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【SPAC演劇】サーカス物語 作 ミヒャエル・エンデ 演出 ユディ・タジュデイン
人の尊厳への問いと、現代社会への風刺と警告、そして人が生きるために不可欠な愛し愛される愛の物語ですが、私が感じた一番のことは、『自分を偽らなくても良いよ』という許可を得る演劇でした。
劇中劇が終焉に至る時に、あの完璧な存在とされたアングラマインでさえ自分を偽っていたことに衝撃を受けたからです。
物語は、二重の螺旋構造で進みます。
主人公達のサーカス団は、人びとから必要とされていないことからの行き詰まりに直面しています。唯一打開できる選択はスポンサーである化学工場の広告塔となることですが、その条件は団員の一人である障害者のエリを排除することです。何故ならエリは化学工場の責で障害を負ったからです。
団員達が明日からの糧の確保を選ぶことで失う代償は、一生消えない自らの品位を落とす行為です。
そんな差し迫った現実の中でもエリは無邪気にピエロのジョジョに物語をせがみます。優しいジョジョは、エリと自分との愛の物語を作り聞かせます。この劇中劇がサーカス団の現状と彼らが下さなければならない決断への葛藤の様になっていきます。
劇中劇はエリ王女とジョアン王子の物語です。“明日の国”の王子ジョアンは、大蜘蛛アングラマインに国を奪われます。ガラスの城にいるエリ王女は、魔法の鏡カロファインが映すジョアンに恋します。エリ王女は城を出てジョアンの下に行くかを悩みます。何故ならエリ王女は、ひとりでガラスの城にいる限り、何の不自由もなく、しかも不老不死だからです。ジョアンを探すことは、人としての苦悩を背負うことになります。しかもジョアンと相思相愛になれるかも、そもそも出会うことができるかもわかりません。
でも、エリ王女は城をでます。
現実世界では団員達がエリを捨てるかの選択を迫られます。何故捨てない選択に躊躇してしまうのか、それは捨てなければ生きられない強迫観念が襲うからです。たしかに経済的には苦しくなってしまうのですが、そんなものはあくまで虚構です。現代人はあまりにも物質に頼り過ぎてしまいました。生活する上で必要でないものまでが、無ければならないと教育されています。それは他の人達が持っているから?あれば安心だから?それはあくまで表層的な理由です。本質的な理由は、心を満たすために人と触れることを避けようとすることです。モノがすぐに手に入るのをいいことに、物質で心を満たそうとする行為です。その方が簡単だから。そして、これも自分を偽る行為です。
こういう現代社会の構造は、アングラマインが支配する明日の国と同じです。明日の国では人は蜘蛛の巣に手足を縛られて生きています。その姿は無駄を捨てること、効率こそが優先されるべきであるとされること、そして人がそれに合わせるものだという社会が作り上げた幻想概念で縛られていている我々の姿そのものです。
しかも劇中劇のエリ王女もジョアン王子もアングラマインにより、過去の記憶が消されていました。私達は本来の喜びを想像できる力があることすらも封印されていることの暗喩です。
物語は、サーカス団がギリギリの選択を迫られて、にっちもさっちもいかなくなる境界線に追い込まれた時に、新しい展開になります。
障害者のエリはエリ王女だった。ピエロのジョジョはジョアン王子だったことを、二人は愛し合っていたことも想い出し、現実世界から劇中劇のアングラマインが支配する明日の国へと足を踏み入れます。
この展開ももちろん、現実世界でサーカス団が化学工場とどうやって立ち向かうかの決断への葛藤に繋がります。
それにしてもミヒャエル・エンデは人の愚かさを認めながら、崇高さも信じているようです。エリは知的障害者であり、ガラスの国の王女です。ジョジョもピエロであり、勇敢なジョアン王子です。どちらかではありません。どちらも彼ら自身です。
この社会では人が持つたまたまの一面だけでラベリングすることが行われています。それは愚かな暴力であり、それが発動されている世を嘆いているかのようです。
その後演劇は、エリとジョジョがエリ王女とジョアン王子に戻り、サーカス団員と共に“明日の国”を奪回するためにアングラマインに戦いを挑みます。観客は二人と彼らの活躍を期待する場面です。
しかしアングラマインの下に行く前に大きな谷間ができていました。谷間は彼らを阻みます。この谷間はアングラマインが作ったのではなく、ジョアン王子の意識でできたものだと明かされます。ここもエンデの皮肉です。弱者にも過ちがあるのです、強者は過ちだけではないのです。
