いもたつLife
【spac演劇 私のコロンビーヌ】オマール・トマス 演出

オマール・トマス氏の独り舞台です。
セットも簡素、衣装もありきたりで、でも目の前にはパリが広がりそこにオマール・トマス氏がいます。そして彼の彼自身のこれまでを演じます。落語を連想させる演劇です。
とにかくユーモラス、ところどころ日本語も披露し親近感もあります。
表情が多彩、声色を変え、仕草も可愛く観客をひき込みます。
私が感じたのは、人生は大変だけどこれまで頑張ってきたのではないか、です。
劇場のあちらこちらで笑い声や小さな歓声があがる、楽しい演劇でした。
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【spac演劇 ギルガメシュ叙事詩】宮城總 演出

古代メソポタミアで伝われていた神話「ギルガメシュ叙事詩」を現在のspacが演じることができる術を集めた音楽劇であり、もうひとつの見どころは、世界で活躍する人形劇氏の沢則之さんが操る人形が登場することです。
spacはもう十八番といえる演者と口演者の分離で、演者は魅せるそして、口演は複数人で台詞を重ね合わせます。それが演者の心情を、演じる姿に加えて深みを与え、また、物語の骨子を暗示し深みをもたらせます。
人形は、この神話の中に登場する畏敬の存在のフンババと、文楽の人形を想わせる船頭と、そしてもう一体はなんと人と人形を融合させています。
フンババは前半のクライマックスといえるギルガメシュ王の活躍(これが長い目で見れば活躍かはわからないのですが)場面で壮大な神の遣いとして現れます。
船頭は日本の古典そのものを連想させるモノ、融合された人・人形は人なのか神なのかこのギルガメシュ叙事詩が神話であることを強調する存在です。
舞台は複数の衝立を縦横無尽に使って、各場面の背景を想起させます。
今持てるspacの出来得ることを具現化した壮大な紙芝居であり、また文楽と歌舞伎の技能も随所に取り入れられている見事な演劇でした。
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【spac演劇 ふたりの女】宮城總 演出

3年前、まだコロナ禍前以来の「ふたりの女」3度目の観劇です。
光一はじめ心が病んだ登場人物の喪失を埋めるのが骨子ですが、今回は宮城さんの演出がとても宮城的なのを感じました。
登場人物の位置関係が高低、左右に大きく分かれます。これらはもちろん最初の観劇から変わりません。これでそれぞれの立場と親密度が表現されているのを解釈するのは同じですが、同じ場所にいない主役二人があたかもごく近くにいるという演技です。
これは何を表現しているのかを考える観劇でした。
光一とアオイと六条は実在するのかしないのか、それを暗示させる手法かとずっと思っていたのですが、実は3人は三角関係ではありますが、ふたりの女は光一を愛しているのを踏まえて、光一の愛し方がこの表現になっているように感じたのです。
翻って自分です。愛する妻や家族と相対している時、自分もこうやって接していることに気付いたのです。いつも近くにいる、それに胡坐をかいているのです。光一はふたりの女に愛されていることに胡坐をかいているのではないか?
それを私に突き付けているように感じてなりませんでした。
それと、反体制の主張というのが背景にあることも今回感じました。だから今年の演劇祭で上演されたのではないかと推測もしました。
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【spac演劇 カリギュラ】ディアナ・ドプレヴァ 演出

ふじのくにせかい演劇祭2022に招聘されたこの「カリギュラ」公演は二回観たかった劇でした。
皇帝カリギュラの心情を描いています。
狂気、苦悩、精神が悪魔に支配されたことに抗するようにあえぐカリギュラです。
独裁者を擁護する気は更々ありませんが、独裁者も人間であると言わしめているように感じました。
皇帝にまで昇りつめているということは、国にとって民にとって英雄だったはずです。側近ももちろん尊びます。
そのカリギュラがおよそ英雄とは違う人格に堕ちていってしまいます。すると段々と風向きが変わっていきます。それに共鳴してカリギュラが病的に乱れていきます。そんな皇帝を裁くことができるのは皇帝だけ。それをも苦悩になるのです。
凄まじく怖い劇でした。
人というものはこんなにも狂うのかをみせます。カリギュラは生への執着がありながらない、そんな精神です。
この独裁者は民が求めた者でもあります。そこがまた怖ろしい。
最期、カリギュラは民の裁きを受けますが、「俺はまだ生きている」と叫びます。まさしく真実で、真理です。
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シネマ歌舞伎 桜姫東文章 下の巻

桜姫の壮絶な生き様がこの下の巻で繰り広げられ、目の当たりにされます。
桜姫を一途に愛する僧の清玄、次から次へと悪事をつなぐ権助、桜姫は翻弄されます。でも愛する権助を慕うけれど、貴族としての血はそれをも乗り越えます。
江戸の市井の人々の暮らしが織り込まれながら、根っからの人の性がこれでもかと描かれていて、よく練られて造られています。
また、貴族として守るべきモノ、伝えるモノは何かを市井の人とは違う魂が桜姫にはあることを、庶民として私は妙に頷いてしまいます。
それを舞台でみると歌舞伎の連綿の歴史も感じます。
人間の泥臭さと誇りや美意識が織り交ざられていて、心にグサッとくる部分が多く、痛くもなります。
最高のエンタメに仕上げているところは本当に凄いです。
【いもたつLife】
シネマ歌舞伎 桜姫東文章 上の巻

