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永遠の0 2013日 山崎貴

劇中に、特攻を自爆テロと変わらないことを平然と言ってのける若者が出てきました。流石に演出でしょうけれど、あの大戦が風化していくことは避けられないことの一例です。
だから、この映画(原作)は反戦としてもとても価値がありますが、私は個人的に、主人公が個人の自由がほとんどない状況下、打つ手もわずかしかない、そして死が決められた中で、いかにして目的を遂げようとしたか、に凄みを覚えました。
主人公の宮部久蔵は目的遂行のためにぶれない男です。私にとって鑑のような英雄でした。
それは三つの観点からです。(有名な映画なので、状況説明しないで感じたことを書きます)
一、 目的が利他です。
宮部は家族のために自分の命を如何に使うかを考え抜いていました。
そして大きい目的のための小さな目的を定め、また、それらを遂行するための準備を怠りません。そしてチャンスを待ちます。
宮部は仲間から何を言われようとも自分を貫きます。それは強いからできることですが、目的が自分のためでないからできることです。
そして、何が起こっても成し遂げる体を鍛えていました。それは精神力も鍛えることにもつなげています。
そして機を待ちました。特攻に志願したタイミングは多分、そこしかない機会でしょう。ゼロ戦のエンジンが不調、そして大石という託せる男が来たことです。
二、人は、人に託すことができる。
宮部は生還が目的ではありません。妻と娘を幸せにするのが目的ですから、自分の命を捨てることでそれが達成できるなら、賭けになりますが、可能性が残る方法がそちらにあることを見抜きぶれることなく決断しました。
そしてここも用意周到です。いつどうなるか解らないから、いつでも義を通した生き方をしていたのです。誰かに託すことを狙っていたわけではありません。目的を達成するためのオプションを増やすことを淡淡と行っていたのです。
だからいざと言うときに、信頼できる人間が現れます。(それは死後にも妻の前に現れました)
三 諦めない。
だから二つの相反する状況でも打開策を見つけることができました。
宮部が何故特攻に志願したかが最大の謎でした。
宮部は、部下の特攻に護衛として付きながら、それを成させることに無力な自分に対して生きていてはいけない男だと、自分に十字架を架しました。けれど自分が特攻に志願することは目的を達成できなくなることも重々受け止めていました。
その同時が適うことを考えついたのです。そしてそれは前述したことが実を結んだということです。
真剣に生きるとは宮部のような生き方なのでしょう。もちろん誰もができるわけではありません。
できない大きなひとつは、生きている目的として何を持っているかが問題であるからです。
宮部のように、目的が自分の魂の叫びであるかで、これが第一歩です。
この物語を見て私にはそれが何か?を考えてしまいます。
これに対して腑に落ちていないということは、人生を遠回りしているということであるとも思います。
でもこれはとても難しい問題ですし、だからそうたやすくわからないし、だから苦労するのですが、ヒントはあります。
苦労する道を選んでいくことです。大抵正解はそちらにあります。
利他とはそういうものです。
そして美しく生きようとするのを邪魔しているのは自分自身です。
ウツギ切り
畑の境目には目印としてウツギが植えてあります。
伸びてくると農作業がやり辛くなるので、
春先に剪定します。
切った枝は、低い畑の通路に穴が開いているのでそれを塞ぐ材料にします。
ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅 2013米 アレクサンダー・ペイン

息子たちに、そして長年連れ添った妻に、何も残すことができないから、
騙されたとわかっていても、賞金の100万ドルを手にすることを夢見てしまう親父と、
それに付き合う息子、巻き込まれる家族達をひっそりと描いた心に染みる映画です。
父親は80歳を超えているウディ、モンタナから1500km離れているネブラスカのリンカーンまで当たってもいない100万ドルを、どうしても取りに行こうとします。
長男のロス、次男のデイビッド、妻のケイトに止められても聞きません。
仕方なくデイビッドが仕事を休んでウディに付き合います。
旅の途中には、ウディとケイトの故郷があり、親戚や古い友人がいます。
立ち寄ると100万ドルが当たったことをウディがしゃべったために、
ちょっとした街の英雄に、そして、カネに群がる親戚や友人がでます。
(カネに群がらない友人もいます)
しかし、賞金は偽物というカラクリがばれて馬鹿にされてしまうウディ、
でも彼はどうしてもリンカーン行きをあきらめません。
