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定植が始まっています
苗を畑に移植することを定植といいます。
先週から、少しずつ始める農家がでていましたが、
ここにきて、どの農家もはじめています。
農園スタッフの草花
毎年この時期になると、スタッフが手入れしている草花が咲きはじめます。
夏が来た事を感じます。
切り揃えています
順調に伸びた苗は、長いものだけ切りそろえます。
この作業をやると、この次からたくさんの苗が出揃います。
ぽっかり
だいたい順調に伸びてきている苗ですが、
ほしキラリはまだまだです。
これは昨年同様ですから、ほしキラリの特性です。
この苗の伸びでは、作付けする農家はまずいないでしょう。
他にも、シルクスウィート、クイックスウィートあたりの伸びが遅いです。
これらもほとんど作付けされていない品種です。
挽回してきました
昨年よりも10日ほどの遅れだった苗ですが、
ここのところ夏日が続き、挽回してきました。
畑の準備を急ぎます。
追伸
『菊姫頒布会』募集開始しました。
ご興味がある方は、干し芋のタツマのトップページからどうぞ。
干し芋のタツマ
『菊姫頒布会』の直接ページはこちら
菊姫頒布会
【SPAC演劇】例えば朝9時には誰がルーム51の角を曲がってくるかを知っていたとする 大東翼・鈴木一郎太・西尾佳織 演出
街(路上)を舞台としてしまった演劇です。
観客は十数人のグループに分かれて、演者を追います。
エキストラを含め、街の中に俳優がいて、要所で劇の核が演じられます。
それ以外は、主人公を追っていくことになります。
面白いのは物語が二つある点です。
物語はある家族の数時間で、当然同じ家族設定ですが、
あるグループの主人公は姉になり、姉を追いながら繰り広げられる物語を見ます。
もう一つのグループは、弟を追いながら、弟を中心とした物語を見るのです。
途中、誰が俳優で、エキストラであるか、本当の街の人かの区別が付かなくなり、
当然、演技をしている人なのか、現実社会で今生活している人(出来事)なのか、
が解らなくなる体験です。
実験的な演劇でした。
【SPAC演劇】聖★腹話術学園 ジャン=ミシェル・ドープ演出 アレハンドロ・ホドロスキー作
アレハンドロ・ホドロスキーの戯曲ですが、彼の映画ほどは過激ではありませんでした。もちろんそのエッセンスはあり、強烈な内容ですが。
役者は皆等身大の人形を抱えています。彼らは人形を操る何かの役(学園の生徒)でもあり、その人形の役でもあります。
主人公のセレクトはこの奇妙な学園に紛れ込んでしまいます。
そしてやはり生徒であり、人形使いにもなります。
彼は学園に束縛されてしまいます。そこから彼の自由を獲得する物語になっていきます。
人形を操り戦うセレクト、キリストを操り自由を望みますが適いません。次には兵士を操りますが、死神に返り討ちに合います。
そしてついにかれは、人形を棄てて戦うのです。
当たり前に、自分の意志で生活しているように見えて、駆り立てられている何かの力で、
自分の意志は支配されている、自分の行動を見つめてみるとそんな、自分の行動は自らから湧き出てきた動機からだろうか?それを人形に操られてしまうというやり方で表現しています。
とても怖い内容なのですが、とにかく劇はユーモラス。
そして、支配されているのが本当のことのように人形を操る俳優達です。
そして、前から2列目で観劇していると、
人間の役を演じる彼らの息遣いも表情も、快楽や苦悩や欲望の強さを物語って伝わると同時に、それが人形にも乗り移っているのです。
彼らの分身のようでした。
【SPAC演劇】盲点たち ダニエル・ジャンヌトー演出 モーリス・メーテルリンク作(「群盲」より)
目が不自由な12人の男女が、森の中に取り残されたという設定です。
ある島の施設からハイキングで森にやってきました。もちろん施設の先生の先導でですが、何故か先生はいなくなり、戻ってきません。
段々と不安になる12人、そして先生は死んでいたことがわかります。
この演劇は、野外をそのままセットそして使うようですが、当日は雨天なので、室内バージョンでした。
室内にはアットランダムに椅子が並べられていて、客席も舞台です。
スモークが炊かれて薄暗く視界は1mくらいです。
その中で多分12人の役者が散り散りになっていて、遠くからまたは近くから、声が聞こえてきます。
森の中で散り散りになっているからです。
不安を抑えきれず喚く男、冷静に先生を待とうという女、こうなったのはあなた(一人の特定して人物)の責任と責める女、恐怖で動けなくなる男、念仏を唱える女。
皆の不安は高まるばかりです。
突然に死の恐怖に晒された人間の嘆きの感情が伝わってきます。
私達は目が不自由ではないし、今では誰も携帯電話を持っているから大丈夫というのは気休めでしかありません。
生身の人間なんて脆いものです。
都市を作りその中でしか生きられないのが人間です。
自然に身をさらせば、ものの2日もあれば死が待っています。
もちろんそんな状況に追い込まれるのは、事故や災害時ですが、
