です。
天使に近い存在ですが、天使ではありません。

物語は、二人の道化師が食いつないでいく姿を追います。
二人は時にはお互いを認め、時にはお互いがわかりません。
これも我々の日常です。

そして経済(食べること)の、
死ぬまで生きることの直面を、
二人の生き様で語り、
女の出生からも示唆させます。

だから相反する二人は寄り添います。
けれど、女が男を許せない出来事が起きます。

そこにかかわるのは、二人を諭す、
二人を本当は幸せにする男だったのかもしれません。

そして男が女を棄てます。

男は自己都合で生きます。
それは男にとって自然で、必然で、最良の選択です。
誰もが選ぶ道です。

ラスト。
女の死を知ると男は愕然となります。
男は女の死を予知できたのに、
それはひとごととしていたからです。

男は現実を直面すると、自分では制御できない全く違う男が現れました。
男は、生きていくことができない程に追い込まれます。

自己都合の生き方の清算が待っていたかのようです。

この映画は、三途の川で、
生前の行いで、地獄と極楽に分かれる、
という価値観だけで語っていません。

男が生きてきた生き方の清算を映像にします。
それをどう観るものが受け止めるかを問うているのです。

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

日時: 2012年03月30日 07:27