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【SPAC演劇】マハーバーラタ~ナラ王の冒険~ 演出 宮城聰

この演劇の大団円は、力強いリズムに乗せて、演者全員が揃っての観客を心強くさせてくれる圧巻の声明があり、体中の血が騒ぎました。ありきたりな言葉になってしまいますが、この大団円で感動しました。自然に瞼にも涙が浮かびました。
世界中の人が仲良くなることなんてできない現実がありますが、せめてこの演劇を観た人達は家族や友人にもっと優しくできるでしょうし、少なくとも私個人は「もっと仲良くしよう」と心の中で叫んでいました。
物語は東西南北の4つの国のひとつ、西の国のナラ王と、ダマヤンティー姫の婚礼から始まります。ダマヤンティーは人間界だけでなく、神様達も后に迎えたいほどの身も心も美しい女性です。けれど姫の心を射止めたのはナラ王で、失恋した神々までもが、この婚礼を祝福しています。
けれど嫉妬する者はいるもので、悪魔のカリはナラ王を許せません。
二人は二人の子宝に恵まれます。また、ナラ王の手腕で国も栄えている幸せの絶頂でした。カリはこの時点でナラ王を地獄に落とします。
ここからナラ王の冒険が始まるのですが、冒険はダマヤンティーも同じです。ナラ王は賭け事に狂って堕ちた自らを責め姫を実家に戻すために身を引きます。ナラ王はいつか姫を迎え入れることができるようにと泣く泣く姫と別れます。
森に残された姫も、体一つのナラ王も苦難の旅が始まります。
演劇はスピーカーという台詞を語る演者がいて、それに合わせてムーバーという演者が動きます。サイレント映画を立体にしたような感じを受けます。
そこにリズミカルな演奏が加わり野外劇場に木霊します。
衣装は全員がアイボリー一色の衣装を纏っています。劇場の背景は山ですから、自然の木々が目に入ります。薄暮になるに連れて衣装は照明に照らされて浮き出てくるように見えます。
この演劇は、ムーバーとスピーカーもしかり、衣装も本物とは遠くしています。また、衣装以外に白いトラや白い蛇、そして象徴としての鼻だけですが白い象が登場し、活躍します。それらを含めて自然の中に白い衣装が映えている様を見ていると異空間にいるような感覚になります。だから見えていない情景が見えてきて心を撃ちます。
ナラ王が森で姫と別れる時、姫の片袖だけを持ち去ります。姫といつも一緒にいられるようにです。目覚めた姫は王がいないことを悲しみます。
二人の演者はムーバーですから動きだけで表現します。スピーカーからの補助はありますが、あくまで観客は動きに注視します。
また、姫は森で蛇に食べられるという危機に合いますが、旅人に助けられます。けれどその旅人に今度は付け狙われます。王も裸一貫で流浪の旅です。
それらを簡単に見せるのですが異空間にいることで、二人の心中を探るのです。
またかなりユーモアを含めた展開なのも特徴です。日本語での言葉遊びもありますし、観客を巻き込むサービスもありますし、時事ネタも巧妙に入れています。
そんな楽しい演出とリズムに乗ってクライマックスへと進みます。
ナラ王は自分の一番の得意技の馬術を駆使して姫を迎えるチャンスを得ます。それは同時に国を失った賭け事はカリの策略であり、カリに憑かれていたことが原因であり、カリに憑かれることを拒むことにもなります。
この物語は、あきらめないこと、準備しておくことのメッセージが込められています。そして最も発信したいことは、信じることです。
王はいつか姫を迎えようと心に決めていました。それと同じく姫も王が迎えに来ることを信じていました。王は醜い姿に変えられていましたが、姫はその姿でも王を見極めることができます。王の迎えを信じて疑わなかったからです。不安な日々を過ごしていたはずですが、不安と信じないは別です。
不安だけれど信じていられるということは、王を想う気持ちの強さです。当然同じほどに王も姫を愛していました。