都市の中でしか生きられないということは事実なのです。
あの叫び声は他人事ではありません。
【SPAC演劇】小町風伝 イ・ユンテク演出 太田省吾作
SPACの劇場の中でも、贅沢な空間の楕円堂での公演、しかも当日は、亡き太田省吾さんの奥様と、1977年にこの演劇を初演した際の役者さんたち数名も観劇という、緊張感溢れる中で開催された「小町風伝」は、個人的にはとても感動した演劇となりました。
小町は既に老婆になっています。失禁までしてしまう程、かつての美しさはありません。もう余命もいくばくもない様子、そんな彼女はかつての絶世の美しさの姿のままの自分を妄想しながら生きています。
ですから舞台上は、老婆の小町と絶世の美女である小町の二人が、対になっています。
老婆の妄想は、愛し愛された少尉との逢瀬。でもその少尉が戦地に去っていく場までも現れてしまいます。
当然ですが、老婆は妄想の中だけで生きていくわけにはいきません。
現実には大家が様子を見にきますし、隣家の生活も目に入ります。嫌でも現実に引き戻されてしまうのですが、その現実を交えて妄想の世界にまた入り込みます。
隣家の息子の若い青年がかつての恋人に重なり、若い自分との逢瀬がはじまります。でもこの時は、かつての恋人が老いて、今の老婆の自分に体を重ねてきます。
今の自分の姿を完全に切り離して妄想することもできません。
それは食べなければならないシーンにも現れます。老婆はインスタントラーメンを煮炊きして食べます。妄想の中ではレストランで、少尉とロシアンスープを飲みワインを呷りますが、それで空腹を抑えることはできないからです。
また、このシーンはとても楽しいシーンですが、町内で運動会が開催されます。
どちらというと、老婆を煙たがる大家も、老婆を看取らなければならない医者と看護婦も運動会に参加します。皆、老婆とともに嬉々としています。
これも半分は現実で半分は妄想です。老婆の耳に聞こえてくる現実社会を、老婆にとって不都合がない世界へと美化しています。
人は死で終えます。それは辛いことです。しかも年老いていった末、体が不自由になり、醜くもなり、場合によっては頭も働かなくなるという、老婆でなくても顔を背けたくなる現実の末路で死に至ります。
それは確かに死の直前の己ですが、その己の姿だけが人生の全てではありません。過去も確かに己だったのです。記憶というのは自分勝手な都合が良い空想である場合もありますが、その源は確固たる過去の自分です。
死を迎える今に当たって、こんな妄想をする老婆(役目は駒子です)は愛らしい存在です。そしてこれはあの世へ渡る彼女なりの儀式でしょう。
最後に老婆は襤褸から身支度を整えて、表札をはずして舞台とは違う世界(この時は、日本平の森に出て行くという演出でした)に旅立ちます。
私が死を迎えるその時に直面した時、果たして私は、どんな自分なりの儀式をするのでしょうか?それを深く考える劇でした。
“沈黙劇”として上演される「小町風伝」を、大胆に解釈し、敢えて言葉を繋いだのが、「イ・ユンテク演出の小町風伝」でした。
老婆、絶世の美女の小町ともう一人の女性の語り手の3人が、ト書きも含めたこの戯曲の沈黙部分を語ります。
老婆は今と妄想時の心情を、美女の小町は若き日に愛するものに伝えた言葉を、語り手は現実の老婆の想いを、役割分担して沈黙部分の全てを露にします。
3人共に実は彼女自身で、今の目の前の老婆の姿だけが彼女ではないということを強く感じました。
この演出はとても大胆ですし、役者達も躍動感ありながら繊細でかつ大胆な演技でした。
解釈に賛否はあるでしょうけれど、私には絶賛したい演劇でした。
【SPAC演劇】ベイルートでゴドーを待ちながら
作・演出 イサーム・ブーハーレド ファーディー・アビーサムラー
二人芝居で、漫才のようで、落語「粗忽長屋」を思い起こすネタがあり、
上質な喜劇ですが、奥には演出家二人の死生観があります。
それは日本人には理解できない、レバノンでできた芝居ならではのものです。
天井からのスポットライトで、一人の役者が暗闇から浮かび上がります。
丸く明るくなった中で、右手で高々とVサインをしています。
そこにもう一人の役者が、その場所を奪おうとします。もう一人も、浮かび上がった円の中でVサインをしたいからです。
最初は明らかにスポットライトの円と、それ以外は暗闇という境界線があるのですが、
演劇が進んでいくと、境界線がなくなっていきます。
次に展開されるのは、<あいだ>です。
二人は二人だけで、二人との間に自分がいると言い出します。
最低3人いなければ、<あいだ>に入ることは出来ないというのが常識なのに。
そこからも二人は、いがみ合っているのか、仲が良いのか、わからない喜劇を演じます。
そして終には、一人の男は、死と生のどちらにいるのかが解らなくなります。
私達が引いている境界線はこの演劇には通じません。
日本での生と死と、ベイルート(レバノン)での、生と死は全く異なり、
常に足を一歩踏み入れているようなのです。
そんな状況を高々と笑いにしてしまうという、心が痛む演劇でした。