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いもたつLife

【SPAC演劇】病は気から ノゾエ征爾

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5年ぶりの再演で、5年前この劇で、「どこまで笑えないか試されている喜劇」だという印象でしたが、今回もそれは同じですが、それ以上に感じたことは、一人の人間は意外と多くの人と関係があり、そして影響を与え与えられているかということ。
それと、これも前回同様ですが、人間、笑えない喜劇のように生きていることを痛感です。

ノゾエ征爾版「病は気から」は、舞台を観客席にしてそこで役者が演じ続けるというスタイルです。そこで行われていることは、もうすべて他人事ではありません。

冒頭、一般の観客者が舞台を見学するという設定から始まるこの劇で、病気なのに頑なに自分は病気ではないと言い張る男がアルガンを演じます。もちろんアルガンは、病気ではないのに、病気だと言い張る男です。同じ役者(阿部一徳)がこれを演じる、もうこれこそ私達です。立場、役割、社会適応という名の下にこんなことをやっています。

そしてアルガンは思いっきり自分勝手、自己都合で長女のアンジを医者の嫁へと強要します。しかもいつも大声を張り上げて。これも私達です。ただ大声は張り上げませんが、静かな顔で主張は断固として曲げません。

そのためにアルガンの家はいつもドタバタ。私的にはここは、自分の会社内に見えて仕方ありませんでした。

でもアンジも、次女のルイジも父アルガンを慕います。けれど後妻のベリーヌはアルガンの遺産が目的で、アルガンの病気を歓迎しています。これも面白い。アルガンは病気ではないのですから。
そしてなぜにアルガンに滅茶苦茶の量の薬を処方する医者がいるのか?
アルガンは医者が身内にいれば安心と、アンジの婿には医者を選びます。その親子も似非医者として登場しますし、もう一人弁護士も登場しますが、およそ理知的ではありません。そんな医者や弁護士を敬う盲目的なアルガン、そして医者も商売人という風刺、これらも笑えない喜劇です。

事ほど左様に、これでもかと、人の視野の狭さや滑稽さが繰り返し演じられ、狭い舞台の中の限られた人数だけですが、アルガンだけでも家族はじめ多くの人とワイワイガヤガヤ生きている、係わっていることが解ります。ここは他人との付き合いは狭い中の限られた人だけと思いがちですが、人の一生では思っている以上に多くの人が生きるためには必要で、お互いに影響し合っているのではないかと思いました。
そしてそんなやり取りをしながら、本当に死んでいくアルガンで、それを悲しむアンジとルイジ、人の一生なんてこんなものでしょう。

劇はそんな人の一生を見せながら、観客席から私達の生活を観ているとでも言いたそうです。

ノゾエ征爾版「病は気から」、面白いことは間違いありません。ただし、じくじたる思いにもなります。
けれど、それでも、アルガンのように、盲目的ではあっても声を張り上げて生きる、死ぬまでそうでありたいものです。

【いもたつLife】

日時:2017年10月28日 09:05

【演劇】プレイヤー 長塚圭史 演出

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「プレイヤー」という劇中劇の稽古風景をみせながら、
その劇が現実に取って変っていきます。
その劇自体が怖い話で、だんだん現実になっていくことで怖さが高まります。

「プレイヤー」という劇は、人類がアップデートするために必要な覚醒された人のことです。
地球を破壊する人類に残された道は、肉体を棄てて、魂をあっち側に持っていって、そこではなんの不自由も無くみんなで仲良くすること。それは、それを推し進める劇中劇の輩の言い分です。
人は意志で死んで、あっち側にいくようになれる、そしてあっち側に行く前に7人のプレイヤーを選び、そのプレイヤーは死んだ人の言葉をこの世の人に伝える、伝えることで、死ではあるけれど、それはあっち側に行く事であり、だから皆この不自由な肉体と地球を棄てようという啓蒙をするということです。

当然それを推し進める人と、そんなことはあり得ない人が劇にはいて、でもだんだん、あり得ないことという考えがあり得ないとなっていきます。
ただただ、劇中での劇がそれを主張しているのが、劇が現実のようになっていくのが味噌で、本当にそんな雰囲気になる怖い話でした。

豪華キャストも売りで、会場はもちろん満員。
最初は疑問だらけ、それがだんだん露になっていく脚本の面白かったです。

【いもたつLife】

日時:2017年09月20日 09:05

【寿司てつ寄席】瀧川鯉昇 神田松之丞 二人会

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今回は二人会、たっぷりでした。
まずは鯉昇師匠から、演目は「武助馬」。ウォーミングアップという感じです。
続いて松之丞師匠の講談「天明白浪伝 首無し事件」こちらはもう全開でした。
仲入り後は、
引き続き松之丞師匠の「立風の情相撲」40分位のネタらしいのですが、
12分位にスピーディーにまとめます。
もちろん時間の関係で。でもかなりの迫力で圧倒されました。
トリは鯉昇師匠の「千早ふる」、
竜田川がモンゴル出身力士、
“ちはや”と“かみよ”は南千住のホステスという設定です。
面白かったです。

