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切り揃えています
順調に伸びた苗は、長いものだけ切りそろえます。
この作業をやると、この次からたくさんの苗が出揃います。
ぽっかり
だいたい順調に伸びてきている苗ですが、
ほしキラリはまだまだです。
これは昨年同様ですから、ほしキラリの特性です。
この苗の伸びでは、作付けする農家はまずいないでしょう。
他にも、シルクスウィート、クイックスウィートあたりの伸びが遅いです。
これらもほとんど作付けされていない品種です。
挽回してきました
昨年よりも10日ほどの遅れだった苗ですが、
ここのところ夏日が続き、挽回してきました。
畑の準備を急ぎます。
追伸
『菊姫頒布会』募集開始しました。
ご興味がある方は、干し芋のタツマのトップページからどうぞ。
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菊姫頒布会
【SPAC演劇】例えば朝9時には誰がルーム51の角を曲がってくるかを知っていたとする 大東翼・鈴木一郎太・西尾佳織 演出

街(路上)を舞台としてしまった演劇です。
観客は十数人のグループに分かれて、演者を追います。
エキストラを含め、街の中に俳優がいて、要所で劇の核が演じられます。
それ以外は、主人公を追っていくことになります。
面白いのは物語が二つある点です。
物語はある家族の数時間で、当然同じ家族設定ですが、
あるグループの主人公は姉になり、姉を追いながら繰り広げられる物語を見ます。
もう一つのグループは、弟を追いながら、弟を中心とした物語を見るのです。
途中、誰が俳優で、エキストラであるか、本当の街の人かの区別が付かなくなり、
当然、演技をしている人なのか、現実社会で今生活している人(出来事)なのか、
が解らなくなる体験です。
実験的な演劇でした。
【SPAC演劇】聖★腹話術学園 ジャン=ミシェル・ドープ演出 アレハンドロ・ホドロスキー作

アレハンドロ・ホドロスキーの戯曲ですが、彼の映画ほどは過激ではありませんでした。もちろんそのエッセンスはあり、強烈な内容ですが。
役者は皆等身大の人形を抱えています。彼らは人形を操る何かの役(学園の生徒)でもあり、その人形の役でもあります。
主人公のセレクトはこの奇妙な学園に紛れ込んでしまいます。
そしてやはり生徒であり、人形使いにもなります。
彼は学園に束縛されてしまいます。そこから彼の自由を獲得する物語になっていきます。
人形を操り戦うセレクト、キリストを操り自由を望みますが適いません。次には兵士を操りますが、死神に返り討ちに合います。
そしてついにかれは、人形を棄てて戦うのです。
当たり前に、自分の意志で生活しているように見えて、駆り立てられている何かの力で、
自分の意志は支配されている、自分の行動を見つめてみるとそんな、自分の行動は自らから湧き出てきた動機からだろうか?それを人形に操られてしまうというやり方で表現しています。
とても怖い内容なのですが、とにかく劇はユーモラス。
そして、支配されているのが本当のことのように人形を操る俳優達です。
そして、前から2列目で観劇していると、
人間の役を演じる彼らの息遣いも表情も、快楽や苦悩や欲望の強さを物語って伝わると同時に、それが人形にも乗り移っているのです。
彼らの分身のようでした。
【SPAC演劇】盲点たち ダニエル・ジャンヌトー演出 モーリス・メーテルリンク作(「群盲」より)

