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ブログ 今日のいもたつ

蒸かし始めました

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年末に引き続き、有機ほし黄金が蒸し初めです。
糖化が進みモノが良さそうです。

【芋日記】

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FOUJITA 2015日/仏 小栗康平

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映像を通して藤田嗣治(オダギリジョー)の心象風景を察します。そして、戦争とは何か?大きな力(戦争)は、国中の人を巻き込みます。
戦争前のパリと戦中の日本がガラッと違う雰囲気で、あの時代の世界の一部を通して、日本の姿を抑えて語ってもいます。

映画は二部構成です。
第二次大戦前のパリ、藤田はすでに画家として確固たる地位を築いています。
社交界でのドンチャン騒ぎ、派手な藤田です。
一転して戦時中の日本の疎開暮らしは、映像も藤田も地味です。

全くと言っていいほど、状況と藤田の心境の説明がない前半と違い、5番目の妻君代(中谷美紀)との会話で、その両方を垣間見せます。

藤田の作品(絵画)はぼんやりとしか映しません、最後のシャペル・フジタ以外は。それと対比するかのように、全編通しての映像は鮮明で美しい限りです。個人的には疎開先の田舎の風景は、日本人であるから感傷的になります。

パリも日本も綺麗な映像ですが、パリでは作り物の上で燥ぐ藤田、日本では自然の中で物静かでいる藤田、彼の心でしょう。
そして私は、藤田は描くことにとても貪欲だったと思います。5回の結婚、パリで敢えて華やかな舞台に躍り出ること、これらは創作意欲を掻き立てる行為に見えます。
日本で戦争画を描いたのも、戦争に加担したかどうかよりも彼の中では掻き立てられた故のような気がします。

全く異なる二つの生活の中で、作風も全く違う絵を描く藤田を見ていると、大きな力に揺れ動いてしまうのは人そのものであり、社会そのものも動き出したら止められないと気づきます。

私はパリの煌びやかさの対比として日本の戦時の風景を、小栗康平監督は見せたかったのだと思います。
たかだか20年で世界は変わります。赤紙を受け取る寛治郎(加瀬亮)、鉄の供出、戦争画を描いたことで将校になった藤田が軍服を着て表に出ると村人に敬礼されます。でもその藤田が戦後日本を追われることを観客は知っています。
そしてラストのシャペル・フジタは藤田が求めていた心であり、監督の願いだと受け止めました。

自由な解釈ができ、それを委ねられた映画で、また、暗喩にも満ちている映画です。
藤田の心象風景を通して、人々の精神に触れているようにも思えます。それらは美しい映像で表現されています。感じ取れた部分は一部でしかなかったというのが鑑賞後の印象です。

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

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海と毒薬 1986日 熊井啓

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人間の本質に言及しています。
人間はなんと残酷か、そして脆いか、そして良心とは何かを問うてきます。観る者は自分が主人公二人としたら、どんな罪を感じるか、仕方がない状況と誤って成長した社会構造を非難する側に回るか?
鑑賞後の困惑が止まりません。

昭和20年春の九州の大学病院で行われた米兵捕虜の生体解剖が主の映画です。
このクライマックスに至るまでも秀逸で、病院内の力関係の構図と医療ミスの隠蔽工作を描きつつ、また展開は生体解剖の関係者の米軍の尋問からの回想ということになっていることから、登場人物の人となりと当時の様子が掘り下げられ、怖ろしいことに着手してしまう人間像が丁寧に再現されています。

主人公は医学研究生の勝呂(奥田瑛二)と戸田(渡辺謙)です。
勝呂は優しい性格から、生体解剖に関わってしまった自分を咎めます。
リアリストである戸田は、己の行動は、戦時であること、軍と院内からの抗えない力で強要されたことだとし、咎めを自分の心から締め出そうとします。

けれど二人とも心の奥では良心が苛まられることにより救いを求めています。

米軍からの断ろうとすれば断れた生体解剖への参加を何故承諾したか?の尋問に、勝呂は「心も体も疲れていて、もう何も考えられなくなっていた、考えてもしょうがない、自分の力ではどうにもならない状況だった」と答えます。
戸田は米軍からのあなたには良心がないのか?の尋問に対して「良心が麻痺しているとは考えたこともない」と答え、多くの人の死と直面することで、人の死や苦しみに無感動になっていたと言います。

なぜもっと己の良心は自分を責めないのか?戸田は考えます。
生体解剖に参加して十分にうろたえている勝呂も同じことを感じます。

人は自己都合で物事を解釈し、自我を守ろうとします。
でも心が痛むとき、心が苦しむ、嫌らしい言い方をすれば自分で心を苦しめることで、良心を責める結果として自我を救い立て直すのです。

自ら行ってしまったことがどんなに非道で残酷なことでも、行為後の心の動きは同じです。どこまでも自我が破壊されないようにするのが人の本能です。

二人はずっと苦しむことも間違いありません。
生体解剖に携わったのは自らの選択であった事実も認識しています。それは誤魔化せないからです。
でも自分を守るのが人間の本質です。

勝呂と戸田の行動とその動機と、その後の心の動きは、私たちの日常と同じです。
異常な状況だけが違う点です。
そして、その異常な状況は、人が良かれとして構築した社会構造が、そのシステムが人の行き過ぎる欲望でその機能を果たせなくなって行き着いたものです。

