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ブログ 今日のいもたつ

メランコリア 2011丁/瑞/仏/独 ラース・フォン・トリアー

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今年も干し芋(お米)だけでなく、
映画や演劇や落語の自分勝手な感想をつらつらと書かせてもらいました。
大晦日も映画の感想です。
この映画は地球最後の日ですが、精神的には最後ではないという映画だと解釈しています。
皆様良いお年をお迎えください。
今年も干し芋のタツマをごひいきくださり本当にありがとうございました。

最期を迎える覚悟を問われました。

ラース・フォン・トリアー監督が描く地球最期の日ですから、
尋常ではありません。
哲学的な表現と、自己の鬱を表現しています。
このあたりは、観客が持つ造詣により受け止め方はそれぞれです。

映画は二部構成です。
第一部「ジャスティン」は、主人公のジャスティンの披露宴です。
延々と、憂鬱なジャスティンと、異常になっていく宴を描きます。
第二部「クレア」は、ジャスティンと姉のクレアと夫、一人息子が、
滅亡を迎える様ですが、ジャスティンとクレアの精神的な立場が逆転するところが味噌です。

クレアとその夫は社会的に「正常」とされている象徴。
ジャスティンは「異常」とされている象徴です。
その両者の最期の迎え方に焦点を当てていて、
己の死生観を鑑みることになります。

同時に人の価値とは?
ということも否応なく考えさせられてしまいます。
所詮、“狭い視野で自分勝手にああだこうだ言ってるだけ”の自分を観ることになります。
そんなことは頭ではわかっているだけ、
ということをハンマーで殴られて正気にさせられているようでした。

以上が感想です。
以下は、映画的に素晴らしいと思ったところです。

地球最期の日を語ることに対して、贅肉を削ぎ落としたという感じの演出です。
そして、日常では知ろうともしない、「異常」で片付けてしまうジャスティンの内面を、
美しく観念的な映像で誘います。
また、良い意味でラース・フォン・トリアーらしい嫌らしい悪意すら感じる、
第一部の光景と、それを逆転させる第二部で、その嫌らしさを回収して、
(私が解釈した)テーマを突きつけるやり方、
さすがラース・フォン・トリアーと思いました。

この映画ももっと深く読み取れると自負ができてもう一度観たい作品です。

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

日時: 2013年12月31日 09:37