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ブログ 今日のいもたつ

時代屋の女房 1983日 森崎東

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片想いを描いたファンタジーのようでした。

主人公の安さんは時代屋という古道具屋を営んでいます。
ある日そこに、真弓という美女が捨て猫と現れます。
真弓は時代屋に居つくのですが、苗字も素性も一切が謎です。
しかも時折ふらっといなくなり、数日経つと何事もなかったように笑顔で帰ってきます。

ネコは飼い主に媚びを売らないで、
餌と宿はもらうけれど、自由は奪われない、
そして、可愛がってもらいたい時は、ゴロゴロ言いながら飼い主のところに来る。
真弓もそんな感じです。

また真弓は、男なら誰しも惹きつけられてしまう女性です。
美人であることもさることながら、一緒に居る時は可愛くてしかたがない、
そして本心から自分のことを想ってくれていると解る女性です。

でもふらっと居なくなる。
物語はミステリアスな展開になります。

私は真弓は安さんの幻影なのかとも思いました。
そしてこの映画自体がファンタジーのようにも感じました。
安さんはじめ、近所付き合いをしている人達の描き方からです。

製作当時の生活感が盛り込まれているのですが、
どこか生きる大変さは意識的に削がれているような感じだからです。

へんな言い方をすると、安さんも含めて食べていけるのかなという感じです。
(津川雅彦が喫茶店のマスターでしたが、その店は倒産してしまいましたが)

また、真弓が今度こそ帰ってこないという感じになると、
(夏目雅子が二役で)美郷という女性が現れます。
そして美郷も安さんに恋します。

安さんは、父親とは断絶しています。
母親ともあまり上手くいっていない少年時代だったようです。
そしてたったひとりで時代屋を営んでいました。

そんな安さんの幻想のような物語です。

なぜ真弓が現れたのか?
安さんというようりも男が描く理想の女性でした。
けれどその女性は安さんの下にずっと仕えることはありません。
その方が真実味があります。
だからこの物語は、ひと時の夢をみてしまうロマンチックな男を描いています。

なんだかんだ言っても男ってそんなものです。

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

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ニワトリはハダシだ 2003日 森崎東

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舞鶴が舞台なので、戦後間もない引き上げ兵や、帰国できなかった朝鮮の人達
のことが示唆され、また、北朝鮮へ運ばれていく廃車や廃自転車の映像も映ります。
そして、知的障害者が登場し、彼らが国家が振るう暴力を受けるという話ですから、
重いテーマがたくさん盛り込まれています。
大きな声や暴力シーンもありますが、森崎東監督ですから喜劇仕立てになっています。

知的障害者の兄妹のチチは原田芳雄、ハハが倍賞美津子(離婚していますが近所にいます)、
そして兄妹(サムと千春)の養護施設の先生の直子(肘井美佳)、この3人がとにかく熱いのが印象的です。

家族(生徒)想いです。一心不乱です。
自分はこうも熱く生きているかと省みてしまいます。
そして森崎東監督の憂いを代弁しています。

何か事が起こるとサムは、その事象だけを判断材料として、
本能的に良い悪い、好き嫌いで感情をむき出しにします。
ストレートなのです。
体裁なんて気にしません。

チチもハハも直子も、サムほどではありませんが、
体裁なんて二の次です。
全てのシチュエーションでそれでは社会生活は成立ちませんが、
譲れないものを犯される時、それは国家が暴力を振るうというこの映画の設定のような、
生死に関わることやこれからの人生を決めてしまうような大きな事でなくても、
人として真っ当に生きていくことを犯そうとする力が働いた時や誘惑があった時、
体裁なんて無意味で、力を振り絞れば良いのだということを見せてくれた映画でした。

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

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英国一家、日本を食べる マイケル・ブース 著 寺西のぶ子 訳

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イギリスのフードジャーナリストが、家族で日本縦断し、
日本料理を食べまくった家族旅行記です。

日本料理のあらゆるジャンルを食べているところが面白いです。
本格的な日本料理、庶民では行けない料理店の超一流料理から、
ジャンクフードや屋台のラーメンや、漁師のお土産や、力士が作るちゃんこ料理まで。
ある意味羨ましいです。

素晴らしい日本料理が欧米化で廃れてしまうのではないか?
というテーマがあるところも良かったです。

それにしても改めて、日本には多くのというよりも、
日本人は、なんでもかんでも食べるものだと歓心するくらい身近に、
食べ物があるし、歴史と経済の恩恵を受けていることも実感しました。

【芋日記】

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たかおさんのスイカ

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実生でつくるたかおさんのスイカは、
瑞々しく甘い極上のスイカに育ちます。
メロン畑の一部で毎年作ります。

真夏前にメロンを収穫、真夏にはスイカが出来上がります。
メロンも美味しいですが、真夏の草取りでは、たかおさんのスイカが一番です。

今この大きさだと丁度その頃に食べごろになります。

【芋日記】

日時: |

メロンの実を整えています

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実が拳くらいに育ってきたので、お皿を敷いています。
それと共に、手入れしやすい位置まで、つるに余裕をもたせながら、
引き寄せておきます。
何度か実を回して、綺麗なネットが出るようにします。

【芋日記】

日時: |

向こう側に畑があります

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半分休耕している畑で、
土壌改良のために休耕部分には、えん麦を昨秋蒔きました。
大人の背丈ほどまで伸びたので、奥の芋畑が見えません。