ジョアン王子は「愛と自由と創造」でアングラマインを倒します。ここでもう一度現実に戻ります。エリとしてジョジョとして、サーカス団も化学工場の要望を受け入れなければ明日がないこの演劇の振り出しの現状へ戻ります。
アングラマインをやっつけたって、もちろん何も変わっていません。
でも団員全員の意志で、化学工場との契約書を破り火にくべます。後を絶ちました。絶望を選んだようにも見えます。彼らの目の前は苦で満ちたことを暗示させて幕になりましたから。
彼らが何を選んだのかは明白です。“偽らない自分”を選んだのです。その時に彼らは自由を得る体験もしました。たとえ目の前に迫る現実が物質的な困窮から逃れても、自分を偽る限り自由は得られません。逆に自由を得ても困窮という状況は何も変わりません。しかし今まで持てなかった希望を得ることができます。
絶望の中では希望を持てないのではありません。絶望と希望はどちらか片方しか存在しないのではないのです。
“自分は何者か”そこから逃げないことが生きる根源で、生きている証なのです。
異邦人 アルベール・カミュ 著 窪田啓作 訳
「一人の平凡人の長所が、どうして一人の罪人に対しては不利な圧倒的な証拠になりうるのか」
「ひとはいつも、知らないものについては誇張した考えをもつものだ」
主人公ムルソーが何故銃を撃ったのか
「それは太陽のせいだ、といった」
ムルソーは己を客観視しています。
何故なら、彼がかかわるあらゆる人との関係が、あまりにも虚飾だけだから。
彼は聞かれたことに対して、それ以上でもそれ以下でもない本心を話すと、
答えられた方が戸惑うことが最初から最後までこの小説に詰まっています。
聞き手はいつも答えて欲しいことを答えて欲しくて聞きます。
御大層に大真面目に。
ムルソーはそんな世界と決別したかったのかもしれません。
たとえば災害に合った時、
もし一人ならすぐに逃げる行動をとります。
もし十人でいたとしたら、一番遅い十番目の人に合わせて逃げることになるでしょう。
社会が機能している状態というのは、そういうことです。
不条理であることを、『そんなことはない』と全員で大合唱しているようなものだということを、改めて強く強く感じたのが率直な感想です。
もちろん常日頃私自身もそれで社会からの恩恵を受けています。
でもそういう仕組みであり、
そういうルールであることは心得ていなければなりません。
簡易キュアリング
サツマイモは、摂氏30度以上で湿度が高い状態のところに、
72時間置いておくと、保存性が良くなります。
(キュアリングと言います)
冬の寒い間の保存のためには、とても有効です。
庭先に保管してあるサツマイモをその状態にするために工夫されました。
干し芋を蒸かす蒸気と扇風機を活用して行っています。
簡易キュアリングと、ほしいも産地では言っています。
手でつる刈り
たかおさんの奥さんが、鎌でつるを刈っていました。
伸びすぎてしまったので、畑に入る部分を手刈りしないと、
つる刈り機が入らないようです。
また、育っているサツマイモのつるなので太いつるです。
畑の一辺を手刈りするのは大変です。
一日がかりの農作業でした。
毎年良い出来です
有機農業でのサツマイモ作りは、
育たない、形が不ぞろい等が多く、いろいろな工夫をしていますが、
何故か紫サツマイモは、どんな畑、どんな栽培、極端に言えばほっといても育ちます。
アントシアニンを含むので健康に良い芋ですが、
甘みがないので、干し芋としてはあまり向いていません。
それでも鮮やかな紫色は干し芋でも健在で、
ファンの方もいらっしゃいます。
今年も少しですが、作付けしました。
そして今年も良い紫芋ができました。
追伸
『ほしいも大判セット2013』販売開始しました。
ご興味がある方は、干し芋のタツマのトップページからどうぞ。
干し芋のタツマ
『ほしいも大判セット』の直接ページはこちら
ほしいも大判2013
収穫の真っ最中です
つる刈りをして、芋を掘り起こしたら、
畑の上で一週間ほど、芋を天日に当てるのですが、
今年は雨(台風)が多く、すぐに選別・収穫作業をしています。
急に晩秋に
暑い夏、暑い秋、そして毎週のように台風が来る、
秋らしくない9月10月でしたが、
ここにきて干し芋産地は、一気に秋が深まった感じです。
今週も台風に備えて掘り起こした芋は早々に収穫して、
サツマイモが残っている畑も少なくなりましたが、
残った畑のサツマイモも晩秋が漂っています。
追伸
10/23は「霜降」です。二十四節気更新しました。
ご興味がある方は、干し芋のタツマのトップページからどうぞ。
干し芋のタツマ
二十四節気「霜降」の直接ページはこちら
寒露
安納芋は?
