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ブログ 今日のいもたつ

黄金の馬車 1953仏/伊 ジャン・ルノワール

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この映画は、映画の中で語りたい現実への導入で、
観客を映画の中のセットに誘います。
幕開きその中に現実があるといいます。

主人公のカミーラは、イタリアから南米の植民地に出稼ぎに来た劇団員の一員です。
新大陸で希望を、金を求めてやってきました。
カミーラは、金と自由を得たい私達です。
カミーラは3人の男に求愛されます。
勇敢で優しい騎士フェリペ、彼女は最初は彼と相思相愛だと勘違いしています。
闘牛士ラモンはこの地の英雄です。ストレートに彼女を愛します。純粋な男です。
総督フェルディナンは、富も権力も名声も持っている貴族です。富・権力・名声の象徴の『黄金の馬車』をカミーラに与えます。

映画は、男3人とカミーラとのドタバタで進みます。
時折挟む劇中劇では風刺の演目が上演されますが、
それはドタバタを含めた映画内の現実を観客に客観視させます。

貴族の日和見的な嫌らしさ、彼らは何も決められません。
何も行いません。今が続くという幻想を追うだけです。

無いものねだりのカミーラも愚かです。
フェリペには、ラモンの純粋さと総督の力を求めます。
ラモンには、フェリペの愛と総督の力を、
総督にはラモンの純粋さとフェリペの愛を。

3人の男はカミーラを女神とします。これも愚かです。
女神ではないカミーラを、女神に愛されたいから彼女を無理やり女神とします。その上で欲します。
彼女にとっては迷惑な話ですが、言い寄られると彼女はそれぞれの男が持つ違う魅力を全て欲しがります。

だいたい冒頭の、この一座を呼んだ奴らからして強欲です。
それは植民地支配は続かないという予測を、
造り手が織り込んでいるのかもしれません。
それはさておき、貴族達も含めた己しか見ないことへの破綻を、
ドタバタを通して描きます。

ラスト、映画の現実が終わると、
舞台の中で演じられていたごとく幕が降ります。
幕の前、舞台の外にカミーラが登場します。
カミーラに残った現実は舞台だけでした。
あれだけ欲した金も、貴族の称号も、熱い恋も、強い男も、
得られそうになりますが、全てを望むことで全てを得ることができない。
それは観客もわかっている道理です。

そして、カミーラが一回りして残ったものは、“舞台”でした。
これさえあれば生きていける。最高のものだけは残りました。
もっと突っ込めばカミーラが仕方なしではあったが、
行った善行に神は応えて、カミーラに舞台だけを残したのです。

どこまでが舞台でどこからが現実かをカミーラは悩みますが、
彼女は舞台に立つことにより、舞台ではない時の生があることを悟ります。
それが彼女の人生だということも。

人は何が望みかを自分に問うことがあります
それは迷った時です。迷う時というのは邪な欲が湧いた時です。
私にとっては仕事という舞台があります。
同様に、誰しも生きてきた舞台があるはずです。
それに熱意を傾けるのが、真の望みなのに、その価値を見失うのはカミーラと同じです。
人のことならわかります。

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

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飢餓海峡 1965日 内田吐夢

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二度目の鑑賞です。
私なりの三国連太郎さん追悼です。

三国さんの代表作であり、ヒロイン左幸子さんの代表作でもあると、
捉えていましたが、今回もそれを強く感じました。
そして伴淳三郎さんもいぶし銀です。

物語は、戦前の飢餓、戦後それを引き継いだ飢餓と混乱、
それと、人が人を信じる難しさを描いています。
それらは前回の鑑賞でも感じていて、今回も同意です。

今回は、それに加えて二人の分岐点を考えてしまいました。
二人とも極貧の出生です。
二人ともあのカネでそこから抜け出せました。
二人は一夜未満で共に相手の心の空虚を知りえました。
でも10年の時は二人にとってお互いの存在は全く違ったものになっていました。

この仮説は間違っているかもしれません。
三国連太郎は、海峡を抜ける時も、左幸子と別れる時も、過去の自分を捨てることを科した人物でした。
でもそれが全てとは言い切れません。彼は贖罪をすることで、生きる許しを得ていたからです。

でも左幸子とはすれ違った。そこが悲劇です。
女は男にとっては聖女です。でも男にはその想いは届きませんでした。
男は女の登場が全くの想定外で、パンドラの箱を開ける存在だったからです。
でも箱から最後に出てくる希望を得るまで男は自分を抑えることができませんでした。

二人は一晩未満の出会いから別れて、
二人とも同じ道を歩みました。
それは生きていけることを感謝し、生きることです。

人生は皮肉です。
それが崩れるのです。女の一途な気持ちで。
男への感謝の念を生きがいとしていた純粋な女の行為で。

罪を犯したら、必ず償うことを義務付けられているのでしょうか?
その償いとは、自己を満たすことでは満たされないのでしょうか。
男が犯した罪の重さは最後までわからないままです。
事実は男にしかわかりません。
そして男の最後の行動はそれに見合った行動なのでしょうか。

男が罪を作ることになったきっかけに同情はしませんし、できません。
そして、彼は重大な罪を重ねました。
けれど誰もが男と同じ境遇なら同じような行動になることに同意します。

