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ブログ 今日のいもたつ

祇園の姉妹 1936日 溝口健二

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二度目の鑑賞です。
山田五十鈴演じる“おもちゃ”がとにかく粋です。

物語は、正反対の性格の芸妓の姉妹が、
それぞれの信念で穏やかな生活を求めますが適わない、
溝口監督らしい薄幸の女二人の物語です。

姉は昔かたぎで義理人情に厚い、でも現実と事実をみる力がありません。
妹は芸妓が身を尽くしても報われないことに怒りがあります。
湧き出る力は“男を見返してやる”から出ています。
したたかで嘘も平気、なぜなら、男も芸妓を慰み者にしているからです。
確かに男も芸妓もタヌキの化かし合いです。
それについていける金持ち、おもちゃの欲に応える旦那は良い目をみて、
ついていけない番頭(財力がないもの)は、おもちゃにいい様にやりこまれます。

おもちゃはラスト、番頭に仕返しされるのですが、自業自得です。
おもちゃと旦那衆は対等です。 欲と金との交換です。
だから、おもちゃはルール違反はしていません、 唯一、番頭だけは騙したことになります。
本人は気づいていませんが、 だからしっぺ返しを受けました。

姉の梅吉は、一見聖女です。
こんな女に愛されたらどんなに幸せかと、 彼女を求めたくなります。
けれど、一人では生きていけない人です。 そして男にとって安牌なのです。
だから、どんなに尽くしても男の都合で捨てられます。

この映画は、女性哀歌であり、女性賛歌です。
妹は、まだまだ戦うことを宣言します。
姉は、きっとまた、誰かを愛し尽くすでしょう、それが彼女の生き方だから。
それを肯定しています。

この映画を再見して、 溝口作品の中でも機微の部分でとても擽られる映画だと感じました。
梅吉が男に尽くしシーンがあります。
お土産に丹前まで無一文の男に差し出します、無償で。 (それが彼女の良さであり、男をダメにします)
おもちゃは番頭も、旦那と、姉のための旦那も、手玉にとります。
当時19歳の山田五十鈴のその仕草は、酸いも甘いも知り尽くした女のようであり、
まだ19歳の女らしさもみせていて、とても魅力的です。
男がやられるのも当然だと納得しながら、
男を敵視する女の強さと、それを知りながら騙される男の嫌らしさも表現されます。

『浪華悲歌』も含めて、山田五十鈴の潜在を引き出した作品でもあると強く感じました。

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

日時: 2013年07月27日 07:15