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ブログ 今日のいもたつ

浪華悲歌

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主人公のアヤ子だけが、自分にとりついている病(ゾンビかも)
があることを知っています。
その病の原因は、家族にあるのに、家族は気がつきません。
(臭いものに蓋をしている自分に通じます)

家族だけが最後の崖っぷちを凌いでたどり着いた
安息の地だと思っていたのに、あて外れです。
家族のために染み付いてしまった態度に嫌悪されたからです。
代償なのに。

アヤ子の行動の「何故?」に注意を向ければ違う真実が浮かぶのに、
それを気づく土台がないことがキーです。
日常はそんなものです。

この映画は犠牲を払ったアヤ子に焦点があてられています。
そのアヤ子の行動は小さい世界では絶賛されるのですが、
(家族も認めないので、絶賛しているのは私だけかも知れません)
現実では非常識です。

個人差はありますが、
やりきれない想いをもって生きている時があるのがのが誰しもでしょう。
それを現実として赤裸々に現したこの作品でアヤ子が家に帰って来た時の描写の、
私の印象は、
「当然努力を認められたいさ」
「でも無償の愛もあるさ」
「家族でしょ」(家族団らんを求める)
「やっぱり帰る場所はここ」
「(赤ん坊のように)無防備になりたかったのに」

それらが見事に裏切られます。

これは、家庭でのことと限られません。
生きる上で出会う時の条件ではないでしょうか。
家族でさえこうなのだからということを自覚することが第一歩です。

70年以上前の映画ですが、
シチュエーションもとてもモダンでした。
(この舞台背景はとても先進的でしょう)
それと同じで、今生きることの「生き方」を考える質問を現代にも投げかけています。
そして、「私と同じよ」と笑っているアヤ子をイメージもします。

【いもたつLife】

日時: 2009年03月07日 06:57