月別記事

ブログ 今日のいもたつ

ヴァンパイア 2011日 岩井俊二

121206blogy.jpg

気が弱く、でも罪を犯している、そのくせ醜悪なものを拒む、
そんな主人公のヴァンパイアは自分の分身のようです。

主人公は、自殺志願の女性を幇助して、血を抜き、
血を飲むという欲望を満たします。
その欲望は満足することもなく、果てることもない、
虚しさが同居しているものです。
主人公は、血を飲む度に吐いてしまうからです。
けれど、主人公の前に天使が現れました。
彼を包み込む彼に血を与えるという無償の愛を与えるという女性です。
(主人公は彼女の首から血を飲むという、
自殺幇助なしに血を得るという、欲望を満たせてくれる女性です)

けれど、その女性とは引き離されます。
その理由は、この映画がヴァンパイア映画だからです。

血を飲まずにいられない。(生につきまとう欲望)
ヴァンパイアは救われない。
世の中の日の当たらない場所で生きる。
そういうヴァンパイア像を借りた
ごくごく普通人が生きている様を描いた映画です。
少なくても主人公と私は、
生きている根源と、日常の行動の動機は、
変わらないと思わずにいられませんでした。

この映画には他にも象徴的な人が出てきます。
彼に対して無償の愛を持つ天使の母、
日常の彼は、天使から物理的に施されることはありません。

自殺志願の女性達、この女性達は、
主人公をはじめとする弱き普通人とつながりたいけれど、
それが怖い、めんどくさい、
これも主人公や私と同類の人達です。
「死」というジョーカーを使う所が私には出来ませんが。

主人公の中にズカズカと土足で入り踏み荒らす女、
この女は一見何も罪を犯していません。
自分にその自負があるから尚の事厄介です。
そして、社会も女を正当としますし、
けっして暴力としません。

もう一人、似非ヴァンパイアです。
この映画のヴァンパイアが、
己の欲望を控えめに成就させようとしている、
自分の中だけでしかない儚いものだけど、ルールを持っているのに対して、
似非ヴァンパイアは、何でもありです。
主人公にとっては醜い存在です。
でも似非ヴァンパイアは、社会の目をかいくぐる限り破滅しません。

実際にこの映画ではヴァンパイアだけが破滅しました。

ヴァンパイアと死にゆく女性達・社会から消えて行く者達と、
正当を公私共に自負する女と似非ヴァンパイアは、
あまりにも対象的です。

これらの登場人物が織りなす世界を、俯瞰して観せてくれる、
そこのどこに自己を重ねるか、
それを観て自分の存在を確認する映画でした。
映画の中に自分を置いた時、
改めて身近に佇んでいる天使を想うことができます。

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

日時: 2012年12月06日 01:00