目が不自由な12人の男女が、森の中に取り残されたという設定です。
ある島の施設からハイキングで森にやってきました。もちろん施設の先生の先導でですが、何故か先生はいなくなり、戻ってきません。
段々と不安になる12人、そして先生は死んでいたことがわかります。
この演劇は、野外をそのままセットそして使うようですが、当日は雨天なので、室内バージョンでした。
室内にはアットランダムに椅子が並べられていて、客席も舞台です。
スモークが炊かれて薄暗く視界は1mくらいです。
その中で多分12人の役者が散り散りになっていて、遠くからまたは近くから、声が聞こえてきます。
森の中で散り散りになっているからです。
不安を抑えきれず喚く男、冷静に先生を待とうという女、こうなったのはあなた(一人の特定して人物)の責任と責める女、恐怖で動けなくなる男、念仏を唱える女。
皆の不安は高まるばかりです。
突然に死の恐怖に晒された人間の嘆きの感情が伝わってきます。
私達は目が不自由ではないし、今では誰も携帯電話を持っているから大丈夫というのは気休めでしかありません。
生身の人間なんて脆いものです。
都市を作りその中でしか生きられないのが人間です。
自然に身をさらせば、ものの2日もあれば死が待っています。
もちろんそんな状況に追い込まれるのは、事故や災害時ですが、
都市の中でしか生きられないということは事実なのです。
あの叫び声は他人事ではありません。
【SPAC演劇】小町風伝 イ・ユンテク演出 太田省吾作

SPACの劇場の中でも、贅沢な空間の楕円堂での公演、しかも当日は、亡き太田省吾さんの奥様と、1977年にこの演劇を初演した際の役者さんたち数名も観劇という、緊張感溢れる中で開催された「小町風伝」は、個人的にはとても感動した演劇となりました。
小町は既に老婆になっています。失禁までしてしまう程、かつての美しさはありません。もう余命もいくばくもない様子、そんな彼女はかつての絶世の美しさの姿のままの自分を妄想しながら生きています。
ですから舞台上は、老婆の小町と絶世の美女である小町の二人が、対になっています。
老婆の妄想は、愛し愛された少尉との逢瀬。でもその少尉が戦地に去っていく場までも現れてしまいます。
当然ですが、老婆は妄想の中だけで生きていくわけにはいきません。
現実には大家が様子を見にきますし、隣家の生活も目に入ります。嫌でも現実に引き戻されてしまうのですが、その現実を交えて妄想の世界にまた入り込みます。
隣家の息子の若い青年がかつての恋人に重なり、若い自分との逢瀬がはじまります。でもこの時は、かつての恋人が老いて、今の老婆の自分に体を重ねてきます。
今の自分の姿を完全に切り離して妄想することもできません。
それは食べなければならないシーンにも現れます。老婆はインスタントラーメンを煮炊きして食べます。妄想の中ではレストランで、少尉とロシアンスープを飲みワインを呷りますが、それで空腹を抑えることはできないからです。
また、このシーンはとても楽しいシーンですが、町内で運動会が開催されます。
どちらというと、老婆を煙たがる大家も、老婆を看取らなければならない医者と看護婦も運動会に参加します。皆、老婆とともに嬉々としています。
これも半分は現実で半分は妄想です。老婆の耳に聞こえてくる現実社会を、老婆にとって不都合がない世界へと美化しています。
人は死で終えます。それは辛いことです。しかも年老いていった末、体が不自由になり、醜くもなり、場合によっては頭も働かなくなるという、老婆でなくても顔を背けたくなる現実の末路で死に至ります。
それは確かに死の直前の己ですが、その己の姿だけが人生の全てではありません。過去も確かに己だったのです。記憶というのは自分勝手な都合が良い空想である場合もありますが、その源は確固たる過去の自分です。
死を迎える今に当たって、こんな妄想をする老婆(役目は駒子です)は愛らしい存在です。そしてこれはあの世へ渡る彼女なりの儀式でしょう。
最後に老婆は襤褸から身支度を整えて、表札をはずして舞台とは違う世界(この時は、日本平の森に出て行くという演出でした)に旅立ちます。
私が死を迎えるその時に直面した時、果たして私は、どんな自分なりの儀式をするのでしょうか?それを深く考える劇でした。
“沈黙劇”として上演される「小町風伝」を、大胆に解釈し、敢えて言葉を繋いだのが、「イ・ユンテク演出の小町風伝」でした。
老婆、絶世の美女の小町ともう一人の女性の語り手の3人が、ト書きも含めたこの戯曲の沈黙部分を語ります。
老婆は今と妄想時の心情を、美女の小町は若き日に愛するものに伝えた言葉を、語り手は現実の老婆の想いを、役割分担して沈黙部分の全てを露にします。
3人共に実は彼女自身で、今の目の前の老婆の姿だけが彼女ではないということを強く感じました。
この演出はとても大胆ですし、役者達も躍動感ありながら繊細でかつ大胆な演技でした。
解釈に賛否はあるでしょうけれど、私には絶賛したい演劇でした。
【SPAC演劇】ベイルートでゴドーを待ちながら

