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ブログ 今日のいもたつ

広い畑なので2分割で使っています

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昨年は畑奥を作付けしたので、
今年は手前を作っています。
奥は土壌改良のために、緑肥作物のソルゴを蒔きました。
6月に(6月にしては)寒い日がなく、 梅雨明けは早かったのですが、
それ以降真夏の陽気で、 雨も時折あるということで、
ここまで順調に推移しています。

【芋日記】

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夏本番 虫が活発です。

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農家の庭先ではツバメの雛が大きくなっていました。
有機の畑で時々見られるヒバリの巣も、もうどこも巣立っています。
雑草も花を咲かせていたり、早いものでは種をつけています。
立秋を境に、サツマイモの天敵のイモムシも増えてくるでしょう。
けれどそれまでに、畑に多種類の生物が生息していれば、
イモムシばかりになることはありません。
ただし、草や動物達に押されてサツマイモが育っていないことには収穫は見込めませんが、
今年はどの畑もまずますの生育です。

追伸 7/23は「大暑」でした。二十四節気更新しました。
ご興味がある方は、干し芋のタツマのトップページからどうぞ。
干し芋のタツマ
二十四節気「大暑」の直接ページはこちら
大暑

【芋日記】

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銀河農法栽培の人参芋と安納芋

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土壌改善の銀河星を使った農法の2年目の畑です。
昨年度は初年度ということもあり、 様子見での栽培でした。
作付け時期が遅いこともあり、品質は良いのですが、
収穫量は少ないという結果でした。
今シーズンは、早めの定植で対応しましたが、
つる・葉の伸びは他の畑よりも遅めです。
銀河星は、土になじんで農産物に影響を与えるまでの時間がゆっくりなのかもしれません。

【芋日記】

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畑の多様化のために

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有機農業では畑の環境を自然に近づけることが大切です。 畑回りに緑肥作物を植えてそれを後押しします。 今までは、1種類の作物を畑回りに植えていたのですが、 今年は数種類を植えてみました。 イネ科のソルゴ、同じくイネ科のえん麦、マメ科のクロタラリアです。 サツマイモだけでは寄ってこない昆虫も寄ってくるようになります。

【芋日記】

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ここからは手取りのみです

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一番最初に苗を植えた畑で、つる・葉が順調に育っています。
ここまでは畝(うね)に上はマルチで覆って抑草していました。
畝間は機械である程度除草できましたが、
これからはどちらも手取り除草になります。

すべての草を取り尽くすことは不可能ですし、
それも自然に逆らう行為です。
サツマイモもある、草もある程度は生えている、
手取り除草しながら、そういう畑を目指します。

【芋日記】

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今年もメロンができました

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黒沢進さんのメロンが収穫されました。
集荷にいくとご馳走してくれました。

糖度は昨年の方が高いですが、それでも十分に甘く、
メロンの風味もぷんぷんします。

この暑さだから今年のさっぱり感のメロンも体に合っているし、
進さんの娘さんは今年の方が美味しいと言っていました。

【芋日記】

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西鶴一代女 1952 溝口健二

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情け容赦なく女が堕ちる様を描く壮絶な映画です。
性という制約の中で考えうる女の不幸を、
女がその状況下で遭遇する新たな試練を、
映像化しています。

封建社会下の公家の一員の娘が、
大名の妾として世継ぎを生みながら、
乞食のような娼婦にまで堕ちますが、
その前後とその最中の葛藤を田中絹代が見事に演じます。

純愛から結ばれようとした男とは、身分の違いから不義とされ、
男は打ち首、女の一家は公家から庶民へ。

運よく大名の妾になり世継ぎを生むも、
大名に尽くしたことが仇となり、保身の重役にお家から追い出されます。

商才もなく、甲斐性がない父親に郭に売られ、
もう一歩で身受けされそうになると、その男は詐欺師。

ねんが明けて商家に勤めるも、
遊女の過去がバレて弄ばれる羽目に。

その後、甲斐性も思いやりもある男が現れ、ようやく今までの苦労が報われて、
こんなに幸せになってもよいかの絶頂になりますが、
夫は物取りに殺されます。

乞食の娼婦になり絶望の中、
世継ぎのあの子が大名になり、お屋敷に招かれるも、
女の過去を赦さないお家は子供と引き離そうとします。
女はなんとか逃れ、巡礼者として生きることを決める。

