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ブログ 今日のいもたつ

ミヒャエル 2011墺 マルクス・シュラインツァー

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冷静で残酷な性犯罪者の日常を淡々と映します。
主人公ミヒャエルは、仕事も私生活も几帳面にこなす、優良サラリーマンです。
少年を軟禁して、性的虐待を加えているとは、誰も到底想像すらできない、
普通よりも有能な男です。

映画は現実にいる男と少年を映しているようです。
男が仕事をしているところから、家族や同僚とのやりとり、
少年との食事の準備、夕食風景、一緒に家事をするところ、
遊ぶところ(屋内と屋外)、性的処理を匂わせるところ等々。

男と少年は傍から見ると円満な親子のようです。
ただ、少し違うのです。
それは軟禁するドアに施錠が付いていたり、
部屋が異常に静かで無機質だったり、
表からは全く窺うことができない(光も漏れない)家だったり、
映画の雰囲気もそんな無機質感でいっぱいです。
けれど、男はフレンドリーに振舞うこともします。
その時の映画はそれなりの雰囲気で、
いっそう不気味な感じになります。

そして、一見普通で少年に情けがある男ですが、
それが全て、己を守ることと、欲望につながっています。
だから男は狡猾かつ冷静で残酷です。

世間体で愛想が良い顔がありながら、いつでも次の準備を進めます。
少年が重い病に倒れると、埋める準備を始めます。
アメとムチを使い分けますし、次の誘拐も試みます。
(代替とアメの保険です)
どこまでも冷静で残酷を淡々と映します。

この映画は、少年の思いがけない抵抗で男が亡くなり、
遺品整理のために家族が家を訪れて、
少年を“みつけるだろう”というシーン直前で終了します。

少年が助かったかはわかりませんが、
解放されたことは間違いありません。
では主人公が健在のままだったら?
少年はどこかで男が掌握できない時点でお払い箱でしょう。
それも用意周到に。

こんな物語は身近にはないと思いたい話です。
でも、この映画は隣で起きていることを想起させます。
現代社会のある一面の精神を浮かび上がらせたと感じました。

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

日時: 2012年11月19日 07:32