作・演出 イサーム・ブーハーレド ファーディー・アビーサムラー
二人芝居で、漫才のようで、落語「粗忽長屋」を思い起こすネタがあり、
上質な喜劇ですが、奥には演出家二人の死生観があります。
それは日本人には理解できない、レバノンでできた芝居ならではのものです。
天井からのスポットライトで、一人の役者が暗闇から浮かび上がります。
丸く明るくなった中で、右手で高々とVサインをしています。
そこにもう一人の役者が、その場所を奪おうとします。もう一人も、浮かび上がった円の中でVサインをしたいからです。
最初は明らかにスポットライトの円と、それ以外は暗闇という境界線があるのですが、
演劇が進んでいくと、境界線がなくなっていきます。
次に展開されるのは、<あいだ>です。
二人は二人だけで、二人との間に自分がいると言い出します。
最低3人いなければ、<あいだ>に入ることは出来ないというのが常識なのに。
そこからも二人は、いがみ合っているのか、仲が良いのか、わからない喜劇を演じます。
そして終には、一人の男は、死と生のどちらにいるのかが解らなくなります。
私達が引いている境界線はこの演劇には通じません。
日本での生と死と、ベイルート(レバノン)での、生と死は全く異なり、
常に足を一歩踏み入れているようなのです。
そんな状況を高々と笑いにしてしまうという、心が痛む演劇でした。
【SPAC演劇】観~すべてのものに捧げるおどり~ 芸術総監督・振付 林麗珍

自然と人との係わりが、自然の中での人の営が印象になる演劇です。
客席は暗く、舞台は蝋燭の炎だけの明るさから、時に幻想的なライトも交えた中、
演者達は、無言のスローモーな動作から、銅鑼の重厚なベース音と打楽器の激しい音色の中での時に俊敏、時に力強い踊りを披露します。
自然の畏敬に対しての人間が抱く感情の表現や、単に大いなる存在への感謝の儀式にも映り、厳しい自然そのものにも映り、人との別れのようにも映ります。
訓練された身体が無ければできない、タフな2時間ですが、そんなことへは思考は行かない舞台です。
地球は何十億もかけて時間が流れ、そこには人の存在など、ただあるだけ。でも人は一人一人地球の上で確かに生きて、そして死んでいく、それを地球上で連綿と繰り返している。そんな生命の根源が表現されているようにも感じます。
そして、演劇が進むに連れて段々と、母性に抱かれている感覚になりました。
幽玄な世界が繰り広げられた演劇でした。
追伸
5/6は「立夏」でした。二十四節気更新しました。
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立夏
【SPAC演劇】ふたりの女 宮城聰演出 唐十郎作