ありとあらゆる不幸が襲いました。

女を不幸にするきっかけは、いつも男の我儘です。
封建社会だったことも割り引けません。
“表向きは女のため”の男もしかりです。
(唯一殺された夫を除いて)
愛した女であっても、血を分けた娘であっても、世継ぎを生んだ母であっても、
他人の痛みは感じませんから、自分の心の負い目が薄れるまで辛抱すれば、
“自分さえ良い方が良い”のが人間です。
綺麗ごとを言ってもそれが本性です。

人が人らしくいるためには安全地帯をいつも作って
そこにいるようにしなければすぐに堕ちます。

そしてこの映画は、
こういう現実があったことを淡々と語った物語です。

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

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決闘般若坂 1943日 伊藤大輔

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伊藤大輔監督、
片岡千恵蔵の武蔵(たけぞう)と月型龍之介の宍戸梅軒という、
往年の名時代劇です。
劇場で鑑賞できたことを素直に喜びます。

75分なので現代映画からすれば短い部類です。
テンポ良く話も絞っているので、尺は過不足なくです。

冒頭の敵討ちと、ラストの梅軒と梅軒の妻との殺陣のシーンも迫力ありました。
切っても地が噴出したり、効果音を効かせていないところは、
かえって健全な時代劇という印象です。

女性二人が武蔵にかかわりますが、
日本女性という感じです。
二人とも(プラス弟子の子供)武蔵を信頼しています。
何年ぶりかrの再会でも、武蔵からのねぎらいもなく、
ほとんど会話もないけれど、またこれで何年も信じて待つことができる。
そんな男と女(同姓同士でも)の信頼関係は、
今は希薄だなと思ってしまいます。
江戸初期の時代というよりも、
この映画が製作された頃はこういう雰囲気だったのでしょう。
今は携帯電話とネットという社会なので、
こういう信頼関係はできないのでしょう。

そして、ラスト武蔵は敵の子供を救い、やっつけた敵を弔います。
この精神も見習いたいものです。

話は前後しますが、ラスト直前に、
強くなっても、沢庵和尚には叱られます。
強くなったら、それ相応の責任を身に纏うということです。
これも耳が痛いエピソードです。

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

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御誂次郎吉格子 1931日 伊藤大輔

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【ピアノ伴奏 柳下美恵】【活動写真弁士 片岡一郎】

サイレント映画ですが、ピアノ伴奏と弁士付きで鑑賞です。
ピアノは全く気にならないどころか、
フィルムから聞こえてきているのではないかというくらいフィットしていました。
静の場面は、ささやかな音色、
動の場面の大きく揺れ動くような激しい音色まで、
強弱とリズムがピッタリです。
そして弁士も、言葉が過ぎず足りずです。

この話は、字幕だけではちょっと辛い(わかりにくい)ので、
最初は弁士付きの方が深く理解できました。
多分、当時はほとんど筋は知って観ていたのではないでしょうか。

肝心の映画ですが、なかなか見事な演出です。
スピード感ある映像と、随所の細かい映像にメリハリがあります。
スピード感は、格闘(決闘)シーン、
細かいシーンは、庶民の映像の時です。
髪結い床に集まる人たち、下町で戯れる子供のシーンなどです。
そして圧巻が無数の御用提灯が鼠小僧次郎吉を追い込むところです。

アクション映画と恋愛が合わさった展開と、美男美女の競演、
もう既に映画ならではの魅力をいかんなく楽しめます。

大河内傳次郎のかっこよさは予想通りでしたが、
ヒロイン二人が良いのです。
ちょっと世捨ての女が次郎吉に恋焦がれ、
次郎吉のために身を投げる健気な女ぶりを魅せます。
ゾクッとするアップ映像があります。
その女と対比される、純真無垢な女がもうひとり。
この二人は、伏見直江、伏見信子の姉妹とのこと。
女の魅力が収められています。

伊藤大輔監督作品の現存しているフィルムは、
1980年頃から発見されてきたそうです。
現在だから観ることができるようになった私達はとても恵まれています。

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

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別離 201イラン アスガー・ファルハディ

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一組の夫婦が離婚調停している場面からこの映画は始まります。
イラン国外への移住を希望する妻、
11歳になる娘の将来を危惧しての決断です。
当初は夫も賛同していましたが、父がアルツハイマーになり、
介護が必然の状況になることで、妻に対してその約束を反故にするところから
持ち上がった離婚騒動です。