蜜芋と呼ばれる安納芋もほしいもに適しているのですが、
育たない、加工しづらいことから、ほとんど作付けされていません。
タツマの有機農園では人参芋同様に育たないことを覚悟で作付けしています。
今年は、今までよりも長く成っていましたが、
ほしいもにするのには、もう一回りふっくらしていないと、というところです。
今年の人参芋は
3箇所の畑で、人参芋を作付けしました。
これまでも育たない品種でしたから、
あまり収穫できないことを覚悟で育てています。
この畑はまだ試し掘りですが、今までより育っているようです。
他の二箇所はいつも通りの様子ですので、この畑は期待できます。
早池峰の賦 1982日 羽田澄子
1982年当時でも、奇跡的に受け継がれている、北上山地の二つの山村、
大償と岳の神楽を中心に、両村の姿それはすなわち日本の農村の歴史とそこでの暮らしぶりを映し記録したドキュメンタリーです。
神楽が中心ですが、それが連綿と700年もの間受け継がれていく背景は、この村が置かれている厳しい気象と田畑に期待できない状況があります。故に神楽が中心の生活になるのですが、それを続けるのは山村の農業、山ならではの農産加工が本来の村人達の営みですが、それがすべて神楽にも通じていることも描かれます。
自前ですべてを調達します。神楽に必要なもの一式の原料からそれを元に加工してそろえます。楽器も舞いに使う道具も。
そして、当然村人が囃子も舞いも行いますが、それも仕事とは違う場面で親から子へ伝えられます。そして、個々人の家と、それを束ねる村社会のふたつから機能されています。
ではどうして両村で忠実に神楽が受け継がれたのか。
私の推測でしかありませんが、やはり経済的に恵まれてない環境でしょう。
つい最近まで田んぼが開拓されていない状況や、クルマと電気がないほんの昔、馬や牛と供に一次産業に従事していたこと(たぶん自給の農産物と農産加工品を生産し、現金収入の特産品はほとんどなかった、けれどそもそも現金収入はかつては今ほど必要としない生活だったこと窺えます)、その中で、長い冬の活用でした。準備期間が設けることと、近隣からの出張の要望で長い興行(つらいことのようでした)が行えるからです。
そして、近隣農村もそれほど経済的に余力があるわけでなく、それに加え、神楽は貴重な娯楽であり、神への畏敬の想いは現代とは全然違う感覚だったわけで、両村の神楽は歓迎されたのでしょう。
そしてもっと推測の域になりますが、近隣も神楽のような伝統芸能がないことはなかったはずですが、ここにも経済の力が働き、近隣農村は伝統芸能よりも収入源になることが主になり、その埋め合わせで両村の神楽を迎えたのでしょう。
この仮説は、岳の村人の南部葉という葉巻タバコの生産の描写から強く感じました。
約1年がかりの農産加工品は、多大な村人の労力で成立ちます。その見返りとなる現金収入は微々たるものということは容易に推測できましたが、作品の最後にその金額まで明示されましたが、その金額は私の予測以上に少ないものでした。
それが当時まだ続けられていることが仮説の確信です。
それはおいて置いてこのドキュメンタリーは、そんなけっして裕福でない山村の長い生活を、今の姿から想像させてくれる画をたくさんみせてくれました。
そこには、ほんの50年で様変わりした経済を追った日本の姿の前の、普遍に続けられてきた生き方を頭に描くことができるものでした。
茅葺の家が(第三者の私がみれば)残念にも壊される画、しかし、村の人達にとっては、もう機能できないほど、生活が変わったのでしょう。
けれど、普遍な生き様の精神はかろうじて残っていること、それを遺す努力も図られていることに感動でした。
でも、1982年当時でもあまりに日本は変わっていました。良い悪いを通り越して、そして現在、あの二つの村があれから、この30年間手を緩めることなく変化した日本の中でどうなっているのか、もちろん神楽も含めて、気になってしまいます。
中世から続く神楽が機能していた村だから、その暮らしぶりは普遍であるということを、冒頭とラストのナレーションでは語っています。
もっともっと長い時間軸で振り返らないとその答えはでません。
だからその意味でもこの映画の意義を感じます。