罪という概念は、神の意志であるとともに、
人がつくりだしてきたのでしょう。
でもそれをルール化することが人の知恵であるのだと、
そんなことを考えてしまう二度目の鑑賞でした。

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

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草取りの時に

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ほんの少しですが、
育苗ハウス内にメロンを育てています。
夏の草取りの時は、水分がいくらあっても良い状態になります。

水はもちろん、
スイカやメロンはなによりの水分と栄養補給になります。
その時までに育てばよいのですが。

追伸
5/31に、6月の「毎月お届け干し芋」出荷しました。今月のお宝ほしいもは、“薪ふかし玉豊平ほしいも”です。
ご興味がある方は、干し芋のタツマのトップページからどうぞ。
干し芋のタツマ
毎月お届けの「今月のお宝ほしいも」の直接ページはこちら
今月のお宝ほしいも

【芋日記】

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合間に

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苗切りして定植の繰り返しですが、
合間をみて苗場の草取りもします。
有機農業の苗場なので、
どうしても手取り除草になります。
また他にも合間をみて、
休耕畑の土作りに準備です。

【芋日記】

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夏の畑

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畑に水が含まれて、朝気温が上がると、
畑全体から一気に水蒸気が上がります。
ほしいも用のサツマイモの定植の好条件になっている証です。

今が一番の植え時です。

【芋日記】

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雨でも

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働き者の黒沢進さんは、
雨でもメロン畑に通います。

メロンは日々手入れが欠かせない、
手がかかる果物です。
そして、日々の農作業で品質が決まります。

進さんのメロンが美味しい理由はもちろん、
手塩にかけるからです。

【芋日記】

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忠八さんの苗

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冬の間、忠八さんの種芋を預かるのですが、
今年春に種芋を蔵からだすと、
傷んでいたのが多く、苗が不足してしまうのを、
心配していました。

有機農園ように多めに種芋をとっておいたので、
それで不足分を補ってもらったのですが、
気になっていました。

様子を見に行くと、なんとか足りるとのこと、
ほっとしました。

【芋日記】

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春風亭一之輔のドッサリまわるぜ2013

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一之輔師匠の全国ツアーの独演会です。
師匠の落語は初体験でした。

前座さんの『たらちね』
師匠の『初天神』『夏泥』仲入りで『青菜』でお開きでした。

結構毒がある枕、落語中もそれは同じです。
3演目共に35分くらいでまとめるのも師匠のスタイルでしょう。
最も旬の落語家の前評判どおり3演目とも上手く、楽しめました。

『初天神』はきん坊の悪ガキぶりはかなりのもの、
師匠の地じゃないかと思えてくる程、成りきっていました。

『夏泥』も強弱の按配が絶妙で、
身振りも初天神の動と打って変わって静で演じます。

『青菜』この噺も好きな噺です。
とにかくありえそうな植木屋のバカぶりが見所ですが、
そこへの盛り上げ方が良かったです。

真打昇進から一年、まだ35歳と年も若く、
ますます贔屓客ができるでしょう。

【いもたつLife】

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エージェント・マロリー 2011米 スティーヴン・ソダーバーグ

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美形の主人公は、フリーの女スパイ、フリーで稼げるほどのやり手です。
だから、美形ですが近寄りがたい存在です。
従来の強い女スパイ像とは雰囲気が違うヒロイン像です。

映画冒頭のアクションで彼女の強さを観客は認識しますが、
ここでは、負けそうになったことと、
逃走相手の男とのやりとりで、弱さというか、
従来のヒロイン像です。

それが、次から次への修羅場をくぐり抜けると、
スーパーウーマンになっていきます。
でもその成長は徐々にです。

やられそうで、ピンチを凌ぐ、
そのピンチが次は一段階上がる、
ダメそうだけど切り抜けるという王道です。
そして、スーパーウーマンへ。

骨太なアクションが売りの、このヒロインが見どころの映画でした。

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

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ポテチ 2012日 中村義洋

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あるきっかけで母親を想って、母親孝行する主人公、
その訳は、主人公の劣等感と純粋な気持ちでした。

主人公はコソ泥、でも憎めないキャラクターで、
根も優しいし、真面目、正義感もあるのかあろうとしようとしているのかです。
その主人公と生年月日が同じ人物がいて、彼は主人公にとってのヒーローです。
ここが物語のキーです。

劣等感を持っていない人はいません。
そして誰もが親を慕っています。
でもその気持ちはちょっと隠れたところにあるものです。

主人公はそれをある出来事から目の当たりにすることになりました。
その瞬間から、自分は母親(物語の設定で父親は亡くなっている)
に何ができるかと、自分の存在は母にとってふさわしいかを考えることになります。

この物語はハッピーエンドです。
観客は良かったと、主人公も彼に纏わる人たちも、
次に進む道を見つけました。
でも主人公は、これから母に対してどういう息子でいれば良いかはわからないままです。
一時的に吹っ切れただけと心配しています。
しかし、新しいスタートができたことも事実です。
“そこは大事”です。
人生の中で区切りをつけることがやってくることは幸せなことです。
それを想わせる映画です。

余談ですが、
コンパクトにまとまっていて、無駄ない、テンポが良い映画でした。

【銀幕倶楽部の落ちこぼれ】

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