最後の最後まで付き合うデイビッド、結局(あたりまえですが)賞金は架空、
ウディは現実に戻ります。
でもデイビッドが素敵な現実を演出してくれました。
ウディがやることは、迷惑をかけるばかり、
若い頃からのようで、おまけにその頃から大酒のみ、ケイトには叱られてばかりの毎日だったことが目に見えます。
お人よしで人に騙されたことも何度もありそうです。
デイビッドは父親の故郷で、自分の知らない父を知ります。
ひとりの男として生きていた父を想像します。
今は半分呆けた老人ですが、彼の人生を想像するのです。
そこには大きなドラマなんでありません。けれど、こんな機会があることがとても貴重に観ていて思います。
そして何故そこまでして、騙されていることがわかっていて、100万ドルを夢見るのかをデイビッドがウディに尋ねると、「何かを残したいから」言います。
「お金なんか必要ではない」それに答えるデイビッド。
ウディは息子たちに(おそらく妻にも)、必要なものを与えたいのではないのです。
ウディは「残すもの」が“欲しい”のです。
半分厄介者にされていますが、親はいつまでも親です。
子供が幸せになることが心からの願いです。
ウディは100万ドルがそれを適えると信じていたのです。
違う形で与えることができました。
ウディはデイビッドに、この旅の想い出を遺すことができたのです。
花が咲き始めました
今年は休耕する畑ですが、花が咲き始めたので、
そろそろ一回目の耕運をしたいところです。
土壌検査用の土
毎年作付け前に管理している畑の土壌検査を行っています。
20近くの畑から、4隅と中央の土を採取して、
カラカラに乾かします。
その結果を踏まえて今年のその畑に投入する、肥料等を決めます。
これまで積み重ねてきた結果の定点観測にもなっています。
海に遠いほど
ほしいも産地は太平洋岸沿いに位置しています。
産地のどこにいても、寒流の影響で冷たい海風が吹いていますが、
海に近い畑と、遠い畑では風の影響が異なります。
昨秋同じ時期に蒔いた麦も伸び方が全然違います。
メロンがポット苗になっていました
種まきしてあったメロンは、芽が出てしばらくは苗床において置きますが、
ある程度育つと、苗床の土ごとポット苗に移植します。
本圃場に植えることを見越してです。
種まきは遅れましたが、その後は順調に育っています。
キャベツを頂きました
たかおさんの奥さんがキャベツとホウレンソウを切ってくれました。
大根も頂ました。
ほしいも産地にいると、野菜には事欠きません。
簾洗いと稲藁集め
干し芋加工の片付けもだいたい目処がたってきました。
500枚以上ある簾(すだれ)も洗い終わり、
干し場の敷き藁にしていた稲藁は、
踏み固められたものはビニールハウス脇の抑草として、
そうでないものは畑の抑草として集めました。
【SPAC演劇】真夏の夜の夢

演出 宮城聰 作 ウィリアム・シェイクスピア 潤色 野田秀樹
人はとかく物事を曖昧なままにしてしておきたいものです。
人は基本的に怠惰ですから、決めないことで責任が生じないことを選び勝ちです。それに曖昧にしておくと夢見がちでいられます。
「真夏の夜の夢」は、主人公の“そぼろ”が自分の心の奥、自分では気が付いていない自分の本音の部分を知る旅の物語ですが、自分の心の奥にある本心が何かなんて、曖昧にしておきたい最たるものです。
老舗割烹料理屋のハナキンの娘“ときたまご”は四日後に結婚式を控えています。相手は父親が決めた板前のデミですが、別の板前のライと相思相愛です。どうしてもライと一緒になりたいそぼろは、ライと「知られざる森」へ駆け落ちをします。幼馴染のそぼろにだけそれを告げました。そぼろはデミを慕っていたことから、駆け落ちのことをデミに伝えます。ときたまごを追うデミ、そのデミを追うそぼろ、4人は知られざる森で不思議な体験をします。
知られざる森は、妖精たちが棲む森でした。ちょうどその頃、オーベロン王とタイテーニア女王は、拾った赤ん坊が原因で夫婦喧嘩の最中でした。オーベロンはタイテーニアを意のままにするために妖精パックに惚れ薬を取ってくるように命じます。早速パックは出かけますが、途中で悪魔メフィストに捕まります。パックに化けたメフィストはオーベロンやタイテーニア王を騙した上に、二人からの依頼を受けて契約を取り付けます。この契約が破棄される時には人間の憎悪が増幅するというものでした。
ときたまごは、ライからもデミからも愛されています。それに対してそぼろはデミを愛していてもデミには嫌われています。森でデミを追うことすらデミに嫌がられるそぼろですが、ひょんなことから惚れ薬の効果でデミにもライにも突然愛されることになります。それを戸惑うそぼろです。
知られざる森とは、人間がそこに迷いこんで不思議な体験をしても森からでる時には人間は何も覚えていないことから名付けられました。そしてここには人が置き忘れたものがたくさんあります。
