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ブログ 今日のいもたつ

州崎パラダイス赤信号 1956日 川島雄三

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くされ縁のカップルは、自分たちのことだけで必死です。
二人を愛したり、親身になってくれる人の気持ちは解らないのでしょう。
結局経済的に破綻するのですが、実はとても幸せにみえてしまいます。

川島監督は、軽快なタッチで結構深刻な話を進めてゆきます。
二人の主人公とそれにまつわる、エピソードが入り、
(おかみさんの旦那が帰ってきてすぐに悲劇になること)
(田舎での清楚な娘の悲劇)
周りの方が深刻そのままに進みます。

当の本人たちは、すれ違いながら元のさやに納まるのですが。
当人たちが一番変わらなければならないのに変わりません。
ここが監督の意図だと私は感じました。

二人は、流した汗からみれば少し不幸な路線を走っているように
思えてなりません。が、
人生の中で、深く掘りさげる必要があるときから逃げているようです。
その時の嫌な感覚は、嫌なだけにそこに行く勇気が必要です。
だけど逃げるから嫌な感覚が増幅してゆきます。

子供の時に、先生のいいなりになっていたこと、闇雲に順序を経てゆくこと、
がありました。
すべてではありませんが、あれも教育として意味があることと今気づきます。

【いもたつLife】

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夜の女たち 1948日 溝口健二

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戦後間もない時代が作った女たちを、
娼婦としてしか生きてゆけない女たちを、
ほこりまみれで見せてくれます。

自分が望んだ娼婦でもあるのですが、
男と社会の犠牲者です。
救いがあるのかが、ずっと焦点として作品に入り込みました。

自分から抜け出すしか救いはないのですが、
抜け出せる境遇ならそもそもこの世界には入らないし、
長く居ることで、抜けられなくなるのは、いつも同じ、他のことでも同じです。

主演の田中絹代は、娼婦になる前と後ではまさしく別人でした。
ただ、娼婦の中に自分だけが犠牲になればよいというメッセージを匂わせていて、
それは、夫、子供、嫁ぎ先、勤め先で尽くしていた姿と重なります。

どこまで行っても救われないから、どうなっても良い身だけれど、
変われないものがある女の根本を感じました。

【いもたつLife】

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アントキノイノチ さだまさし

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心が壊れても外傷はないから、他人にはわかりません。
ひどくなるまで、自覚症状もない場合が多いかも。
自分がわからないのだから、他の人にはもっとわかりません。

人の心を蝕む狩人にターゲットにされた主人公二人と他のメンバー
(SFになっても良い位、この狩人はエイリアンと同じです)

主人公二人は、
人が死ぬ生々しい場面を日常とします。
それを通して人の心の繊細さや強さや
生きるための本能とは何かが描かれます。

心が壊れた人達が加速しながらふえている社会です。
その原因のひとつは、ささいなことを喜ぶことができない感覚が
ついてしまったことなのではないか?

二人は心が壊れるという自分で治すしかないけど、
できるかどうかわからない。その苦しみから這い上がりました。
小さな喜びを喜ぶことができる人になって。

そういう心を育ててゆきたいですね。

【いもたつLife】

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米産地へ0908粗植

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田植えの時に、
苗を植える間隔を広くとって田植えをしてあります。
風通しも陽のあたりも良くなります。
稲には好環境になります。
当然、健康に育つ=おいしいを狙っています。

日当たりや風通しが良いと、
草も、健康に育つ=除草が大変。
になります。

また、田んぼに植える苗の本数が減るので、
収穫が心配にもなります。
今年は豊作はないので、
今年の出来高で真価が問われます。

【米探訪記】

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米産地へ0908新米はいつ?

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まだ青い田んぼはいつもと違う雰囲気です。
滑川でも近江八幡でも明らかに遅れています。

ただし、天候不順が与える影響は、
普通の栽培(一般慣行栽培といいます)ほど影響があるようです。
天候は自然です。
有機栽培も不耕起栽培も慣行栽培より
自然に近いから、
天候の変化に対して、稲も変化するから比較的影響が小さくてすみます。

稲に限らず慣行栽培は、人が必要以上に手をくだす分、
自然と離れているのでしょう。

【米探訪記】

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米産地へ0908水車

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滋賀県近江八幡市の不耕起栽培の
中村さんから、良いものを見せてもらいました。

昔は人がこの上に乗って、
回して水をかき揚げて田んぼに水を入れていたそうです。

兼業農家という言葉がいつから使われ始めたのか?
調べてみたくなりました。

【米探訪記】

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米産地へ0908不耕起栽培

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不耕起栽培では田んぼがビオトープになっています。
多種多様な生き物がいます。
だから稲の害虫も益虫もいます。
でもバランスがとれていて、それらは必要な数しかいません。
だから、稲もそれらと一緒に生長します。

そんな理想的な環境は、
不耕起の田んぼだけで成り立っているかと言うと、
そうではありません。

周りの田んぼに影響を与えています。
そして、不耕起の田んぼも影響を受けています。
そうしてバランスが自然ととれて行きます。

田んぼがあり山があり、奥には琵琶湖があり、
そこに流れる水と流れ出す水があります。
昔から変わらない風景です。

近代農業は考えすぎてしまっているように思います。

【米探訪記】

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米産地へ0908長浜城

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滋賀県近江八幡市の不耕起栽培の稲の様子
を見にに行く途中に立ち寄りました。
この後、琵琶湖の東岸を通り近江八幡に入りました。

琵琶湖のほとりは、稲作地帯と近江牛の牧草地が広がっていました。

戦国時代このあたりは、
都に近く、
豊富な水源と琵琶湖の多くの恵み、
財源になる広い稲作地帯は、
なんとしても押さえなければならないところです。

長浜城も彦根城も地理を活かしていました。
そして安土城跡も。
戦国時代の歴史ファンには見所だらけを抜けて走りました。

【米探訪記】

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米産地へ0908苦労

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6月は空梅雨、7月は晴れた日が二日しかなく、
今年の収穫を一時はあきらめかけたそうです。
8月後半天候が持ち直し、「ほっ」と一息です。

とは言いながらも豊作にはなりません。
けれども
「穂をつけてくれて、実る稲を見守っています」
有機農家が語ってくれました。

【米探訪記】

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米産地へ0908富山平野

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富山県滑川市の田んぼからクルマで10分も走れば、
平野が一望できるところまで登れます。
そしてその反対は、立山や剣岳といった3000m級の山々です。

冬の深い雪と森が貯めた豊かな水が、一気に田んぼまで流れてきます。
田んぼに水を引く春、その水は手を入れられない程の冷たさです。

これらの環境は人の力では補えないものです。
米農家も米を販売する私もそのお米を食べるお客様も、
この恩恵を受けています。

【米探訪記】

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