主人公の光一が、自分が作った自分を囲う檻を壊し、解き放つことができたのが、「ふたりの女」で、誰もが気づかずに自分を縛ってしまっている呪縛があることを暗示させます。
精神病院の医者である光一には、妊娠している婚約者アオイがいます。光一が海辺で、砂浜にラブレターを書きながらアオイへの想いを吐露するところから劇は始まります。
病院には、六条というアオイにそっくりな患者がいます。
六条は何故か光一を愛しています。光一も六条のことが気にかかります。そして、六条から鍵を受け取ります。その鍵は、六条が退院した折に光一が迎えに来るサンドバギーの鍵だと六条は言います。
場面は変わり富士スピードウェイで、光一とアオイは観戦しています。光一はツワリで気分が悪いアオイのために夏みかんを、弟に取りに行かせます。そこで弟は六条とのクルマのトラブルに巻き込まれます。そこに光一が現れて六条と再会、六条は今、化粧品のセールスをしていると言い、東京で仕事をしたいからアパートを探して欲しいと光一に依頼します。光一は不動産屋の紹介くらいなら出来ると渋々請け負い、そのお礼に六条は化粧品を光一に渡します。
アオイは、光一から化粧品を受け取るとそれを使うのですが、それは化粧品ではなく髪油でした。それを付けると匂いが強く取れないとアオイは言いながら、何故か段々と六条のようになったり、アオイに戻ったりします。
アオイの時のアオイは、髪油を誰から受け取ったかを、また、サンドバギーの鍵まで見つけて光一を詰問します。
次の場面は六条のアパートです。光一は眠っているアオイから取り上げた鍵を返しに来ました。そこに不動産屋が現れます。彼はアオイを玄関まで連れてきて、アオイは二人の会話を立ち聞きしていたと言います。慌てた光一がアオイを探すとアオイは崖の上にいます。
アオイは光一を罵りながら身を投げてしまいます。
最後は精神病院です。光一は院長に自分を六条がいた6号室に入れてくれと頼みます。しかしそれは叶いません。すると光一は海辺に出て、亡きアオイに向けての想いを吐露しながら砂にラブレターを書きます。
すると六条が現れます。光一は六条に、なぜアオイと仲違いさせるようなことをしたのかと詰問します。そして、終には六条を絞め殺してしまいます。
私は光一はずっと6号室の患者であったと解釈しました。だから六条は光一が作った幻影です。アオイが亡くなったのは自分に責任があり、それを責める存在として六条が生まれたのではないかと考えました。
この劇では他にも幻影を作り出す人物が登場します。
富士スピードウェイの駐車場係は、居るはずがない酔っ払いの老人を抱えて歩きます。また、彼は自分の中に潜む負の感情を常に外に向けて放っています。そして、彼の兄は入院患者で、自分が犯した罪を償うために指を切り落とすしかない、けれど指は10本しかないことを悩み、11本目の指を探しています。
これらは光一が抱いてしまった強迫観念を他の登場人物も持っているということです。
光一はアオイに赦されたいために六条を作り、六条と対話します。そして六条が自分の目の前から消えた時、光一はアオイを亡くした現実と向き合えるようになったのです。自責の念は消えたわけではありませんが、檻を作りその中でしか生きてはいけないと言い聞かせた自分を、その檻から出ても良いと決着を付けたのが最後のシーンだと思います。
舞台は野外で、舞台の先には天然林があります。
格子状に砂が盛られた観客目線のセットと、その上に廃木の柱が組まれた目線よりも高いセット、そして、天然林を活用した奥深く天に近いことをイメージさせる部分も使われていました。
登場人物が目線のセットと、それよりも高いセットにいることにより、その間柄の親密感や不信感を現していて、アオイが身を投げる時の天然林の部分は、異世界へと旅出つことを強調していました。
また、格子状に盛られた砂が、最初は整然としていながら、徐々に崩れていく様は光一の心情が揺れていくことを示唆し、また誰が砂を荒らすかでもその人物の立場を語るということも同時に表現していました。
ところどころに喜劇の要素を入れながら、事実笑いが起こるシーンが随所にありながら、己が己を縛っているのが人だという、かなり辛辣なことが語られてい演劇でした。
最後に、宮城さんのカメオ出演というサプライズがありました。カメオとは言えない位の長い出演でしかも演技も達者でした。とても楽しかったです。