贅沢な寿司てつ寄席でした。

【いもたつLife】

日時:2017年09月14日 09:53

柳家花緑 d47落語会 第17回「静岡県」

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47都道府県を一つずつ「デザイン目線」で紹介するトラベル誌が「d design travel 」。
編集長のナガオカケンメイさんが2ヶ月間静岡に滞在して作りあげた「d design travel SHIZUOKA」が発刊されて、それに合わせての落語会がd47落語会です。

静岡にまつわる新作落語を花緑師匠が、渋谷と静岡でだけ披露します。師匠は同時代落語と名づけ、洋服で椅子というスタイルです。
脚本はいつも藤井青銅さんということですが、今回は(今回も?)師匠が肉付けした「静岡落語」でした。

第一部は古典落語「刀屋」これは着物で座布団の通常スタイルです。
師匠が舞台を見て選んだ演目で、その舞台は演劇専門の舞台、この舞台なら観客が映像化して欲しい噺を選んだのが人情噺「刀屋」でした。
枕でたっぷりと笑わせてくれて、噺に入る前に「(人情噺だから)笑いはあまりないですよ。笑いは静岡落語にとっておきます」との口上の後、始まりました。
なんのなんの、笑いのくすぐりも所々にある、素晴らしい刀屋でした。

仲入り後の第二部は新作静岡落語「のののののの」という題名でしたが、観客は皆「新幹線落語」にすり返る内容で、“静岡県民は大爆笑”のこちらも大笑いでした。
脚本家の藤井青銅さんは静岡の仕事を結構しているとのことですが、それにしても“静岡県民の気持ち”をよくあれだけ汲み取れると感心です。また、師匠の肉付けも絶妙でした。

第三部はトークショー。
こちらで、第一部の演目の選んだ理由や、新作静岡落語ができた経緯、そして、「d design travel 」のコンセプト等を聞くことができました。

他の都道府県の新作落語も聞きたくなる、というか、この主旨に賛同しての、おっかけがたくさんいるとのこと。その気持ちがわかりました。

【いもたつLife】

日時:2017年07月24日 11:09

寿し鐵寄席 柳家権太楼 独演会

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二つ目のさん光さんの「田楽食い」で幕開けでした。
枕も落語も上手、もう真打が近いということで、納得です。

お目当ての権太楼師匠は、「火焔太鼓」です。
枕は夏の話でこれももちろん面白いのですが、その最後に当然のごとく、
火焔太鼓の前ふりで、すっと落語の世界に入ります。
江戸弁と勢いがある師匠の口調は、「火焔太鼓」にピッタリです。
志ん生師匠の生は聴いたことはありませんが、
こんな感じ、同じ位のレベルではないかと、素晴らしい「火焔太鼓」でした。

仲入り後は打って変わっての人情噺「たちぎれ」です。
師匠の静の芸を堪能です。
この噺は人情噺ですが、遊女と若旦那の関係は、お互いに本気の恋であったとしても、
死別しても、遊女と客の関係であるという、この構造に感服してしまう噺で、
落語らしい業を現します。
それを権太楼師匠の語りで聴けたこと、本当に良かったです。

全力投球の二席でした。

【いもたつLife】

日時:2017年07月13日 09:05

柳家花緑 独演会2017

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花緑師匠の落語はやはり一流です。
大笑いしました。

最初は、弟子の圭花さんの「子ほめ」これもなかなかでしたが、
やはり花緑師匠はレベルが違います。
枕でもたっぷりと笑わせてくれて、「不動坊」です。
吉さんと大屋さんのやりとりを省略しての噺でした。
これは珍しいし、時間の関係でしょう。
そして仲入り後は、「猫の災難」。
個人的にはとても好きな噺です。
師匠も五代目小さんの得意だったネタだったから、挑戦しているということでしたが、
私も「猫の災難」は音声での小さんのものしか聞いたことがなく、
まさか、「小さんの猫の災難」の本家取りを目の当たりにできるとは思わず、
そして、もちろんその出来が素晴らしかったので、
笑いながらも感動ものでした。

師匠は新しいプロジェクトもやっているとのことなので、
次はそれを鑑賞にいくことを決めました。

【いもたつLife】

日時:2017年07月08日 08:21

立川談笑 月例独演会【6月国立演芸場】

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仲入り後に「おせつ徳三郎」でした。

「おせつ徳三郎」がネタおろしということで、枕もソコソコに、
「天狗裁き」「たがや」が始まります。
ソコソコの枕ではありましたが、
「おせつ徳三郎」と枕を活かすのが「天狗裁き」で、
それと同じくプラス夏の花火の季節が到来ということで「たがや」でした。

「おせつ徳三郎」は人情噺、今回も楽しいひとときでした。

【いもたつLife】

日時:2017年06月08日 09:06

【SPAC演劇】アンティゴネ 宮城聡 演出

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二度観ることが出来ました。

観客一人一人にとっての、身近なもしくはもう名も知らぬ先祖が、その観客のために、霊界からあの舞台を通して人と成り、「アンティゴネ」を上演してくれている、その気持ちが高ぶったというのが、二度目の一番の印象です。