だからこの演劇は、純愛物語でもありますし、大団円で感じた印象は、二人の純愛物語を下敷きにした世の中を愛する気持ちを持ちたいという愛の演劇であったと私は想っています。
【SPAC演劇】ファウスト第一部 演出 ニコラス・シュテーマン

すごい演劇を観た。というのが鑑賞後に浮かんだ言葉です。
主要登場人物は、ファウスト博士、悪魔のメフィスト、ファウストが一目ぼれするグレートヒェンですが、役者3名がこの3名の人物を固定しているわけではなく、3名が時にファウストを、時にメフィストを、時にグレートヒェンを演じます。主な受け持ちがありますが、固定されていません。
ファウストという人物は、またグレートヒェンの苦悩の内は、ということを、縦横無尽に役が入れ替わることで観客は固定された人物からの受け入れを拒まれます。
人は置かれた立場や状況や、誰と対峙しているか、またその時の本能を含めた欲求で、様々な気持ちになり態度を変えます。それを現しているようです。
多くの方々がファウストを世に出しています。その数だけの解釈があります。この演劇ではファウスト博士が直情な人物として描かれます。学問を修めた達観な人とは少し趣が違います。嫌らしいメフィストに近いとも言えます。
だからファウストは欲望ゆえに堕ちていくのではなく、自分と戦っている人物像に映ります。これは投げ掛けで、個人的には自己の内を見せられている気分です。
それは理屈を優先させている前半の台詞にも大きく現れています。
また冒頭にドイツの演劇は何でもありと宣言して始まり、徐々にそれが露になりますが、ここも私が心の内を観るということを感じたことに繋がってきます。
だから、鑑賞は心を抉られるような体感になります。
しかしそれとは間逆な美しいソプラノが奏でられます。
この演劇は人間性の否定ではないとも感じる瞬間でした。
またメフィストはグレートヒェンに絡まるように体を接します。悪魔ですからメフィストはグレートヒェンの目に見えることもあり、姿を見せないこともあると解釈しました。体を絡める時は見えないときでしょう。でもそれでもグレートヒェンはメフィストを嫌悪します。
ファウストを愛しながら友人のメフィストを嫌うのは、姿を現さない時の嫌らしさを感じ取っているからですが、ここも人への言及で、人が人を観るのはその人の存在そのものであり、言葉や行動ではないことを強調しているかのようです。
3者が3役に別れる演出と素晴らしいソプラノだけでなく、補完のための映像が時折挟まれるのも特徴的でした。
役者の演技も含めてかなり高度なことが盛り込まれていることを強く感じます。一度では捉えきれないことが多くあったことが残念なほどです。
だから鑑賞後に浮かんだ言葉が“すごい演劇”だったのだと思います。
出荷用の苗
毎年苗を作って欲しいと頼まれています。
そのお取引先用に、かぼちゃ芋の苗を育てています。
今週が第一回目の出荷で、何とか間に合いそうなまで育ちました。
芝生が綺麗な訳
たかおさんの庭の芝生はいつも綺麗です。
それは春から秋にかけて奥さんが始終草取りをしているからです。
成苗にまで育ってきました
一番早く芽を出した「ほし黄金」がもうすぐ切れそうなまでに育ってきました。
畑はまだ地温が上がらないので、
農園前の休耕の畑が風が当たらないので、
そこに仮植えしておきます。
追伸
『菊姫頒布会2014』募集開始しました。
ご興味がある方は、干し芋のタツマのトップページからどうぞ。
干し芋のタツマ
『菊姫頒布会』の直接ページはこちら
菊姫頒布会2014
自家製有機野菜
農園前にはビニールハウスが4棟あります。
毎年春は2棟が育苗ハウスです。
その育苗ハウスの空いたところと、
今年は他の2棟は休耕するので、
その一部で自家製野菜を栽培することにしました。
もちろん有機栽培です。
【SPAC演劇】よく生きる/死ぬためのちょっとしたレッスン エンリケ・バルガス

死生観は歳により変わります。
子供の頃「死」を考えるだけで震えるほど怖い感覚に襲われたことを覚えています。
では今は?
