月別記事

ブログ 今日のいもたつ

夜の素顔 1958日 吉村公三郎

130629blogy.jpg

戦時中、踊り子として戦地を慰問していた京マチ子が、
戦後の焼け跡の東京で、日本舞踊の師匠につき、
師匠とともに成り上がります。

彼女は師匠を前面に出し、度胸と努力と知恵でのし上がります。
それらが適わないと女そのものを武器に目的に邁進します。

師匠を利用できるところまでで、師匠とは決別、
パトロンを奪いしたたかに、新しい流派を設立、家元に納まります。
飛ぶ鳥を落とす成功に向かっていましたが、
戦時中の恋人が現れるところから危うくなります。
恋人のために、結婚するために、金持ちのパトロンと別れるところからです。

金儲けの才能がない恋人(夫)のダメプロデュースでカネが回らなくなり、
しかも、主人公と同種類の美貌の弟子(若尾文子)が登場、
京マチ子が築いたものを奪おうと虎視眈々です。
さあ、どうなるか・・・?

京マチ子は戦前、極貧の家で12歳の時から客をとらされるという境遇でした。
『(世間を)見返してやる』映画中に何度かでてくるこの言葉通りのこれが、
生きるすべてになっていました。
だからそのためなら“何でもあり”なのです。

師匠を利用することも、なんのためらいもなく色仕掛けをすることも、
パトロンと別れて才覚ない夫を迎えることでさえ『見返してやる』ための選択で、
それが達せられれば、カネに困ることが解っていても良いのです。
カネなんてその後に、
どんなことをしても(倫理がないので)造ってしまうというのが、
意識してない彼女の本心なのです。

しかし京マチ子には三つの間違いがありました。
ひとつは、若尾文子の存在です。
自分と同じ境遇で育った、“何のためらいもなく奪うことができる”
同類の女が現れたこと。
ふたつは、あまりにも今まで走りすぎたために、健康が損なわれていたこと。
三つ目は、『見返す』ことは『自己の破滅』をも優先していることです。健康を害するだけでなく、“見返せば”目的達成ですから、そこには日本舞踊の伝統も何も関係ありません。“見返して”“成功して幸せになる”のは彼女にとって意識している夢でしかないのです。本心は『最大に見返すにはどうすれば良いか』で生きていたのです。

最後は破滅、そして若尾文子が京マチ子を継ぎます。彼女は精神まで継ぐ後継者です。
だからこの物語はまだ続きます。新たに若尾文子が『世間を見返し』どこまで『破滅』するか。
それは実社会の出来事で確認しろということでしょうか。

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

日時: 2013年06月29日 07:37