舞台は霊界との境で、僧により多くの霊が招かれます。
僧から何かしらのアイテム、例えばカツラ、例えば剣に見立てた杖を受け取ると、登場人物になり、私達の前に姿を表します。
その他の霊も舞台上にいて、見ることはできますが、実は合唱だけというのが、この観劇の嗜みです。

そして何を語りかけてきているかというと、それは辛辣な現代の現実です。
危うさを増すばかりの世界。主要国の為政者が民のためを謳っているとしながら、自国をいかに優位にすることが真の目的で、力の鼓舞をクレオン王の主張で語ります。
それに対峙した行動を取ったのがアンティゴネで、それを擁護するハイモン、でも二人は自害に終わります。

アンティゴネの行為を民は支持します。けれど決してその気持ちを王の前どころか口に出すのも憚れているのです。
そして擁護したハイモン、王の大事な息子でありながら、だからこそ彼しか王の過ちを正すことができないから、彼は立ち上がり、精一杯アンティゴネの心を伝えるのですが、伝わることは適わなく終わります。
こんなことを現実世界に起こしてはならない。という強いメッセージです。

では我々は何をすれば良いのか?
劇中何度も挟まれる、死者=我々の先祖を弔う心というのがポイントです。
劇では、クレオンの主張は人の法と言います。それに対してアンティゴネが取った行動は、神々の心がもたらしたと言います。
神々の心とは人に本来備わっている純な心で、そこから湧きあがることを肯定し行動することを促します。

黒が基調な舞台、しかも水が張られています。畏怖の念を抱かせる中、雰囲気も厳粛です。でもこの世とあの世の境に現れた先祖は、決してこちらを怯えさせることなく語りかけてくれる、そんな演劇でした。

【いもたつLife】

日時:2017年05月16日 09:05

【SPAC演劇】アンティゴネ 宮城聡 演出

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アンティゴネが法を犯してポリュネイケスを手厚く葬ったことに対しての、力が籠った討論劇です。
クレオン王の決め事は是か非か、だけでなく、法は危ういもの、だいたい人が定めたものなんて賞味期限があって当然ということを為政者は棚上げしてしまいます。
それに対して人本来の心が王と討論します。
そして、ポリュネイケスだけでなく、劇中みな死に絶えた、アンティゴネ、エステオクレス、クレオン王達を日本流に見送る日本にずっと受け継がれてきた、死者への畏敬を表現しています。

アヴィニョン演劇祭のオープニングに招待された栄誉に応えるのは日本を表現すること。が伝わってきます。

宮城演出お得意のスピーカーとムーバーが分かれる仕立てです。ワンシチュエーションの討論劇で、スピーカーの力強さを表現するムーバーです。
舞台は水を満たした岩場をイメージさせます。
そこは闘いの場であり、三途の川であり、でもラストは壮大な精霊流しです。
私たちの魂がよりどころになるそんな場を提供してくれた演劇でした。

【いもたつLife】

日時:2017年05月12日 09:07

【SPAC演劇】ウェルテル! ニコラス・シュテーマン演出

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「若きウェルテルの悩み」を現代を舞台にした、ひとり芝居で、演出もさることながら、役者の力量でぐいぐい引っ張る演劇です。
演者はフィリップ・ホーホマイアーさん、この劇を1000回以上上演していて、毎回新しい“ウェルテル”に成りきっていると、上演後のアーチストトークで話していて、確かに、今回も「津軽海峡冬景色」が挿入されましたが、それは前日の晩にたまたま聞いて取り入れたのだそうです。

若きウェルテルのどうしようもできない感情を、切実に表現しています。
シャルロッテを愛して愛して愛してしまった、そしてその愛は成就しないことで、狂おしくなってしまうウェルテルで、その閉塞から来るどうにも出来ない気持ちは果てることはありません。
シャルロッテも自分自身もコントロール不能で、その日々を重ねていく様は、狂ったようにも見え、でも根源的にそのような狂ってしまう気持ちは誰にもある、そして、ウェルテルはその感情が募っていってしまっています。
シャルロッテの婚約者のアルベルトを決して憎むでもなく、友人として尊敬に値すると思っています。それも彼の募ったどうしようもない閉塞感を強固にします。
ウェルテルが導いた絶対的な結論は、この気持ちに折り合いを付けることで、それは自身で決着を付けることでした。

ウェルテルの苦悩を、だいぶユーモラスに、でも心からの叫びであることをオーバーアクト気味に演じるけれど、フィリップ・ホーホマイアーは人に潜んでいる感情というエネルギーの莫大さを示唆し表現します。
また、シャルロッテへの愛は、彼女を愛する行為は自分自身を愛することと同じ深さで、でもその感情は自分ではいかんともしがたいこと、出来ることは感情を無視した行動で、どんな行為も満たされない感情の下では空虚でしかありません。
本当に人は残酷な性を持って産まれてしまったものです。

【いもたつLife】

日時:2017年05月11日 07:43