妻は実家へ、介護は夫と娘と、ヘルパーとなります。
ここから夫婦も含めた泥試合が始まります。

イラン社会の現状を上手に現しながら、
緻密な脚本は観客を惹き込みます。
展開上不可欠の二つの嘘の設定も見事なら、
一人ひとりの自己を守る台詞も絶妙です。
日常の延長で起こった出来事が、
悪い方向へ転がり、サスペンスも絡んだ極上の人間劇です。

夫婦は中流家庭です。
介護に雇われたヘルパーは貧困家庭です。
バスを乗り継ぎ幼い娘を連れて、身重の体で働きます。
彼女の夫は短気でヤクザまがい、挙句の果てに失業中です。

日銭が必要な貧困、妊婦とヤクザまがいという背後設定を踏まえた上で、
事件が起こります。
彼女が無断で介護を抜け出し、その隙に父は危うい身になります。
それが夫と娘に発覚、彼女は解雇、それだけにとどまらす、
夫と女がいざこざになり、夫が女を突き飛ばし流産という事件に発展します。

イランでは数ヶ月の胎児が流れると殺人罪になるために、
裁判になります。
争点は、夫が女の妊娠を知っていたか。
ここからサスペンスの色合いが濃くなります。
夫は本当に妊婦であるという認識がなかったのか?
逆に女の流産は、夫の過失が原因なのか、どうもそれ自体も怪しくなります。

この映画の秀逸さは、その表面的な裁判の争いの奥にある、
当事者二人に纏わる人間関係の今までの積み重ねを、
裁判の進行に重ねている所と、
夫が主張する安易に罪を認める行為の生きる尊厳の放棄への警鐘です。
金で解決をしようとする妻と、どこまでも折り合いません。
妻の行為は不安を払拭することだけに囚われています。
けれど、安心とそれを速やかに手に入れられる時間を買う行為を、
否定できません。
ただ、夫は尊厳を捨てられないのです。頑なに。
そこまで頑なになるのは、娘に折れる父親像を示すことが
二人のこれからの一生に埋められない溝を残すことになるからです。
そうなってしまうのは、
既に夫妻が別れの真っ只中にいる、これまでの関係からです。
娘はもうさんざん夫(妻も)が不審なのです。

ふたつの嘘にひとつは、夫です。
妊娠を知っていた事実です。
尊厳を守りたい夫の態度はこの嘘がある限り、娘は不審をぬぐえません。
けれど、裁判の進行を考えると、これの露呈は決定的な不利になります。
それを設けているこの台本はとても残酷です。

もうひとつの嘘は女です。
夫のいざこざの前に既に流産は決定的だったことです。
この嘘ももちろん裁判で決定的に不利です。
この背景にはヤクザな夫が絡んでいます。
イランの格差と社会状況を見ます。

話はそれますが、
女が介護の父を触ることを躊躇するシーンがあります。
それらを含めて、イスラム教を体感させるシーンが多く出てきます。
結局女は、夫の過失をコーランに誓う条件で、金を受け取ることができませんでした。
これらもこの映画の特色です。
イランのありのままを見るようなのです。

この映画では誰も勝ちになりませんでした。
夫婦は、別れを強化しただけです。
娘はラスト、離婚が決まった両親のどちらの元につくかの選択を求められます。
それ自体もだれも勝たない証ですが、
娘は全神経を傾けた日々で、その結果がこころの傷と両親の離婚です。
(私は、娘と両親との別れがこの題名にかかっていると推測しました)

そしてヘルパーの夫婦も勝つことなく終わります。
この夫婦の娘も主人公夫婦の娘同様の傷を負いました。

日常の延長であることがこのシナリオの怖さです。
老人問題、経済格差、宗教を盾にしたエゴの放出、
不安な社会から逃走したいという動機からの妻の行動、
豊かになるごとに大きくなる普遍の問題を語る作品です。

それがたまたまイランであっただけです。

罵り合う印象が強いのですが、
家族が家族でいることを渇望している裏返しのようにも思えました。

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

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