人が作った状況で起こす人の行動は繰り返しますが私たちの日常です。
だから今、自分が生きている場も大して異状ではない異状だと思えてきます。

戸田は尋問でこんなことを言います。
「僕にとって良心の呵責とは、他人の眼、社会の罰に対する恐怖だけです。偶然の結果かも知れませんが、僕がやったことはいつも、罰を受けることはなく、社会の非難を浴びることもありませんでしたよ」
私の今を語っています。

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

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たそがれ酒場 1955日 内田吐夢

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さすが内田吐夢監督、という秀作です。

戦後復興中の東京にある酒場、酒場といっても、飯も出すし、中二階には舞台もある。そこでは演歌、民謡、歌謡曲からクラッシックまでの場末の店には不似合いなほどの本格的な演奏があり、クライマックスではストリップショーがある、にぎやかな店です。
この酒場からカメラは出ることはない、一晩の群像劇です。

もちろん悲喜こもごもの人間模様です。

エピソードも役者も多く、でも散漫にはならず、ユーモアも交えた抜群の匙加減の演出です。
役者陣もそれに応える芸達者ぶり。面白かったです。

偶然出くわした戦時の上官と部下(東野英治郎・加東大介)、あの頃を懐かしみ、今を憂います。
それとは正反対に明日を夢見る若者達。
また、議論を交わす学生達。
店のアイドルユキ(野添ひとみ)を巡って仲違いするヤクザ者達(丹波哲郎・宇津井健 他)。
愛人問題で揉める夫婦。
客のおこぼれを拾うコバンザメ(多々良純)等々の雑多の中でメインの物語が進みます。

店の常連で先生と呼ばれているパチプロの梅野(小杉勇)が物語のリード役、
店にはプロ並みの歌手健一(宮原卓也)とその先生の江藤(小野比呂志)がいますが、江藤は一流の音楽家だったのが、なにか事件があって身を潜めなければならない様子で、今は才能ある健一を育てるのが生き甲斐です。

その晩、日本有数の歌劇団の親方の中小路(高田稔)が客として来たことを梅野は見逃しません。クラッシックをリクエストして、健一が中小路の目に留まるようにします。作戦成功で歌劇団に誘われる健一ですが、それを許さない江藤、何故なら江藤が身を潜める原因になったのが中小路だったからです。

クラッシックバレエを諦めなければならなかったダンサーのエミー(津島恵子)は健一まで埋もれてしまうことに我慢ができません。
そして、全てを知っている梅野の説得で江藤は健一を送り出すことにして幕です。

それ以外にも、エミーと昔の男の逆恨みでの騒動や、宇津井健と駆け落ちするユキが、家族を想って諦めるエピソードがあります。
ユキは戦争で父親を失い、母と妹を一人で面倒見ていますが、一杯一杯の生活、そこへ母が倒れたことから月給の前借を頼むのですが、店には断られ、梅野が肩代わりすることになります。梅野が店から借りるのですが、返済期限は今晩の店仕舞いまで、どうして返済するかと気が気でないところ、梅野の過去を知る新聞記者が登場、彼の似顔絵を描いてユキのひと月分の給料を稼ぎます。
梅野は、戦時高揚のための絵を描いていた有名な画家で、多くの若者を戦地に送った片棒を担いだことで筆が握られなくなったのでした。

まだ戦争の傷痕が残る時代、でも活気に溢れている時代、その中にいる様々な人たちを映します。
心が癒されていない者、貧しさから抜け出せない者、昔が自分にとっての栄光だった者、希望を持つ若者、ドロップアウトする若者、次の世代の橋渡しをする人達。
一晩の一室で、社会には老若男女がいていつも交錯していて、また、時は確実に流れ、人は次世代に次への時代を託すものというメッセージを感じます。
見事に纏め上げられていました。

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

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2016年1月1日

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干し場には年末の干し芋が並んでいます。お正月の干し芋産地のいつもの風景です。
あけましておめでとうございます。干し芋のタツマを本年もよろしくお願いいたします。

12月から始まる干し芋加工ですが、年明けが本格的になります。
今年も干し芋通の皆様にご満足いただける干し芋作りをしていきます。

【芋日記】

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干し場には残っています

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12月30日はどこの干し芋農家も餅つきです。
ですから蒸かし納めは12月29日です。
タツマの有機農園は30日まで仕事でしたので、
干し場には、委託加工の紅はるかと最後にやったほし黄金が残っています。
干し場に残った干し芋は1月4日に収穫します。

今年もお世話になりました。良いお年をお迎えください。

【芋日記】

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干し場の有機野菜

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干し場の下で野菜を育てています。使いたい時に使えて重宝です。
もちろん有機栽培です。
干し芋産地にも今週から本格的な寒波が来て、白菜やネギがより美味しくなっています。

【芋日記】

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忠八さんの紅はるか丸干し芋

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暖かい12月でしたが、中旬以降は冷え込む日もあったので、
そこで蒸かした丸干し芋が乾いてきていました。
紅はるかは細長いので、丸干し芋の中では乾きが良いほうです。
あと10日もすればだいたい乾いてきそうです。

【芋日記】

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扇風機が増えました

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暖冬の12月だったため、今まで干し場に扇風機を見かけない農家にまで扇風機を見ます。
暖かい日は全開で回さないと傷むのではないかろいう日もありましたから、
必需品になってきました。

【芋日記】

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稲藁で保管

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原料芋は農家ごとに工夫して保管しています。
玄米を入れる袋に原料芋を入れて、ビニールハウス内に稲藁を敷いて、
その上に置きます。回りも稲藁で囲み、上は毛布を掛けています。
稲藁は暖かくて通気性も良いので、保管にもってこいです。

【芋日記】

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