月別記事

ブログ 今日のいもたつ

熱波 2012葡/独/伯/仏 ミゲル・ゴメス

131218blogy.jpg

主人公は80代の老女、現在ポルトガル在住。
主人公の現在が第一部、50年前のアフリカでの彼女が第二部です。

第一部では第二部以降の長い人生の集大成を示します。
偏屈になってしまった主人公、でも今際の際で一人の男と会うことを懇願します。
その姿は現代の隣人にはみせたことがない、
彼女の人生の終焉に決着をつける彼女の意志の生きた証の確認です。

それが何なのかが第二部で語られます。
アフリカ、ポルトガルの植民地でなに不自由なく暮らしていた若からし頃の主人公の、
禁断の恋物語です。
舞台アフリカの暑い大地で、熱い恋がありました。
なに不自由なく暮らす生活なのに、愛する夫を失うのも厭わない、
より燃えるような恋がありました。

そんな恋(愛)が続くことがないことは、彼らの周辺も、鑑賞している私達も、
心の底では本人達も承知です。
そしてその通りになります。
けれどこのアフリカでの一時は、主人公にも相手の男にもその後の人生の指針を決める大きな要素でした。

第二部ではその根源が綴られています。
切ない恋物語と言えば簡単ですが、その演出が魅力的で、根源に言及しています。

第二部は、亡くなった主人公を偲ぶかたちで、
主人公と同じように人生の終わりを迎えようとしているアフリカでの熱い恋の相手の語りです。
50年前の主人公とその頃の輝いていた数々の映像は映りますが、
彼の回想以外の声は聞こえてきません。
ただし、アフリカの自然の音と、彼らが精魂こめた音楽だけは観客に届きます。

この演出がこの映画の語りたいことを表現していました。
あくまで主人公ではない目線で語る主人公の姿が映ります。
その主人公を想う語り手の愛がかぶります。
音はアフリカの音、それは二人がいつも感じていた音でしょう。
二人で会う蜜のような時間でも、それが背徳で胸を苦しめる時間でも流れていた音です。

アフリカ時代の主人公達の仲間のバンドが放つ音楽は、
映画に、二人の不徳に対して意を唱えるかのように流れます。

このように(観ていなければわからないでしょう)、
二人には祝福はなく、アフリカでのロマンスは終わりを告げます。
その後、長い長い時が流れました。

たかが不倫の物語かもしれません。
だからそれを肯定しているわけではありません。
でも、熱い姿を映したいように思えてなりません。
日本を含めて現代の成熟社会はそれを許さない、
熱い想いを生むことの胎動もない世界だと、
それがない時代を語っているのでないかと、
この映画を観て想わずにいられませんでした。

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

日時: 2013年12月18日 07:33