この演劇は体験型という今までに経験したことがない演劇でした。
短い時間ですが、生から死までを疑似体験かなと私は感じました。
だから今現在、自分が持っている死生観を自分でみる体験でした。
「死」は怖いことは今も変わりません。
でも昔ほどではなく、歳を重ねて仕方のないものという感覚になってきていて、
そして、「死」は“嫌”という意識があることをこの演劇で感じました。
“嫌”というのは怖いや存在がなくなるからくる嫌ではなく、
大切な人との繋がりが切れてしまうことからくる感覚です。
「よく死ぬために」の課題はそれを踏まえて生きることだと、
あの空間で思索していたことでした。
追伸
5/5は「立夏」でした。二十四節気更新しました。
ご興味がある方は、干し芋のタツマのトップページからどうぞ。
干し芋のタツマ
二十四節気「立夏」の直接ページはこちら
立夏
孤独な天使たち 2012伊 ベルナルド・ベルトルッチ

映画は精神科医と14歳の少年の対話から始まります。
その後の母親との会話でもわかるのですが、主人公の少年ロレンツォは学校(社会)になじめない性格のようです。
そのロレンツォが学校のスキースクールに参加することを決めたことを受けた母親がとても喜びます。
そしてこの物語はここから始まります。
ロレンツォは1週間のスキースクールには参加しないで、自宅のマンションの地下室で孤独を満喫する計画を立てていました。
食料を買い込み、パソコンもお気に入りの音楽も本も、1週間分そろえてロレンツォのスキースクールがはじまりました。
一人を楽しんでいると、地下室に異母姉のオリヴィアがやってきます。彼女は自分の荷物をとりに偶然ここにやってきました。オリヴィアはロレンツォの母親と(父親をとられたことが消化できていないので)折り合いが悪く、数年ぶりの再会でした。
用事を済ませたオリヴィアは一旦は地下室から出て行きますが、行き場がないことから、舞い戻ってきます。秘密を漏らされたくないロレンツォは仕方なくオリヴィアを迎え入れ、ちょっと可笑しな1週間になります。
一人を楽しみたいロレンツォはオリヴィアに振り回されます。
オリヴィアは写真家としての才能があり、将来を期待されていたようですが、今は麻薬中毒に犯されていました。良い縁談がまとまりそうなので、薬を断とうとしていた時に地下室に転がり込んできたので、それに付き合わされるロレンツォはたまりません。
禁断症状で苦しむオリヴィアを介抱します。
二人は姉弟ですが、今も含めて育てられた環境が違います。母親も違いますし、ロレンツォは箱入り息子ですが、(説明はありませんが)オリヴィアはそんな環境ではなかったようです。年齢も10歳くらい違うようで、父親も二人に対しての接し方はかなり違っていたようです。
姉妹であっても別々に暮らしている、あまり合うことない、でも他人ではないという、二人の関係は距離があるけれど、分かり合える部分も多いという感じです。
その奇妙な1週間の生活で二人が少しだけ変わっていきます。
孤独でいたいロレンツォは、孤独が好きなのと同時に外部をシャットアウトすることも目的でしたが、外部とシャットアウトをしないで孤独でいることを選べるようになっていくのです。
それはオリヴィアも孤独であることを感じ取ったからで、彼女はロレンツォよりも一見社交的に見えますが、心に抱えるものは自分と同じ、いやそれ以上に一人で生きていると思ったのです。
いよいよ最後の晩、二人は約束をします。
オリヴィアはロレンツォに“薬を断つこと”を、
ロレンツォはオリヴィアに“引き篭もらないこと”を。
でも多分二人はこの約束を守らないでしょう。(その暗示はありました)
二人にとってとても大事なことですが、極端に言えば約束の内容は何でもよかったのです。
この体験を心に刻んでおくために必要だったことです。
そして、地上に上がるための儀式としても必要でした。
二人は二度と会わないかもしれません。
でもお互いが抱える孤独の意味を理解し合えた他人(姉弟)がいることを手に入れました。
人生の中ではほんの短い一瞬のような時間で、人生が決まったり、変わったりすることがありますが、二人にとってこの1週間はまさにそのひと時でした。(綺麗な映像で説明なく進むベルナルド・ベルトルッチ監督らしい映画でした。だからこの感想もほとんど私の解釈です)
この物語には動物が登場します。
檻(水槽)の中をウロウロするアルマジロ、同じく水槽の中でじっとしているカメレオン、そしてロレンツォが地下室まで持って来た蟻の巣、そして蟻は地下室から地上にいきます。
ウロウロして(外部とシャットダウンしている)地下から抜け出せないロレンツォや、色が変わる、変化するかどうかのロレンツォとオリヴィアを指しているのでしょう。
小道具の使い方も、そして注目されている音楽の使い方も粋な映画でした。
眠れる美女 2012伊/仏 マルコ・ベロッキオ

イタリア国内を二分したというエルアーナ・エングラーロの尊厳死問題を下敷きにして、
それに通じる三つの話が並行して進みます。
尊厳死に直面したそれぞれの立場、考えの人達の内面を見せることで、尊厳死そのものと、身近な人達との真のかかわりとは、を考えさせる骨太な映画です。