恋焦がれた相手と一緒になると破滅に陥るけれど己を抑えきれない、情に生きる生き方を人は惹かれてしまうことを、歌舞伎でみせられると、いつの世も同じだと実感してしまいます。
舞台や衣装ももちろん豪華で華やかなで、見ごたえありですが、主演以外の登場人物までも細部の機微の描写が鋭くて役者が応えています。
そして、仁左衛門、玉三郎を見るシネマ歌舞伎です。
【いもたつLife】
映画「ドライブ・マイ・カー」原作

村上春樹著の6篇の短編小説「女のいない男たち」からの三篇「ドライブ・マイ・カー」「シェエラザード」「木野」が映画の下になっていました。
どの話も寓話的で現実離れしているのですが、人が持つ心理を的確に表現されています。
いつのまにか自分のことを自分で納得してしまうという所です。
これで良いんだ、これは仕方がないんだ、これを選んだんだ、自分が決めたこと、とってた行動、そしてそれを踏まえてこれからやろうとすることに自分自身に言い聞かせているのが私自身ても身に覚えがあります。そんな話でした。
その骨子が映画で十二分に表現されていたことを思い出します。
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【4月 大歌舞伎】荒川の佐吉/義経千本桜

荒川の佐吉は、大工の佐吉が任侠道に入り、三下から親分へ、そして、人間としても完成していく半生記です。その若き頃から段々と成長していく様を幸四郎が表現しています。物語の鍵は、佐吉の親分の盲目の赤子の卯之助の育ての親となり、実の親子以上になりながら、卯之助の将来を考え、泣く泣く別れる様ですが、この親の情をこれまた見事に、佐吉になり切った幸四郎です。
話自体も面白いし、人は子により育てられること、そして同じく別れがこれまた人を強くすることを表現されていました。
そして佐吉の友人の辰五郎(尾上右近)が良いんです。佐吉にとって優しい時、物入りの時は叱咤激励してくれるし、卯之助の保護者だし、辰五郎抜きでは佐吉の今は無かったでしょう。これも人生のキーポイント、ほんの一人か二人で良いんです。誰と生きてきたかです。
ますます歌舞伎に嵌りそうです。
義経千本桜は舞踊でした。
歴史を垣間見ます。様式美を感じました。また、歌舞伎観劇の嗜みもです。
これも歌舞伎役者の立ち居振る舞いに酔います。
どちらも今の時期の演目です。荒川の佐吉も桜が綺麗で、義経千本桜は女形もセットも華やいでいました。
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【3月 大歌舞伎】信州川中島合戦/石川五右衛門

信州川中島合戦もワンシチュエーションで、じっくりと見せてくれます。
近江源氏先陣館~盛網陣屋~同様に当時の武士の生き様、価値観、美意識が堪能できます。
現代人とはかくも違うモノか、個は大きなるもの(家)のための者ということを疑わずに生きていました。
だから死生観が全く異なります。
命を懸けること、この命をどのように使うかが物語を紐解く鍵でもあります。
また死を覚悟した者は劣勢に立つ者なのですが、それに敵対する大いなる者はその覚悟を受け入れます。受け入れるとは鮮やかな死にはそれに報いなければならないのですが、その立場で苦悩するのです。
今よりも“~~であらねばならぬ”“~~すべきである”という縛りが強く大きかったことが窺えますが、だからこそそれを背負うことで自分の生を活かそうとしていた。そんな古き時代の美を感じました。
石川五右衛門はまさにエンターテインメントでした。
これでもかと、観客を喜ばせます。
定番の台詞、衣装や舞台装置、そして脚本も。
初めてでも決めポーズとその台詞は日本人なら染みついています。
今も昔(江戸時代頃)も、なかなか歌舞伎観劇は出来なかったでしょうけれど、皆がその決めを知っているということで、それも歌舞伎の凄さです。
今も昔もと言いましたが、今の方がもちろん歌舞伎観劇ができます。良い時代に生きています。
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【3月国立劇場 歌舞伎】近江源氏先陣館~盛網陣屋~

歌舞伎は、完成度が高いことを痛感です。
そしてこの話、家族を信じ、個を消して強かに目的をやり遂げる、その執念というか、やるべきことを成すことに妥協はしない、もちろん戦時であるがゆえにその選択なのですが、鮮やかな策略で、そしてそれを遂行しています。
まず、佐々木二人は兄弟でお互いの敵方の軍師、鎌倉方(徳川方)と京方(豊臣方)に別れます。これはお家存続のためで、よくあったことらしいですが、ここからして、忠誠を尽くす武士道を通すのと、お家の存続の大命題を適えます。
そのためには、もちろんどちらかの兄弟とその家族の死が必然になるわけですが、それを仕方なくではなく、それをどちらかが犠牲になることは厭うことではないとしいます。
物語は弟軍師の幼子が、兄軍師の元で人質になったところから始まります。
幼子が人質になると、それを助けることが当たり前だし人情です。それを逆手に取る弟。でもこの戦略は、それをすることにより、佐々木家に何をもたらすかの意義が兄に通じなければ元の木阿弥ですが、幼子を死に至らす弟の計略は兄を動かすことが絶対というのが前提で、兄はもちろんその意を汲みます。
武士の務めも絶対です、でも隙はあります。でもその隙とは13歳の子の切腹でしかこじ開けられません。けれど、それを父は要求し、子もそれに応えるのです。なんという意志の疎通でしょう。
それをやり遂げます。
物語自体も壮絶で見どころ満点ですが、それに応えるのが歌舞伎役者です。
そして衣装やセットもです。
娯楽作品が見事に昇華されていました。
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