この森に棲む妖精は逆隠れ蓑を着ない限り人には見えません。だからここで起きたことは人は気のせいだと思っています。この演劇では気のせいは「木の精」という定義です。そして、「人は見えないものは信じない」ということもキーワードです。
私は、知られざる森はそぼろの深層心理で、表層から深層へとそぼろが辿っていく物語だと思いました。
迷い込んだ4人の若者達は表層の意識の中で、惚れ薬によって愛する人を代えてしまいます。そこは表層に近い願望です。
メフィストはそこから一歩踏み込んだ自分が知りたくない自分を知る案内人であり、そぼろが持つ悪の感情そのものでもあります。
そして、オーベロンとタイテーニアをはじめとした妖精は悪の感情のもっと奥の善意であったり生きる知恵で、森自体が奥深く広いそぼろの深層意識を現していると捉えました。
ライとデミは最初の惚れ薬でそぼろを愛し、ときたまごを憎みます。でもそぼろは、二人は自分を愛しているそぶりをして茶化していると思い込みます。
「人は見えないものは信じない」逆に言えば見えるものを信じるということです。愛を叫ぶ二人の男は見えるものですが、そぼろはその見えるものを信じませんでした。
だから、実は人には見えないものを信じる能力があるのです。しかし注意深くその能力を封じています。何故なら自分の本音に近づくからです。これはまだ序章で、この物語はこの程度の旅で終わりません。
ライとデミの二度目の惚れ薬ではなんと、二人が愛しあうことになります。それを解消するためにはメフィストの契約を破棄しなくてはなりません。契約破棄をすると、二人は憎み合い争いを始めます。これもそぼろの心です。デミを愛しているし愛されたい裏にデミを破滅させたい、また、ときたまごと上手くいっているライやときたまごに対してのルサンチマンです。
まだ続きます。メフィストはそぼろに言います。「言葉にしなかった言葉(飲みこんだ言葉)がこの森にはたくさんある」と。飲みこんだ言葉はその人の本音です。そして人に知られたくない自分だけが知っていると思っている感情です。一見、言わなかったことは他人には伝わっていないようですが、実は他人も気づいています。「人は見えないものを信じる力」がありますから。
これに関しての問題は、自分の悪の感情は他人には気づかれていないだろうということを自分に言い聞かせていることです。
メフィストが全部知っていたのと同じように他人も意識しないだけで知っています。ただお互いにそれを曖昧にしていたいので、言う側も言われた側も意識しないようにしがちなのです。
物語は、そんなそぼろの飲みこんだ言葉が森で具現化していきます。まさにそぼろの悪の感情が森に火をつけて森は焼き尽くされていきます。そぼろは自分の奥にある心がどんなものだったかを目の当たりにするのです。
そしてメフィストはオーベロンとタイテーニアの夫婦喧嘩の原因になった拾われた赤ん坊だったことも明らかになります。メフィストはそぼろ自身でもありますから、森に火を放ったのはメフィストであっても、焼き尽くすのはそぼろの奥の奥にあった本心であり、そぼろの心の叫びです。
でもこれは誰しもが生きてきた中で抱える、悲鳴をあげたい鬱屈した感情です。
この演劇は壮大な森を想わせるセットですし、衣装も楽しませる凝りようだし、音楽も照明も心を浮き立たせます。軽妙な言葉が飛び交い、また洒落の効いた言葉も飛び交う喜劇として楽しめますが、「あたしの精」「目が悪い精」「耳が悪い精」「年の精」等の登場人物の役名といい、これらの言葉を含めて少々毒がある言葉が台詞にも使われているので、一筋縄ではいかない喜劇だという感覚になります。
案の定で、そぼろを自分に置き換えて劇を観ると、逃げ出したくなります。自己の心にある嫌な部分が見えるからです。そして普段は、常にそれを見ないようにしていることも明らかにされるからです。
でも最後は、メフィストの涙で森の火が収まります。森を鎮めるメフィストの涙ももちろんそぼろの心の現われです。心の奥には悪意や悲しみだけではないし、人は悔いることも出来て純真な気持ちをいつでも持つことができることの表現です。
だから、嫌な部分を含めてもあなた自身には価値があると言ってくれているようでした。
自分の心の奥にある本心は、綺麗ごとだけではありませんから、日常で意識していることとは往々にして異なるものです。だからそれを観にいくのはあまり気が進みません。
けれどそれを観てそれを受け入れるのは大事なことです。普段意識していない自分の心を含めて自分自身なのですから、それを踏まえないと成りたい自分になんてなれるわけがありません。また、それを認めると自分にも他人にも今よりも優しくなれることも間違いありません。
演劇「真夏の夜の夢」は、本当の自分を観る勇気を与えてくれます。