1、 エルアーナの尊厳死を認めない法案を通す党に即するベッファルディ議員は、過去に妻を尊厳死させた体験があります。敬虔なクリスチャンの娘マリアは、もちろん尊厳死反対でそれを許せません。また党の方針に従えないベッファルディ自身も自分の身の振り方に悩んでいます。
2、 薬物中毒で見も心もボロボロな女ロッサは自殺常習犯です。その日もひったくりや盗みで食いつないでいたのですが、ふとしたことからかかわり合いになったパッリド医師の前で手首を切ります。パッリドは咄嗟にロッサを助け治療します。命は取り留めたものの、ロッサはパッリドの前で死のうとすることを繰り返します。
3、 大女優のヴィナマドレには植物状態の娘ローザがいます。女優の仕事を控えてローザに献身の日々です。奇跡を信じて神への祈りも欠かせません。それを横目で見ている俳優志望のローザの兄は、母の輝く姿が封印されているのはローザがいるからだと、母を自由にしてやりたい気持ちが日々高まっています。
三つの話が織り込まれていますが、では尊厳死を認めるか認めないかということへの言及はありません。もちろんこの問題は答えを出すことができないからですが。それよりも尊厳死の問題に直面した人達が自分の気持ちにどう向き合うからを見ることで、身近な人にいかに自分が関わっているかを強く感じました。
なにもできない植物状態でも、その人が与えるものは大きなものがあります。
1、 では妻の命を絶つ夫ですが、こんな切ない選択は愛していなければできません。そして父の真意を汲み取ることができたマリアは父の愛を感じることができます。
2、 では、“死ぬ自由”を主張する女に対して、“救う自由”を医者が高らかに宣言します。そしてそれが人間愛なのだと。そんな男(医者)が向き合ったことで女が変化します。人のために生きることに気づきます。
3、 では息子は勝手に母が妹に縛られていると思っています。だから母を解き放つために妹の生命維持装置を停めようとまでします。娘に尽くすことが自分が生きることとしているのが母です。それに対して全く、微塵も乱れないように見えますが、息子の懸念も母の内面にはあります。娘を愛する気持ちと自分を大事にする気持ちは相反することではないけれど、人(母)は永久に聖女でいることはできません。
三つの話の中には正解やこれでよかったとかダメだったとかはありません。
人の気持ちに複雑さが描かれるだけです。
そして時間は無常に経っていくことも情け容赦なく人は死に向かっていることも匂わせます。
今自分が生きていることで、周りに対してどんな影響を及ぼしているのか、
それと同時に、大事な人達から何を貰っているのか、
鑑賞後に考えてしまう映画でした。
鉄くず拾いの物語 2013ボスニア・ヘルツェゴビナ/仏/スロベキア ダニス・ダノヴィッチ

ボスニア・ヘルツェゴビナの現実を映します。
ドキュメンタリータッチです。それもそのはず実話ベースでしかも主演の夫婦は当事者ということですから。
妻のセナダが流産し、手術しないと命に関わる状態になりました。夫のナジフは病院に連れていきますが、保険証がないために手術代は高額で払えません。
その日はなくなく手術をあきらめ、翌日から夫婦は公的機関を頼りますがそれもダメ、仕方なくセナダの妹の保険証を使い手術をし、なんとか助かります。
この顛末とその前後に、彼らの実生活がリアルに映し出されます。
ナジフは生計を立てるためにクルマを解体し、その鉄を業者に持ち込みます。わずかな金にしかなりませんが、他には職がないようです。ラストには、手術代と薬代のために、自分のクルマまで買いたいします。
季節は冬で、常に雪が深々とした情景です。薪が切れると木を切り出しにいきます。
また、電気を止められるシーンもあります。
非情で優しくない国であってもこれが常識であれば、その中で生きていくしかありません。
決してナジフが生活力がないわけではありません。
経済的に豊かになるチャンスがあまりにも少ないのです。
言葉が過ぎるかもしれませんが、日本にいて貧しいと嘆くとは訳が違います。
仲睦まじい夫婦で、お互いに愛し合っていて、二人とも二人の娘を愛していることが、
ドキュメンタリーのような映像で十二分に伝わってきます。
そして夫婦は一見不条理な今回と、現在の境遇に嘆くのではなく、それらを受け入れて、幸せな家庭を築こうとしています。
この後も困難は変わりません。自分のクルマまで解体したのだから、より厳しくなったはずです。
でも大丈夫な気がします。
二人は大変なことを当たり前としているからです。
恵まれすぎている日本人には到底受け入れられないこの前提を当たり前としています。
(日本を憂いてしまいます)
もうひとつ印象的だったことは、
ナジフの仕事仲間も、二人の近所の人も、そして親や妹も、二人に優しいことです。
別に経済的な援助をするわけではありません。でも手を差し伸べます。
皆が大変だから起こることで、これも当たり前なのかもしれませんが、やっぱり今の日本と比べてしまいますがそれは無意味ですね。
あまりにも環境が違いますから。
でも、夫婦の愛の注ぎ方や触れ合う人びとの姿が心に響いた映画でした。