奥の畑ではマルチ麦の麦間栽培をしています。
休耕部分もそうですが、麦は土の中の線虫予防と土壌改良になります。
畝(うね)間の麦で、線虫予防と抑草を狙います。
マルチ麦だけでは抑草に限界があるので、
手取りでの除草もしますが、
隣のえん麦を麦藁にして抑草にも使います。

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【芋日記】

日時: |

後は植え継ぎです

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この畑で苗を植えるのは一通り終わりです。
この後は、根付かなかった苗を植え替える、
植え継ぎの作業です。これは、除草をしながらになります。

【芋日記】

日時: |

畝立て後から除草です

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予め畝(うね)を立てておくと、
その時から草は生えてきますから、定植(苗を植える)前に
除草しなければならない畑もあります。
この畑は、最後の定植なので、機械除草しながら苗を植えました。

【芋日記】

日時: |

順調に進みました

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今年は苗の育ちも順調だったので、
苗を植えるのも滞りなく進みました。
畝(うね)立てもこの畑で終わりです。

【芋日記】

日時: |

ぼくたちの家族 2013日 石井裕也

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実は、崩壊していた家族だったというテーマの映画、
または壊れた家族の再生物語という映画、
一見するとその部類に分けられてしまいそうでしが、
今までのそれらとは一線を画す映画です。
崩壊していたと家族が皆決めていたけれど、実は壊れてはいなかった。
それを確認する物語です。

物忘れを気にする妻の玲子が病院に行くと、脳腫瘍で余命わずかと宣告されます。
家族は、会社経営はしているが稼ぎが悪い夫(若菜克明)、家もクルマも分不相応で、しかも何も決められないダメ親父でもあります。
長男(浩介)は結婚していて妻(みゆき)が妊娠したばかり、みゆきは若菜家が特に義父が金にだらしなことに不満です。
次男(俊平)は留年している大学生、お調子者です。玲子は可愛くて仕方ありません。その母に金の無心をしてその時を楽しむタイプです。

入院しても克明は浩介を頼るばかり、これからどうして行くのかも、治療費もです。
浩介は中学の時に引きこもりになっていたことを悔いています。そして、その時から家族は壊れていったことを俊平から言われてしまいます。
今も浩介はそれを引きずっています。また長男だからという観念も強いので、今回も何とか家を(経済的にも精神的にも)持ちこたえようと必死です。

入院間もなく俊平は家の内情を知ります。
克明には家のローンと会社の負債合わせて6500万の借金があること、玲子は10社のサラ金から300万の借金をしていたこと、そして、克明はそれを止めることすら出来なかったこと、そしてこの夫婦はそんな状況でも贅沢をやめようとしていませんでした。
だから、浩介はみゆき(生まれてくる赤ん坊を若菜家の騒動に巻き込んで不幸にしたくない)との板ばさみになります。

俊平は克明に自己破産を求めますが、自己破産すると、保障人の浩介が1200万の負債を抱えるという仕組みになっていることを説明され、愕然となります。

このまま手を拱いていれば、玲子は死を待つだけ、そして家族は自分達の生き様そのものを否定して終わることは3人とも勘付いています。
入院した地方の病院では治療の術がないと言われます。
追い込まれた浩介は抵抗することを決めます。
玲子の治療が出来る病院探しです。俊平も手伝います。
絶望しかない所から少しずつ光明が芽生えます。
そして、物語は。

4人とも逃避していました。
克明は金が回らないことへの直面にです。
玲子も同じで、サラ金からの借金で、ささやかな夢を見ることで逃避していました。もちろん、俊平に小遣いを与えることを至福としていました。
俊平はお気楽極楽です。
そして浩介も、本当のことを親にもみゆきにも上司にも、言いたくないことは言わないでいました。確かに真面目に、みゆきにも生まれてくる子供にも何不自由ない生活をさせるだけのことをしていましたが、肝心なこと(このままではいつか実家に夫婦の生活が脅かされること)から逃げていたのです。(仕方ないと言えることですが)

このまま玲子を失うと、克明はダメ親父のダメ押しになり、浩介は自己を責めることになり、俊平は本当の風来坊です。そして若菜家と克明の会社、浩介の家庭がなくなります。もう待ったなしの状況が訪れたのです。

各々がそんな状況ですから、俊平の「とっくに家族は壊れていた」という言葉は身に染みていたことです。でも事を起こすと違う展開になります。

浩介は吹っ切れたかのように、弱さを俊平に曝け出します。そして野望を持ちます。
俊平も玲子のために、克明のために、浩介のために、動きはじめます。

良い方向へ流れ始めます。もちろん今までが今まででしたから、大きな痛みは伴いますが。

この家族は壊れてはいなかったと私には写りました。
克明は逃げる男で、父親(夫)失格です。特に経済的に。
でもそんな克明でも、玲子にも、二人の息子にも愛されていたのです。
玲子が重病というこれ以上ない大きな事件で、玲子が求めていた「家族仲良く」は証明されました。だから家族再生の物語ではありません。

現代人は賢く、そして淡白になっているような気がしました。
少し上手くいかないと、とっくに家族は崩壊している。と決め付けます。
本当にそうでしょうか。
そして何でもそういう決め付けで解決して終わりにしてしまう、それは生きることに淡白になっていることではないのかと、この映画で感じました。

子供に迷惑掛けても親は親です。その逆ももちろん。
たかだか自己破産で家族が崩壊なんてことはない。
そう思い込もうとするだけ。生きること自体から逃げる行為。
そんなことを痛感する映画でした。

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

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